挑戦(チャレンジ)
挑戦
街の朝は、とても早い。
日の出と共に荷車が街道を往来し、市場からは卸売業者のたくましい声が響く。
「シュティムー?起きてるかー?」
俺の眠る部屋の扉、その向こうで若い男の声が聞こえる。
正直、もう少し寝ていたい。
村の外れの俺の家からこの街まで徒歩で半日。
今の季節に日中動き始めたら直射日光と気温で道中干からびてしまう。だが、街から村への道は整備されているとはいえ、道中に家らしい家はほとんど無いような田舎道。当然、獣や盗賊のような被害も少なくはない。
だから昨日は移動に費やして、ここについたときにはもうほとんど日も落ちかけている時間になっていた。
とどのつまり、超絶疲れているのだ。
だが、この若い男の話しを聞かないわけにはいかなかった。
「何だよドンク、料金が足りなかったのかぁ?」
「いいや、しっかりあるよ端金が。」
人のなけなしの金を端金呼ばわりか。
「入るぞ。」
ノックもせずに部屋に入ってきた、恰幅の良い大男。
見た目だけ見れば美形のゴブリンと言われても下手をすれば信じてしまいそうな。
なんてことは口が裂けても言えない。
なぜなら彼はこの宿の店主、言わば俺を格安で宿に泊めてくれている張本人なのだ。
「おめぇ、疲れてんのは分かるけどよ、窓くらい開けろよ。蒸し暑くねえのか?」
「暑いけど、俺の家に比べたら何倍も快適だから大して気にならねえ。」
「荒ら家暮らしの弊害か。おめえもうこっちに住んだらどうだ?」
窓を開け放つドンク。
真夏のさんさんとした陽気が部屋の中を焼け焦がす。
ガラス越しでも聞こえていた街の音達も部屋の中に侵入してきた。
「…暑い。」
「だろうな。今年一番の暑さかも知れねえ。」
「だからもうちょっと寝る。」
「まだ寝るつもりかよ。市場にでも行ったらどうだ?魔法の鍛錬だけじゃ飽きちまうだろ?」
「飽きるほど極められりゃ苦労しねえんだけどな。」
ドンクの協力もあって効率よく魔法を学ぶことが出来ている。それは事実だ。
魔法を扱う人間の職種は大きく分けて三つ。
順に魔法士、魔術師、ウィザードが主だ。
魔法を日常生活を便利に過ごすために扱うのが魔法士、特殊な魔法を使って人を治療したり、様々な恩恵を与える後方職が魔術師、そして、
ヨシュアさんのように、魔法を扱って魔獣や敵国を倒すのがウィザード。
中でもウィザードと魔術師は階級があるらしい。
国内での管理を簡潔化するために、通常は軍人と同じ階級章が使われている。
そのさらに上、それが騎士の職だ。
それらの職は、国が認めたものしか名乗ることを許されない。
つまり、今の俺は魔法士しか名乗れない。
だが今の俺が果たして魔法士といえるのであろうか。
己の実力さえも分からないこの現状で、早くあの人に追いつかなければいけないのに、もう二年も時間が過ぎてしまった。
俺の中で次第に大きくなっていく焦燥感。
良くないとは分かっていても…
「そんなお前に朗報だ。今年、お前ものすっごく運が良ければ魔術師になれるかも知れねえぞ?」
「…は?」
思いがけない話に、横たわっていた俺の体は跳び上がるようにして起き上がり、半分停止していた脳の思考回路は突沸かのごとく吹き上がった。
気がつけば俺はドンクの肩をこれまでに無いほど強く掴んでいた。
「どういうことだ一体どうすれば良いんだつーかなんでお前がそんなこと知ってるんだやっぱいいどうすればいい!?」
「おーいおい、分かった、分かったから落ち着いてくれ!皮下脂肪がシェイクされて痩せちまう!」
「オーケーWin-Winじゃねえかさっさと教えろ!」
「そういう問題じゃねえって!ちょっと離せっ!」
ドンクが俺を掴み軽々と持ち上げるとベッドの上に座らせる。
俺は細い体ではあると思っているがそれでも男の体だ。こんなに軽々と扱われるとは、さすが若くしてこの店を一人で切り盛りしているだけある頑丈さだ。
彼は乱れた服をただして窓の外を見ながら答える。
「この街にはな、何年かに一回王都から魔法学校の出張選抜試験があるんだ。」
「な、なんだそれ!?そんな話今まで一回も…」
「悪かったよ、別に悪気があったわけじゃねえんだ。とりあえず最後まで聞けって。理由も話してやるから。」
確かに、この話は一度も聞いたことのない話だ。
この街で、俺が気軽に話せる人間などドンクくらいしかいない。別に俺は街までわざわざ遊びに来てるわけではないし、そもそもそんな時間など俺には無い。
そんな中で出会ったのが彼で、この宿に泊めてくれるだけではなく、街での俺の話相手、時には相談にも乗ってもらっていた。
村を追放された俺にとっては、数少ない話し相手だったのだ。
二年も話せば、相手のことはある程度までなら分かる。
そのある程度でもドンクは理由もなくこんな重要なことを隠すような人間ではないと分かる。
そんな彼が、どうして話してくれなかったのか。
「この街に王都からの選抜の試験が可能になるチャンスは数年に一回、それはなぜか分かるか?」
「なぜって…この街が、王都からかなり距離のある街だから、とかか?」
「それも無くは無いかも知れないが、もっと簡単な理由だよ。定員割れだ。」
「定員割れ?」
「王都の魔法学校はいくつかある。その中でも、この街にやってくるのはエンタリア魔法学園。魔法学校の中でもトップ3には毎年数えられるほどのエリート中のエリート学校だ。」
ドンクはこの街でもかなりの情報通だ。
彼の話す内容は信用できるし、何より魔法学校についての情報なら俺でもそこそこ仕入れている。
もちろん、エンタリア魔法学園のことは多少ではあるが知っている。
彼の言うとおり、トップに数えられる魔法学校。
中でもウィザードの輩出率の高い学校だ。
俺もそこに行けるのならもちろん行きたいが、一つ解せない点がある。
「なんでそんなエリートがこの街に選抜に来るんだ?」
「さあね。俺もよく分からんが、何十年か前にこの街から優秀な魔法を使う人間が出たことがきっかけらしいぜ。」
こんな街からも優秀な人間は出るもんなんだな。
魔法適正は基本的には遺伝する。
親やその祖先が優秀な魔法を使えれば使えるほどその子供は、扱えるかどうかはさておきその魔法適性を引き継ぐものらしい。
そこから自身が鍛練を重ねることによって新たな適性を生み出していく。
そうやって優秀な魔法を扱う人間はさらに優秀な人間を育てていく。
どういう理屈かは知らないが、魔法というものはそういった特性があるらしい。
そうなってくると、魔法を育てる環境というものも重要になってくる。
つまり必然的に、環境や時間に多額の資金を投じることの出来る貴族や身分の高い人間の一族が強力な魔法を扱えるようになる。
その事もあって、トップクラスの魔法学校に通えるのは基本的に位の高い人間になってくると言うわけだ。
そんな中で、ここのような辺境の街からエンタリア魔法学園に入学したとなれば夢のあるような話ではある。
夢のある話ではあるが…
「…なるほどな。で、最後に入学できた人間は何年前なんだ?」
「やっぱりシュティムは鋭いな。そういうことだよ。」
別に俺じゃなくても分かったことだろう。
彼はどうも重要なことを屈折して伝えることがある。
つまり彼はこう言いたいのだ。
選抜試験を受けられるが、合格できる可能性は極めて0に近い。
そんなところだろう。
「最後に入学できた人間はおよそ四十年前、その人も結局は前線に立ってすぐに死んじまったらしい。」
「なるほどな、入学は出来たけど良い成績は残せなかったと。」
「そうだ。身分も高くない魔法が半端に使えるだけの人間は、前線で酷使される。意味の無い戦争に行かされてな…」
「…それ以上はやめとけ。」
入学出来る可能性はほぼ皆無、万が一入学できたとしても優秀でなければコマ扱い。
身分の高くない人間の不利な点はここにもあった。
貴族ほどの身分があれば、成績が良くなくとも家業を継げばいい話だ。
そもそも、結果の残せない貴族など話しにも聞いたことないが。
「…なあシュティム。ホントにウィザードにならなねえといけねえのか?」
「…ああ。」
いきなり降ってかかった背水の陣。
ここから先に挑むには己の命を掛け金にしなければいけないらしい。
正直たまらなく恐ろしかった。そりゃそうだ。自分の命が惜しくない人間などどこにいる。
けれども俺は、挑戦するしかないんだ。
逃げ道は、あの日あの海に置いてきた。
ここにいる俺は、バロン・オブ・ウィザードを目指すしか先のない人間だ。
「ありがとうドンク。その情報を貰えただけでも、大きすぎるくらいの収穫だ。」
「…いや、いいんだ。そもそもがお門違いなんだよ。俺はあの日、無一文でこの街にやって来たお前から話を聞いた段階で、お前を応援するって決めてんだ。」
ケタケタと豪快に笑うドンク。彼がいなければ俺はこの街での活動は出来ていないだろう。彼にはそれなりの恩義がある。きっと俺の将来を心配してくれているのだ。
そんな彼を悲しませるような結果にもしたくはなかった。
「…日程は三週間後、落葉が始まり出す季節だ。」
「なるほどな。」
正直言って悠長にしていられる時間ではない。
まずは何をやれば良い?魔法の質を高める?持久力?それとも純粋に魔法の出力を上げる訓練を…
いや、それと並行して日銭を稼ぐ仕事もしなければ。
俺は今魔石の商売を街にまで拡大している。
村の需要に比べれば、ある程度の魔法が使える人間がちらほらといるので少ないが、それでも宿泊分の金銭を稼ぐことはギリギリ出来ている。
しかし、魔法の勉強をしていく過程で魔石生成の時間も効率良くはなっているが、これも今の俺の実力では片手間に出来るほど簡単ではないため、それに割く時間も捻出しなければならない。
「参ったな…時間が全く足りない…」
「だろうな。いいぜ、今日から次の桃色の木の季節まで宿泊代カットにしてやる。」
「ば、馬鹿言うなよ!?それじゃあお前の商売が…」
「もともとお前の宿泊代じゃ商売にもならねえんだよ。今更そんな代金が消えたところで何の痛手にもならねえ。その代わり、絶対最強のウィザードになりな。その後でこの宿宣伝してくれりゃ、追加請求はしねえからよ。」
本当にどれだけ人が良いんだ。
口は悪いが、彼のこの人柄に幾度となく救われているだろう。
思えば、この胸に抱いた決意を人に話すのは初めてかも知れない。
全部自分の中に留めていた思いだ。
言霊、と言うものが実在するのならここで決意を口にするのも悪くはないだろう。
「ああ、当然だ。俺はそのために生かされたんだからな。宣伝効果は…あんまり期待すんなよ?」
むせかえるほど暑い宿屋の一室に、若者の決意とからかいの笑い声が満たされていった。




