最強
その後、ヘロヘロになり木屑を落としながら戻ってきたカイルを迎え、俺たちは改めて実感した。
この一月の訓練では、どれもカイルは全くと言って良いほど息をあげたり、呼吸を乱すこと無く戦い抜いていた。だが今回のドーラさんとの勝負ではカイルは自分の持っている力全てを絞り出すようにして闘っていた。
訓練の跡という状況もわずかに影響しているかも知れないが、それ以上に圧倒的なのはドーラさんの実力。カイルは俺たちの元に戻った際に倒れ込むようにして叫んだ。
「あぁっ!クッソ!!!負けたわ。」
「だぁからそんなに気負うなって!ホントに強くなってたんだから!」
「やめろって言ったろ姉貴。マジでうぜえな。」
「う、うざっ!?」
それに反して、ドーラさんは全くの無傷。息も上がっていなければ、勝負の前と比べて何の変化も無いほど平然としていた。
「か、カイルが…アタシを…ウザいって……あれぇ?シルヴァが分身してるぅ……」
「よし、とりあえずその洪水みたいな涙を拭こうかドーラ。」
「この人は本当に強い。強すぎるが故に、神から重すぎるシスコンという枷を背負わされている。」
「うん、フローア。多分彼女の強さとカイル君への思いは関係ないんじゃ無いかな?」
カイルの言動でめまぐるしく変わる表情と行動。そこだけ切り取れば、普通に度が過ぎただけのシスコンお姉さんなのだ。
「…すごかった、ですね。」
「ああ…レベルが違うとか、そんなもんじゃない。」
彼女と俺たちの間にある圧倒的壁。ことさら俺に関しては適性というさらに分厚い壁もあるだろう。
これが生徒会。トップオブトップの実力か。
「ただただ、今の俺にはすごいとしか言い様がない。これが、この学園の頂点か。」
「ん…あぁ、違うよ。この学園のトップはアタシじゃ無い。」
「…はい?」
会長から貰ったハンカチで涙を拭いながら、ドーラさんが答えた。
いやいや、おかしいだろう。彼女がトップじゃ無い?
今し方会長が言っていた。魔法に愛された女性だと。
ウィザードを目指すこの学園において、魔法に愛されると言うことはすなわち頂点に立つものと言うことでは無いのか?
「じゃ、じゃあ、誰が……」
言いかけたときに思い出した。
そうだ、いた。
彼女は、『副』会長なんだ。
「…ドーラさんは天才。同期の私よりも遙かに凄い実力を持っている。この私でさえ、次期騎士は確実だと言われているほどだから、彼女が騎士に選ばれない理由は無い。」
「いやいや、フローアめっちゃ強いじゃん!」
「……あまり実力者に言われると、嫌みに聞こえるよ?」
「少し前に前線で師団規模の敵を一人も殺さず戦闘不能にした人が何か言ってるよ…」
「実力者、実力者って、大げさなんだよなぁ。でもまあ、そんなアタシでも勝てない相手はこの学園に居る。アタシとフローアの同期にな!」
その人は、二人の実力者の後ろで常に微笑みを絶やさない。
生徒会長、シルヴァ・エンタリア・ハーツ。
副会長の彼女を越える人が居るとすれば、この人以外に選択肢は無い。
「戦績は29勝101敗8引き分け。その少ない勝利も、アタシが次の日に動けなくなること覚悟で全身全霊の魔法を使ったときだけ。」
「思い出すだけでも冷や汗が出てくるよ。ドーラって本気でやるときはマジで命取りに来るレベルだから…」
「それくらいやんないとあんたに勝てないって証拠さ。今のアタシじゃ、捨て身の全力でやっとシルヴァとどっこいってところ。」
「ドーラさんが、捨て身で平行線……!?」
目の前で見せられた圧倒的実力差。そしてこの学園にはそのさらに上が居ることを一日で知らされた。
だが、同時に俺には一つの思いがわき上がっていた。
「…つまり現時点でシルヴァさんがこの学園の最強って事ですよね?」
「現時点どころか、過去最強かも知れないぞー?実際既に何度も騎士に推薦されてるけど、学園生活があるからって断り続けてるんだもんなー?」
「うん。卒業したら謹んでお受けしようと思ってるけど、それまではここで皆との時間を刻みたいなって。」
「何だよー!いいこと言うじゃねえかよ!よっ会長!イケメン!中肉中背!」
「最後のそれは褒めてないよね?」
「…ってことは、多忙な会長が今こうして時間を作ってくれるのは滅多に無いと。」
それならば、このチャンスを生かさない手は無い。
知っておきたい。
エンタリア魔法学園という、ウィザード名門校の頂点を。
「一つ、お願いがあります。」
知っておきたい。
今の自分の実力が、それにどこまで通用するのかを。
「会長、僕と手合わせして貰えませんか?」
「ああ、うん。いいよ。」
簡単に受けてもらえるなどとは思っていない。まずはこの人に自分が戦うに値する人間だと言うことを認識させなければ…
「……いや、え?」
「ん?どうしたの?」
想定外の返答に思わず間の抜けた声が出てしまった。当の本人はと言うと、もう既にストレッチを初めてやる気満々だった。
「い、忙しいんじゃないんですか!?」
「忙しいのは事実だけど、本来ならあと数日は帰って来られない前提で組んでたスケジュールだったから。だから、今日の予定は別に推しちゃっても問題は無い!」
「……遅れた分のそのしわ寄せは一体誰がやるんでしょうか。」
「あ………えーと、生徒会には僕以外にも優秀な面々が揃っているから……」
「ほーう?じゃあいつもアタシが肩代わりしてるあんたの書類を、今度からはちゃんと片付けるんだね?」
「えーと…んーと……そうだっ!後続の教育も先に立つ者の役目だろ!?さ、さあシュティム君!行こう!」
他の生徒会の二人からの突き刺す視線から逃げるように、シルヴァさんは俺の背中を押して進んだ。
俺たちは先ほどまでカイルとドーラさんが戦っていた場所に立つ。
この場に立てば、残留しているドーラさんの魔力を俺でも感じ取れる。
すさまじく練り上げられた不純物の一切無い魔力。
過去にヴァイラさんから感じた魔力と比べても勝るとも劣らない代物。
「さーてと。勝負の内容、どうしよっか。」
そんな圧倒的存在から100以上の白星を挙げ続けているさらに圧倒的存在は、両手をぷらぷらと振りながらこちらに訪ねてきた。
「………まともにやり合っても、勝ち目が無いのは分かっています。」
「うん。残念ながら、今の君じゃどうやったって僕には勝てない。」
情けないが、今の俺の限界まで出し切ったところで、正面切ってのハンデ無しじゃ訓練にすらならない。そんなことは分かっている。だったら、だ。
「…会長の思う、最適解のハンデをいただきたいです。」
「いいね。ハンデを求められているのに、一縷たりとも勝負を諦めた気配がしない。本気で僕を負かす気でいるみたいだね。それなら…」
彼は、俺の眼前数メートル先でまっすぐと俺を見た。
「ドーラとカイル君がやったのと同じルールが一番マシかな…」
魔法、もしくは体の一部が会長に触れることが出来れば勝利。
俺はカイルと違って動き回って翻弄することが苦手だ。だが、俺の瞬間最大火力を持ってすれば、カイルの火力を一時的に越えることは出来るはず。それならば、魔法がかするくらいは可能なのではないか。
「いや、でもそれだけじゃちょっとな…」
しかしこの条件でも、彼はまだ足りないようだった。
「十分すぎるハンデだと思いますけど…?」
「いや、恐らくこれでも勝負にならない……ああ!そうだ、ならこうしよう!」
会長は自らの足を肩幅に取り直すと、俺の方にまっすぐ正対した。
「追加で、俺のこの両足がどちらか一方でも動いたら負け、ってルールも加えよう。」
「な…!?」
提示された、俺にとって圧倒的有利なこのルール。
「ま、妥当だろうな-。」
「これでやっと彼の勝率は1%程度。ほぼ不可能だけれど、ギャンブルとしては悪くない。」
生徒会の面々も、そして会長自身も、誰一人としてシルヴァ・エンタリア・ハーツという男の勝利を疑っていない。
なるほど。今の俺と会長との間にはこれだけのハンデを貰っても99%の敗北が突きつけられるほどの差があるのか。
少し悔しいが、それが知れただけでも十分な収穫だ。
「………分かりました。じゃあ、そのルールで。」
「おっけー。それじゃあ審判、お願いします。」
再度向き合いにらみ合う。いや、睨んでいるのは俺だけだ。
会長は腕を組み、堂々と俺を見ている。自身に満ちあふれたその表情は、かつての俺のコンプレックスであり、同時に憧れでもあったあいつを思わせた。
「それではこれより、シュティム・ローウル対シルヴァ・エンタリア・ハーツの模擬戦を行う!シュティム・ローウルが戦闘続行不可能でシルヴァ・エンタリア・ハーツの勝利!シルヴァ・エンタリア・ハーツの両足がその場から動く、魔法が衣服、もしくは本人に着弾でシュティム・ローウルの勝利とする!」
緊張の瞬間が近づくにつれて、自然と体もこわばる。
だが会長にはそんな様子は一切見て取れない。これから通学でもするかのような余裕の表情。
上等だ。
その余裕を、少しでも揺らがせてやるッ!!!
「開始ッ!!!」
その合図と同時に見よう見まねの天淵氷炭を放つ。
この一ヶ月の魔力の底上げの甲斐もあって火力は試験の時とは段違いに上がっていた。
範囲、魔力効率、純度、全てにおいて過去最高とも言える天淵氷炭の発動に成功していた。
だが分かっている。
この感覚は、魔法を撃った俺だから分かる。
俺の魔法は会長には届いていない。
正確には、何かの力で届く前に消滅させられていた。
「…魔法って言うのはベースとなるものはあれど、基本的には放つ人の能力によって微妙に変わってくる。」
冷気で塞がれた視界の向こうから会長の声だけが聞こえてくる。
「例えば君とカイル君が同じ威力の魔法を撃ったとして、感知能力に長けた者がその魔法を見れば、どちらがどちらの魔法かを見破るだろう。」
この魔法を持ってしても、彼から魔力の気配は感じられない。
というよりも、相対してもなお、会長から一切の魔力を感じられないのだ。俺の感知能力が弱いからか?それでもドーラさんの魔力は感じ取れていた。彼女より強いはずの会長の魔力を感じ取れないなんて事があるのだろうか。
「声に近いかな。聞こえ方、出し方や鍛え方、リラックスの仕方に共通する者はあっても、聞こえる音にはそれぞれの個性がある。」
考え得る答えは二つ。一つは現実味を帯びていて確実性がある。彼が自身の魔力自体に感知妨害の魔法を掛けていること。
相手から魔法の出所を探られないために自分の魔力を自然の魔力で覆い隠して感知を妨害するという手段は、あることにはある。
だがそれは一対多や多対多の戦闘に置いての戦略だ。
一対一の戦闘では全くもって意味が無い。
ならばもう一つの可能性?いや、あり無い。なぜならば、その答えは簡潔に言うとつまり…
「驚いたよ。この技、天淵氷炭は氷騎士のヨシュア様の魔法だ。あの人の繊細で豪快な氷魔法を六割も再現できているなんて。余程あの人に憧れているのか、それともそれ以上の理由があるのか。」
冷気が晴れて、会長の状態が明らかになる。
戦闘開始前の状態と何一つ変わらない立ち位置に、冷気を浴びて少し寒そうに手をこする姿。
魔法は、やはり当たっていない。
「ッ……!!!」
俺は間髪いれずに火炎と雷の魔法を同時に発動する。属性も性質も違う二つの魔法を使うのはかなりしんどい。だがそんなことは言っていられない。
まずは確かめる。己の中の疑問を。打開策を見つけるのはそれからだ。
放たれた魔法はそれぞれの軌道を描いて会長へと向かう。俺と会長の距離を考慮しても、到達まで二秒ほど。どれだけ魔法の発動が素早くても、これなら……
「………!!!」
「うん。この魔法も凄く良い。発動から発射、そして到達までの軌道の予測も炎と雷の二つが合わさることによって困難になっている。よく考えられた魔法だ。」
この魔法も、会長に届く前に消滅してしまった。
だが視界を覆う魔法ではなかったのでその全貌が明らかになる。魔法は、文字通り会長にある一定の距離まで近づくと消えていた。まるで雪が溶けて消えるように跡形もなく。
そしてその現象が起こる瞬間も、会長から魔力の反応は一切見られなかった。
「会長、あんたもしかして………」
「あはは。さすがに対面してこれだけやったら気づかれるよね。まだ学園の大半は知らないから、出来ればこの場だけで納めてほしいな。」
エンタリア魔法学園。魔法の専門職ウィザードの養成学校。選りすぐりの魔法が切磋琢磨し、己の魔力を高める場所。
その頂点に君臨する男、シルヴァ・エンタリア・ハーツ。学園の生徒会長。
「俺は、魔法が使えない。基本的な魔法すら使えないし、魔法適性なんてもちろん無い。それでも君の魔法は僕には届かない。さ、次はどう来るかな?後輩君。」