準備(プリペアー)
準備
吹き抜ける潮風に春の香りが混じる。
開け放たれた雨戸からそれは室内を駆け抜けていく。
その温かな感覚を肌で感じながら、俺は鞄に荷物を詰める手を止め、一つ大きくくしゃみをした。
「…うーん、さすがにまだちょっと薄着過ぎたな。」
と言ってはいるものの、持ち合わせの上着の量はそんなに多いわけでもないし、その数少ない上着達も全て荷物の中に詰めてしまった。
「まあ、いいか。どうせ村まで歩くんだし。」
独り言をつぶやいていると、窓辺に小鳥が止まった。こちらに気づいていないのか、のんきに羽の手入れをしている。
この鳥は俺もよく知っている鳥だ。
名前までは知らないが、確か渡り鳥だったはず。
「もう、そんな季節か。」
暖かくなると、その鳥は毎年この地域にやってくる。この家も屋根裏には何世代にもわたって、彼らの親やそのまた親たちが過ごしてきた巣がそのまま残っている。
撤去しても良かったのだが、この広い家に一人で住んでいると、帰ってくる存在がいるというのは結構心の安寧になるのだ。
そうして、秋が来ると小鳥だった鳥は親になり、家族を連れて別の暖かい地域に飛んでいく。
この家でも幾度となく目にしてきた光景の始まりが、またこの家で見れたことに少しのうれしさを感じていた。
「ずいぶんと片付いたな。ほとんど何も残ってないじゃないか。」
窓の外から聞こえてきた声に驚いたのか鳥が飛び去っていく。俺は荷物を担ぎながら部屋の最後の確認を始める。
「まあね。だってこの家、俺が出たらしばらく誰も住まねえんだろ?」
「お前みたいな問題児が現れたら、また使うかもしれんがの。」
「はいはい。せいぜい村長様のお手を煩わせるようなクソガキが現れないように祈っとくよ。」
声の主である村長は窓枠に手をかけて室内の様子を見ているようだった。
この家から村まで俺の脚でも軽く20分はかかるのに、このじいさんは本当に元気だな。
「それにしても、本当によくまあここまでキレイに改築したもんじゃな。わしが別荘として使おうかの。」
この家は元々荒ら家だった。村を追放される身になった俺への最後の情けとして住むことが許されたのだ。
もちろん、最初はとても住めたものじゃなかった。全力で改築を施した。そりゃあもう全力で。初夏の嵐に間に合ったのは幸いだったが、梅雨時には滝壺かと錯覚するほどの雨漏りだった。
あのおんぼろの家をここまでキレイにしたんだ。何かしらの追加報酬が発生しても良いくらいだ。いや、追放されてこの家しか住むところがなかったから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
「…やめときなよ。孫や娘に心配かけさせたくねえだろ?」
「ひゃひゃ。そうじゃの。あの子も今年で七つ、今が一番愛い時分よ。」
不思議なものだ。世の中の人間というものは大抵孫の話をすればご機嫌になる。なぜなのだろうか。そりゃあ確かに娘息子と比べて責任は少ないだろうからかわいいだけかも知れないが。
それにしたって。
「…そうか、村長の孫、もう七つになるんだな。」
「ああ…主がこの荒ら家に住み始めてから、何年経ったかの。」
「二年半だよ。ちょうど。」
二年半前、俺は俺自身と決別した。
あの日の光景を今でも鮮明に思い出すことが出来る。
そしてあの日に抱いた決意と覚悟は、今でも絶えることなく胸の中で燃え続けている。
「もう、そんなに経つのか。早いもんじゃのぉ。」
「あー、昔を懐かしむのは俺が出て行った後で村の連中と好きなだけやってよ。」
村長の言葉を受けながら俺は荷物を抱える。抱えると言っても所詮は男の荷物なのでそれほど量はないが。
「…そうか。シュティムが旅立ちか。」
「うん。世話になったね、村長。」
「別れの挨拶は村ですると良い。さ、行くぞ。」
「あ、ちょっと待って。」
外に出て、少し家から離れて振り返る。
所々が新しい板材で補修されているとはいえ、ぱっと見はやはりまだ荒ら家だ。
思わず苦笑が漏れ出る。
でも、
俺はここで過ごした二年半を一生忘れることはないだろう。
二年半前のあの日に俺は大切な存在を失った。
今でも、あいつらがいたら俺はどんなに幸せな生活を送っていただろう。
毎日決まった時間に漁に出て、帰ってきては次の日の準備をして、たまの休みにあいつらと遊ぶ。
そんな何もない日常はかけがえのないもので、失って初めて気づくとは聞いていたが、気づくなんてレベルではなかった。
ずっと、ずっと心に残り続けていた。
あいつらの笑い声が聞こえてこない。
それだけでこんなに心に穴が開いてしまうなんて。
この荒ら家は、俺だ。
どれだけ取り繕っても、表面から見れば荒ら家でしかない。
けれど、そんなことを思っていても、
こんなこと、口にするわけにはいかないと分かっている。
でも、あの日あの事件があったから俺は変れた。
自分が何をしたいのか知ることが出来た。
こんなことを思うのは不謹慎かも知れないけど、あいつらならきっと、笑って送り出してくれる。
「…昔を懐かしむのは、じゃったか?」
「……このエスパーじじいがよ。」
「わしじゃなくても今のお前を見れば誰でも分かるわ。」
歩き出す村長の後を、いつの間にか少しだけ流れていた涙を拭って追いかける。
泣いている姿で村に戻るのは、この年になるとかなりしんどいものだ。
幸い村までは20分の散歩道。ばれることはないだろう。
「そういえばシュティム、お前が去年街で受けた何かしらのー、なんじゃっけ?」
「分かってねえのに良く話題に出そうとしたよな。」
話題に困ったのなら無理に話を振らずにそっとしておいてくれれば良いのに。
「王都主催の魔術披露大会みたいなもんだよ。」
去年、それは突然舞い込んできた話だった。
俺が二年半前に決意したこと、それは魔法を極め、ウィザードの頂点、バロン・オブ・ウィザードを目指すと言うこと。
あの日の夕暮れにあの人に言われ、魔法の鍛錬を始めた。
そして、すぐに壁にぶつかる。
魔石に魔力を込めるのと、媒介を通さずに魔力を魔法として発動するのでは、全くもって勝手が違った。
これは一からの修練が必要だと踏んだ俺は、最初の三ヶ月を魔法の知識を入れ込むことに専念した。
その際に独学では魔法の構造や仕組みを知れないと思い、片道半日かけて街まで行っては、図書館で大量に魔法に関する書物を借り、借りられないものは書き写すか暗記して知識を蓄えた。
その際に街で出来た知り合いに、宿を格安で貸してもらうことによって片道半日でも街で一泊して安全に帰ることが可能になったのだ。
そして、知識を入れることが出来ればあとはひたすら実践で体にたたき込むのみ。
ここで感じたことは、俺自身が反復練習に適性があったと言うことだ。
これはもともと物心ついたときから漁師という毎年毎年、毎日毎日決まったルーティンをこなすことになれていたと言うのが大きかったのだと感じている。
これはありがたい、過去の俺の経験も無駄になっていないと言うことを知った俺は、ありがたく、その適正と、普段の漁で鍛えた体力を存分に酷使することに決めた。
加えて、魔力を使うのに想像以上に体力を消費すると言うことを知れたので、基礎体力をつけるために、何日かに一回は魔力を一切使わず、走り込みやハードになりすぎない筋トレをこなした。
あとで聞いた知識だが、毎日魔力を酷使しすぎると良くないと知った。
図らずもこの基礎体力をつけるという行動が自分自身を魔力から守ってきたのだ。
一年も経った頃には、自身に負担のない魔法なら連発して発動することが可能になり、肉体も、漁師をしていたときよりも少し筋肉もついていた。いわゆる細マッチョ、女性が一番好きだという体形に近いだろう。彼女はいないが。
しかし、ここである問題が発生する。
魔法というのは適正というものが存在する。適正にも数種類あり、主なものは属性適正、強度適正、持久適正の三種類だという。
三つとも全て読んで字のごとくなのだが、
属性適正は自身が得意な魔法属性の適正。ポピュラーなものとして火水草の三属性だが、複合や遺伝でその適性は無数に分かれる。適正と言っても、得意不得意の問題なのでよっぽど特殊な魔法でない限りは基本的に扱える。ちなみに俺の適性は、まだ分かっていない。魔法発動の際の疲労感や手応えでなんとなく分かるらしいが、いかんせん俺自身がこの年になるまで全く魔法を使わなかったのでその感覚というものが分からない。
次に強度適正。その名の通り、魔法の強さだ。と言ってもただ単に高威力の魔法が出せれば良いというものでもない。魔法の強さのコントロール練度という感じだ。しかし当然ながら最大火力もコレに含まれる。ここがどうやら一般的に一番壁となる適正で、魔法の発動自体は仕組みを覚えれば比較的簡単に可能だが、コントロールが出来る人間が少ないという理由で魔法を扱う職は少ないとのこと。俺は運良くコントロールは比較的出来ていたが、ここでも問題が発生する。最大火力の大きさが分からない。自身の出せる限界量の魔力放出で発動する魔法。その威力にいまいちピンときていない。あの夜ヨシュアさんが見せてくれた魔法に比べれば、どれも足下にも及ばない。
最後に持久適正。強力な魔法をどれだけ多くの数打てるか。魔力のスタミナ。以上説明終了。ここで発生した問題。俺の持久力が分からない。現状の俺なら三時間ほどならノンストップで魔法を発動できるが、コレが長いのか短いのかが全く分からなかった。
さて、ご理解いただけただろうか。
そう、現状俺自身の実力が全く分からないのだ。
コレではいけない。
ウィザードになるためには王都の魔法を専門で学ぶ学校に行かなければ行かない。
そこに行くためには魔法の実力が無いと当然入学は出来ない。
しかし現状の実力が全く分からない。
さてどうしたものかと思い始めたときには二年が経っていた。
かといって魔法の鍛錬をやめるわけには行かない。
俺はある程度の知識を得た後でも、足を止めることなく街に通っていた。
と言うのも、魔法というものの歴史があまりに深く、到底二年やそこらで全て知れるようなものではなかったというのが主だ。
街に通うと言うことは街の友人の宿にも泊まるというわけだ。
そこで魔法大会の話を聞いた。
友人が話す内容はいつも屈折していて長ったらしかった。普段はそれが退屈しのぎにちょうど良かったが今回ばかりは思い出すのも面倒くさいので、かいつまんで回想することにする。いや、かいつまんだ回想って何だ。
時間は去年の猛暑まっただ中、半年前と少し前へと遡る