劣等生
「それじゃあ、言い分を聞く。」
目の前で椅子に座りココアを飲むフローアさん。以前見たときの学生服ではなく、完全な部屋着。その部屋着がとても可愛らしいものだったので、年上というのにやはり妹を思い出してしまった。
「じ、じゃあ、この魔法解いて貰っても良いですか…?」
そして俺。水の罠魔法で拘束され、天井からつるされている。
数分前のフローアさんは絶叫の後ほぼ条件反射的に俺のことを拘束した。その反応速度と言ったら、反射神経には自信のある俺が魔法の発動にさえ気づけなかった。俺の脳が追いついたときには既に魔法は7割方終了していて、俺は首を絞められないように対応するのがやっとだったのだ。
「却下。あなたの行為は立派な不法侵入、つまり犯罪。職員に通達すればあなたはしかるべき処分が下されるはず。」
「チャイムも押しましたし、入り口のドアもちゃんと叩きましたって!」
「それなら何?いくら研究に夢中になっていたとは言え、私が自分のテリトリーへの侵入者を認識できなかったとでもいうの?」
「そ、それは……」
事実彼女は俺の自宅への侵入を認識できていなかった。だが彼女ほどの実力者が認識できないはずはない。どちらを選んでも俺の処分は免れない……
「…ふん。冗談、ほんの余興だから。玄関のドアを開けた段階で気づいてはいた。その後私が感知を切っただけ。」
彼女は魔法を解除すると俺をゆっくり地面に下ろした。数分ぶりの地面のありがたさをかみしめながら俺は軽く服装を整える。
「なんだ。じゃああの悲鳴もわざとって事ですか?こっちがびっくりしましたよ。」
「…あれは本当。屋敷に入ってきたとは言え、まさかこの部屋まで入ってくるとは思わなかったから。」
「……それなら拘束する必要無かったんじゃ。」
「冷静になる時間がいるでしょう?」
彼女は少しばつが悪そうに目線をそらしながらココアを飲み、カップをテーブルに置いて軽く机の整理を始めた。
「それで、今日は?私の実験に付き合う気になってくれたの?」
「いえ、そういうわけでは………」
部屋の中に無数の本。立ちこめるインクの香りは学生の部屋には珍しくないが、筆跡のある書類や、壁や床の至る所が濡れていてそこから魔力を感じるのを見るに、並大抵の勉強量ではないことが見て取れる。
「…この屋敷は、本が多いですね。」
「この部屋にあるもの以外は全て読み終えたものだよ。ここに来るまでにいくつかあった部屋のものも全て。」
「全部って…あれ全部読んだんですか!?」
玄関から、そう文字通り玄関からここに来るまで無数の本棚があった。廊下の壁も基本的に壁というよりは本棚で区切ってあるようなものだったし、部屋という部屋も、本や資料の置き場所のようになってはいたが…
この国のものだけでは無い。世界中の書物を集めているのではないかとも思うほどの量。それを全て読んだというのか。
「ほとんど軍事指南書や魔道書だから、重複している箇所もあるよ。中には料理のレシピ本やファッション誌みたいなものもある。全部合わせても片手で足りるほどしかなかったはずだけど。」
「…すごい、ですね。」
全てを読むというのも凄いが、軍事指南書と言うことはそれをしっかり戦闘に生かせているのだろう。だから今日も生徒会として皆の指針になって動けているのだ。
これがミス・アンドラが伝えたかったことなのか?
俺にはまだ、努力が足りてないってことを言いたかったのか?
何が違うんだ。俺だって努力してないわけないだろう。
人より優れた適性があるわけでも、並外れた魔力を保有できるわけでもない。
そんな俺が努力なしでやってきたと思ってるのか。少なくともここにいる他の生徒よりも努力はしている。
それなのに適性はウィザードに向いてないと告げられ、その適性と向き合おうと思っても上限を上げるためにいちいち瀕死になる必要もあって。
これほどまで頑張って頑張って、やっと皆と並べてるんだ。いや、本当は並べてすらいない。
セルエナもカイルも、恵まれた適性に加えて本人の努力も積み重ねている。ここにはそんな人間だらけだ。そしてその上で、さらに一握りの人間が頂点に居座ることの出来る世界。
ほんの一ヶ月で俺は思い知らされた。覚悟をしていた。決意も固かった。けれどそんな俺程度の人間の思いなんて簡単に蹂躙されるほどの世界なのだ。
ウィザードの世界というのは、飽和している。俺なんかがつけいる隙なんて、無い。
やはり俺はウィザードになんて………
「………熱ッ!!!」
思考にふける俺の頬を急な熱さが襲った。一気に我に帰って目線を上げるとフローアさんがマグカップをこちらに差し出していた。
「脈拍が上がっている。呼吸も少し浅い…何か良くないことを考えている。」
「いえ…大丈夫です。」
「本当に大丈夫な人間はそんな顔をしない。」
手渡されたマグカップを覗き込むと、いれられたココアに俺の顔が映る。ひどい顔だ。疲れ切っていて、目はうつろで、青ざめてもいるんじゃないだろうか。一口すすると、体の芯からほっと温まるような感覚に包まれる。奥底から温まったことによる安心感から、呼吸が徐々に落ち着いていく。
「私の魔法で作った熱湯で出来たココア。不純物0.001%以下。加えて私の魔力も入っているから、微弱だけれど魔力回復の効果もある。」
「ありがとう…ございます………」
「……先輩として、困っている後輩の力になりたいと思うのは私だけに限った話じゃない。」
マグカップから掌にじんわりと伝わる温かさ。そして正面に位置する先輩が優しく問いかけてくれる。
この学園に来て、ここまで優しく声を掛けられた事は無かった。
「…先輩には、分かんないかも知れないですよ?」
「学問において分からないと言うことは、中途半端に分かることより価値がある。分からないが分かるというのは有益なの。」
「…少し長くなりますよ。」
「だったら、夜食を作る。あなたも手伝ってほしい。その間に話して。」
俺は彼女と夜食を作りながら、紡ぐように話した。
過去のこと、適性のこと、漠然と抱えている不安のこと。
長々と話している間もフローアさんは相づちを打ちながらただ黙々と聞いてくれていた。
ただ話しただけだが、それだけでも大分心の余裕が持てるようになった。自分の抱えている物を言葉にして話すことで、自分が何に迷っているのか、何を不安に思っているのかを自分が改めて理解することが出来るのだろう。
俺が話し終える頃には作った夜食も食べ終え、彼女はシャワーを浴びると言って浴室へ行った。
一人になったので、少し建物を散策しようと部屋を出る。やはりどの部屋も本で埋め尽くされているが、その本の中にある傾向が見て取れる。
水魔法に関する文献や、既存の魔力の効率化などの書籍が半分を占めているのだ。もちろんそれ以外の本もある。だがやはり圧倒的に種類が多いのは水魔法に関連したもの。
「女性の家をうろうろと物色するのは、余り良い印象は持てないよ。」
「…すみません。そういえば、生徒会の三人の中でフローアさんの適性だけ聞いてなかったなって。家を探せばヒントらしきものがあるんじゃないかと思って。」
「普通に聞けば良い。」
しかしそうも行かないという可能性があるのが現実だ。魔法適性というのは言わばその人の得意にして必殺の攻撃。それが相手に割れてしまうと言うのは自分の攻撃を相殺されるもの、例えば炎に対しての水のようなものをぶつけられてしまっては、自分の戦力が大きく減少してしまう場合がある。
そういったことを警戒してか、学内ではむやみやたらと自分の適性を言わない方が良いというのも座学で習っていた。
「それで?私の適性は分かったの?」
風呂上がりのフローアさん (全く狙った意図はない)はいつものツインテールではなく長い髪を完全に下ろし、寝間着のような姿でバスタオルで髪の水分を取っていた。風魔法で乾かせば良いのに、よっぽど頭髪のケアを大切にしているのか。
「…水魔法、もしくはそれに準じた魔法適性だと推測しました。」
文献の中だけから獲たヒント、だがそれだけあれば十分だ。
「………そうね。半分正解。」
「半分?」
完全な正解ではないのか?ならば複合系の魔法、例えば水と風のハイブリットとかそういったものか?
「……あなたは、初めから魔法が扱えた?」
「えっと、と言いますと?」
「小さな魔法や簡単な魔法、日常生活レベルの魔法は昔から使えていたでしょ?」
「は、はあ、それはまあ…」
この世界において魔法を扱えるのは別に珍しくもない。魔法の機構自体は簡単なのだ。使い方を覚えれば誰でも扱えて、小さな魔法や魔力消費の少ない魔法は街灯や動力など、日常の生活の中にも利用されている。
「そう…それなら次の質問。」
彼女は部屋の明かりを付けると水魔法で自身の体を浮かし、背の低い本棚の上へ座った。
「『先天的魔力偏向症』って病気、聞いたことある?」
「…聞いたことくらいは。けれどそれがどんな病気かはいまいち……」
数年前、村や町で魔法について調べるうちに見たような記憶がある。たしか極めて珍しい病気で、魔力が関わってるから治療法が見つかってない、とだけしか覚えていない。
「…先天的魔力偏向症に掛かった患者は魔法関連の悪魔的とも言える才能と引き換えに、一生外せない枷を付けられるの。その症状は様々で、膨大な魔力保持量の代わりに魔法が一切使えない体になっていたり、強力な魔法しか扱えず結局その魔法を扱うだけの保持量を一生習得できなかったり………」
「凄いですね。世界的にも例が少ない病気なのに、そこまで調べてるなんて……」
「ここの屋敷には膨大な量の本があると言ったでしょ。その全てを読んでいるのは、全て私に必要だったから。そしてその中にその病気について書かれた本があったってこと。」
「え…?」
俺の直感は確かに当たっていた。確かに彼女の本は全て彼女の能力に敵したものだった。それは当たっていた。
じゃあ、その中にその病気の本があったって事は…
「…気づいた?私も先天的魔力偏向症だよ。もっとも、私の症例は他の人たちと比べてかなりマシだったみたいだけど。」
彼女は自身の小さな手を明かりにかざしながら喋る。
「私の症例は『極度水魔法偏向』生まれつき他の人の何倍も強力な水魔法を扱えた…」
自分で作った水魔法を同じく水魔法で持ってきたグラスに注ぐ。それを一息で飲み干し、一息ついて続ける。
「代わりに私は『他の魔法が一切使えない』んだよ。」
「そ、それってつまり、水魔法が強力な代わりに他の魔法が弱くなってしまったっていう……」
「それなら私は他の魔法が『弱かった』ってちゃんと言う。」
いや、しかしそれは…!
その言葉を額面通りの意味で捉えろと言うことなら…
「今日あなたがここに来てから、私が使った魔法は3種類。水の拘束魔法、水精製魔法、そして水流操作による物体の移動。」
「フローアさん……」
「私は『水魔法以外の魔法が一切使えない』この学園において、私以上の劣等生スタートはいないの。」