王都ユリアとエンタリア魔法学園
二章
Shiny Destiny‐魔法に愛 (毒)された少女‐
王都ユリアとエンタリア魔法学園
潮風に髪がなびき、聞こえてくるのは海鳥の鳴き声とさざ波、そして二人の人間のため息と巨大な生物の呼吸。
見渡す限りの大海原に、二人と一頭が漂っていた。
「…なあ。」
釣り竿片手に呑気な大あくびを披露する少女に話しかける。
「なんすかぁ?あ、一緒に釣りするっすか?」
「いやしねえよ。」
「なーんだ。じゃ、おとなしく待つっす。ちゅんちゅんはちゃんと進んでるんすから。」
「そのちゅんちゅんってこの龍のことだよな?こいつ龍なんだよな?でけえ魚じゃねんだよな?」
今現在、少女と俺は龍の背中で波に揺られている。
進んでいるというのはわかる。
巨大な羽と尻尾を器用に動かして水面を滑るように進んでいるのはわかる。
けれどもつい三時間前までは海上の空を飛んでいたはずだ。
当然龍だ。その方がダントツで早いし、風を切って進んでいく爽快感もあった。
だが今はどうだろう。
ゆらゆらと海面を進むこの巨体の速度は漁船と大差ないスピードだ。
いや、一般の人からすればこの速度は速いのかも知れない。
でも幼少期から船の速度になれている自分からしてみれば、この速度は日常の範疇なのだ。
「失敬な!ちゅんちゅんは立派な龍っすよ!生まれも育ちもうちの一家、うちのかわいい娘っす。」
「あ、女の子だったのね…」
「か~!龍の雄雌も分からないっすか。田舎者同士わかり合えると思ってたんすけどねえ。」
「俺は本物の龍を見ること自体、この子が初めてだよ。」
「あぁ、そういうことっすか。確かに、あの地域に龍の気配はしなかったっす。」
龍の背中で移動すること、途中の休憩込みで今日で三日目。
もう自分の土地勘など全くない場所に来ていた。
海上でも経験則と大洋の方角である程度の位置は分かるが、この龍は飛行速度となると格段に早くなる。
俺の村を出て数分で村から歩いて半日の街の上空を越えた。
いくつもの山や渓谷を越え、街を見下ろし、故郷から遙か遠くの地へやって来たのだ。
「おまけにあの村、魔力濃度もかなり薄かったっす。」
「…龍召士のことはあんまり知らないけど、そんなことも分かるのか?」
「龍も体内にある程度の魔力が必要っすから。でもうちに分かるのは君みたいなウィザード…ああまだ候補生でした。ウィザード候補生達が扱う魔力とはまた別のものっす。」
「別の…」
「野菜を煮込んで食べるか焼いて食べるかみたいな違いっすよ。どっちにしても、あの環境で入学試験を突破できる魔法を練習できてたのはスゲーっす。相当、努力したんすね。」
努力、か。
確かに、魔法の習得には、この短い人生の中で、一番努力をした自覚がある。
元々夢も目標もない、時が経てば自然に親の漁船を継いで漁師になる、もしくは、それまで扱っていた魔石と呼ばれる道具を作る人間になる。
そのどちらを選んでも、たいした努力もしない人生になっていただろう。
そんな俺が、村を離れて、遠く離れた海の上に漂う理由。
「努力なしでなれる職業じゃねえだろ。ウィザードって。」
ウィザード。
魔法を扱い、戦闘や防衛などの任務をこなす前線職。
それに選抜されるには、人並み外れた魔法、圧倒的な魔法の適性が必要になる。
そのうちの一つである魔法の適性。
それが俺にはなかった。
ここで魔法が完全に扱えなければ諦めもついたかも知れないが、この世界は、多少の勉強をすることによって誰にでも扱える代物が魔法だ。
そして俺は常人より少しだけ魔法の適性があった。
だがその適性もウィザードに向いていないものだったのだ。
「そうでした。だからこうしてうちが遠路はるばるやって来たんすよ。まさしく夢を運んで飛んでいく幸せの青い鳥っすね!」
「飛んできたのは蒼い龍だけどな。」
「そういえば、シュティム君は学校のことはどの程度知ってるっすか?」
俺がこれから入学するのは『エンタリア魔法学園』という王都直属の養成学校だ。
そこに入るためには、王族貴族か、並外れた魔力を持っていなければいけない。
もっとも、並外れた魔力を持っているのはほとんど王族や貴族、またはその家系なので結局は身分の高い人間ばかりが通っているらしいが。
「俺が知ってるのは、上流階級の人間がいっぱいいるって事と、二年制の全寮制って事くらいか。」
「ああ、こりゃ思ったより何にも知らされてないんすね……申し訳ねえっすけど、シュティム君、選抜入学組っすよね?」
俺は街で行われた数年に一度の出張選抜に合格した。
…いや、合格させてもらった、と言う方が正しいのかも知れない。
大会での俺は、自分の魔法をコントロールできずにただ闇雲に暴発させていただけ、
その火事場の馬鹿力が偶然合格基準の一部に合致していただけだ。
そこで自分の適性も初めて知ったような人間が合格できたのは奇跡と言うほか無い。
「そのときの試験監督…騎士は誰っすか?」
その試験を見に来ていた職員はたくさんいた。
その中でも、騎士と呼ばれる職の人間、ウィザードの最高峰の一角に座する人が、確かに来ていた。
「ヴァイラさんだった。治癒騎士の。」
「あああ…ヴァイラ様か……じゃあ、何も知らなくても無理ないっす。あの人肝心なところ適当だからなぁ…」
「・・・結局聞きそびれてたけど、ココさんって学園の関係者って事で良いんだよな?」
出発直前に聞いたことだが、あのときは魔獣の襲撃から逃れるために村から即座に離れる必要があって詳しくは聞けなかった。
この人は龍召士。
だがそれも全て自分で言っていたことだ。信用するには情報が少なすぎる。
だから今聞き出しておく必要があったのだ
「ああ、ちゃんとした自己紹介はまだしてなかったっすね。えっと、どこまで話しましたっけ?」
「ココさんが龍召士だって事だけ。」
「じゃあ、そこから説明するっす。うちは代々エンタリアに龍召士として仕える一家の末裔っす。魔法学園は全国から精鋭が集まってくるだけじゃなくて、学内から全国の前線に戦力として投入される人間も多いっすから。いちいち歩いて向かってたんじゃ途方もない時間がかかっちゃいますしね。なんせこの国、隣国に比べて無駄に広いっすから。」
「なるほど、要は足ってことか。」
「言ってくれるっすね…。一応誇り持ってやってるんすよ?龍召士って基本的に血統だから、常に人手不足で。」
「それは、なんかごめん…」
この人も苦労してるんだな。
まあ、俺の村みたいな、龍にでも乗らなきゃ一生王都なんて行けないような距離の人間の送迎までしないといけないなんて、考えれば相当きついな。
「…まあ良いっすよ、事実ですから。説明続けるっすよ。」
「ああ、うん。」
「さっきも言ったっすけど、龍召士は基本血統っす。だからうちの一家はエンタリア魔法学園の事なら下手な教師より知ってるっすよ。」
「まじかよ?そんなレベルなのか。」
「はい!そりゃあもうあんな事やこんな事や、表に出さないゴタゴタもある程度は…」
かなりグレーな内容を話す彼女は、ここにきて一番生き生きとしていた。
「…ゴホン!とはいえ、いきなりそんなダークサイド教えても仕方ないんで、シュティム君には旅の暇つぶしがてらお姉さんがいろいろ学園のことを教えてあげるっす!長い話になるんで、はい。これシュティム君の分の釣り竿っす!」
意気揚々と釣り竿を差し出されては受け取らないわけにはいかない。
俺はおとなしく彼女の横に座り、大海原に釣り糸を垂らす。
「…ん?ちょっと待て。今お姉さんって言った?」
「ほえ?間違って無いっすよ。うち、今年で25なんで。」
「敬語にします…」
「あっははは!いいっすよ、今更。堅苦しいし、何よりしんどいっしょ?」
「…すんません」
「んじゃ、どこから話そうかなぁ。まずは———」
ここから先は、さらに三日三晩の旅路が続いた。
その間にココさんが俺に教えてくれたことをいくつか説明しよう。
エンタリア魔法学園。
一説によれば、この国に魔法が出来たと同時に生まれた学園。
当初は魔法全般のコントロールやその技術の継承がメインの場だったが、長い年月が経つうちに、学園出身の魔法を扱うものやそのノウハウを学んだものが同じような場を作る。
そうして派生の別の場所が生まれていくごとに、魔法の歴史である学園を衰退させていくわけにはいかないと、当時のお偉いさん達が、学園の方針を大幅に絞る。
魔法全般を手広く教えていた学園は、いつしか攻撃的な魔法を専門として教える学園へと変化していく。
ちなみにこのとき、他の学園も張り合って方針を絞り、他の種類の特化は生き残ったが、攻撃魔法に関しては、エンタリアが頭一つ抜けていたのでその他の攻撃魔法学園は廃校、もしくはエンタリアに吸収されたらしい。
そんな由緒正しき老舗学園。実績もとても大きい。
まず、メインとなっているのがウィザードの育成。
攻撃特化、戦闘職、強力な魔法。まさにエンタリアの教育目的にぴったりと合致する。
ウィザードになるならばまず、この学園に入学しなければ話にならないと言われているほどだ。
現在の騎士のほとんどはこの学園を出ている。
まさにウィザードを輩出するための学園。
その実績と評判もあって、入学の難易度も桁違いだ。
通常試験は年に一度王都の学園で、倍率はざっと300倍を越えるらしい。
基本的に王都での試験に出られない地域の人間が試験を受けるためには、選抜試験と呼ばれるものを受けなければいけない。
俺はその試験を運良く通過できた訳だが、普通は突破できるものではないらしい。
理由としては単純明快、魔法の制度と威力だ。
この世界において魔法は深と呼ばれるものでその強力さを決められている。
攻撃魔法も支援魔法も、日常に使用される魔法も全てが深で判別されるので、都合が良い単位として用いられているような感じだ。
今回の選抜試験においても、当初その深と呼ばれるもので一定水準を出せたものが合格、と言う審査内容だった。
訳あって事前に審査員の一人であるヴァイラさんに魔法を見られていた俺は、その時点では合格基準である魔法を扱うことが出来なかった。
しかし、それでも俺は諦めるなんて考えは毛頭無く、試験を受ける。
結果として審査内容が直前で変わったことにより、俺は自身の魔法適性を初めて無意識下で使用することで、合格。
運良く合格というのはこの点のことだ。
しかも俺の適性は魔法持久適性。
高火力の魔法や、属性魔法を駆使して戦うウィザードには、全くもって向いていない適性と言うことを認知させられたのだ。
だが、どうやら俺の適性はただの魔法持久適性ではないようだった。
ヴァイラさんに言われたことを要約すれば、
『魔力が底を尽きたときに自身の生命力を魔力に変換し即時使用できる適正』
言ってしまえば、火事場の馬鹿力適性。
その適性を理解できたとて、火事場の馬鹿力。
日常的に使用できる場面はほとんど無いし、使用したとしても、後に絶大な負担がかかる。
試験を終えた後でも俺は何日かまともには動けなかった。
だが、そんな経緯はあれどとにかく俺は、エンタリア魔法学園への入学を決定できた。
やっとスタートラインに立てたんだ。
その実感は、この数日で龍の背中の上で次第に大きくなっていった。
そして、
「明日の朝には到着するっす。今のうちに陸上の感覚を思い出しといた方が良いっすよ?龍酔いって人によっては引きずるっすから。」
三日目の晩にそれは突然告げられた。
渡された双眼鏡で示された方向を見ると、
夜だというのにきらびやかな光が所狭しと並んでいる島が小さく見えた。
「あれが…」
「王都ユリア、これからシュティム君が過ごす場所っすよ。」
この国は一つの大きな大陸になっている。
俺の村もユリア国の領地ではあるが、陸路では途方もない時間がかかってしまうために、龍による最短コースでの移動だったのだ。
船の上でも、港の光はよく見えるものだ。
だがあれは。
「港の灯台の光じゃない…?」
「その通り、さすがは元漁師っすね。」
確かに、双眼鏡無しでもうっすらと明かりは見える。
だがそれでは嵐や高波の際に、船が方向を見失う可能性がある。
それにこの龍が三日も前からこうして海上を泳いで進んでいるのは何か理由があるはずだ。
「…魔力?」
「あはっ。ウィザード候補生は伊達じゃないっすね。」
わずかに感じる魔法の気配から、俺たちのいるこの海上が、魔法に覆われていることに気づく。
かなり感知に集中しないと分からないほどの、薄く、それでも人工的に張り巡らされた魔力だ。
「ちゅんちゅんが着水した場所から、王国は騎士によって魔法の障壁が張ってあるっす。王都内で幾日か生活すれば体がそれになじんで来るんすよ。」
「それとコレと何の関係が…」
「王都の障壁に適応していない人間が上空から侵入した場合、一斉に攻撃を受けるっす。王都は今戦争に怯えている。コレはその火種を国内に入れ込ませないための防御障壁なんすよ。」
「戦争…!?」
聞いたこともない話だった。
いや、戦争という言葉自体は聞いたこともあるし、理解もしている。
隣国にはそれが原因で国民が苦しんでいる国もあると聞いてはいるけど…
まさかこの国が?
「今のところは大丈夫だと思いたいっすけどね。それにそんな物騒な役割だけじゃないんすよ?ユリアを目指している船は障壁の中なら難破することなくたどり着けますし———」
「今のところはって…もし戦争になったらどうするんですか!?たくさんの人が被害を受けるかも知れないのに…」
「だからそのための障壁なんすよ。」
ココは俺の言葉をかき消すように声を重ねてきた。
その声はこの数日で一番大きく、その声にちゅんちゅんの体が一瞬びくりと揺れた。
彼女はちゅんちゅんをなでながら、少しうつむいた様子で続ける。
「今、世界的に不安定にある…らしいっす。隣国同士は領地と資源を求めていつ狙ってくるか分からない。平和がいつまで続くのかが分からないんすよ。そんな戦争の事なんて、国でも一部の人間しか知らないことっす。」
「……」
彼女と出会ってからと言うもの、常に彼女は笑顔を絶やさなかった。
彼女曰く、生まれ育った場所を離れる少年に余計な緊張をさせたくない、これからの未来に期待を抱いて旅立ってほしい。
最初の方にそんなことを言っていた気がする。
その言葉の通り、彼女の話題は、少なからず緊張してこわばっていたであろう俺の精神を良い具合にほぐしてくれていた。
その彼女の顔が、今は…
「…気にしたって仕方ないのは分かってるんすけどね!そんなの誰が分かるんだよって話で。」
俺でも分かる。
今の彼女は、無理をして笑っている。
その顔が、ひどく辛くて、
ひどく似ていたんだ。
「…俺が、守ります。万が一が起こっても。」
「え———」
それは自然と口から出た言葉だった。
「…俺の目標、知ってますか?」
似ていた。
誰に、と言うわけじゃない。
言うなれば、昔の俺にだろうか。
先を見るのが怖い、生きていたとしても先に希望が見いだせない。
そんな毎日を生きていた俺に。
「えっと、何すか?ウィザードになるためにエンタリアに入学したんすよね?」
「ただのウィザードじゃありません。バロン・オブ・ウィザードです。」
「ば、バロン・オブって…過去に一人しかいないウィザード最強の存在にッすか!?」
「今はまだ信じて貰えないかも知れません。魔法が多少使えるだけの『ウィザード候補生』だ。でも俺が目指すのは『ウィザード』じゃないんです。ゴールはそこじゃないんです。」
月明かりが照らす大海原に、二人と一頭が漂う。
「俺がウィザードになる理由は、『全部を俺が守るため』です。俺の手の届く範囲は、もう誰も傷つけさせない。そのために伸ばす手はバロン・オブ・ウィザードの強さを持っていなくちゃダメなんです。」
俺はたくさんのものを失った。
とても大切なものを、俺の弱さで失った。
けれど、俺が強くなれば救えたものだと言うことも、そのときに学んだ。
だから俺は強くなる。
誰がなんと言おうと、不可能だと言われても。
俺はバロン・オブ・ウィザードを目指す。
それがあの人との約束で、俺の中の誓いだった。
「……そう、っすか。無茶で無謀でも、固い決意を持ってる若者は好きっすよ。」
「あ、えっと、その、だから…これから強くなるわけで、えっと……」
「あっはは!急にどもるじゃないっすか!頼りないウィザード候補生…いや、バロン・オブ・ウィザード候補生っすねぇ?」
彼女はぺしぺしとちゅんちゅんの鱗を叩きながら笑った。
その笑顔には、先ほどまでの曇りが、ほんの少しだが消えている気がした。
「さあ、そろそろ休むっす。目が覚めたときには、ユリアの港ッすから。明日から頑張るっすよ、バロン・オブ・ウィザード候補生のシュティム君?」
「…言うんじゃなかったよ、マジで。」
俺は揺れる龍の背中で鞄から寝袋を引きずり出し、若干の恥ずかしさから、
彼女から目を背けるようにして寝た。
背中の向こうから、
「期待してるっすよ」
と小さく聞こえた気がしたが、どうせ空耳だろうと思い、俺は龍の体温に包まれて眠りに落ちた。




