プロローグ
夢。
それを見ることは若者の特権だと、村の老人達は言っていた。同時に、俺たちも昔はこんな夢を持っていたと、諦めた目で村の大人達は答え、俺にはこんな夢があるんだと、曇った目で遠くを見つめて年の近い友人は答え、大きくなったらこんなことをするんだと、輝く瞳で子供達は答えた。
年を重ねるほどに、その輝きを失っていく夢。
かくいう俺も、かつては村の子供達と同じ夢を思っていた。あるときは村にやって来た道化を見て、自分も道化になりたいと玉に乗り、怪我をして諦めた。あるときは村の上空を通る被空挺を見て、発明家になりたいと工作を作り、村の風車を半壊させて諦めた。その後も幾度となく、夢を見ては諦めを繰り返し、今の年になった。
16歳、いや、17になるこの年になって、現在の俺の夢は
無い。
全くない。微塵もかけらもない。このまま順当に行けば、親の漁船を継いで漁師になるだろう。漁だけは8つの年から続けている唯一のものだ。九年もやっていれば、嫌でも他の素人よりは知識も身につく。別段才能があるわけでもないし、魚や海が好きなわけでもない。ただ親の言うがまま、俺自身も親に言われるがままに漁師の勉強をしている。
「シュティム、起きているのか。今日は少し遠くの海域に行くからな。」
漁師の朝は早い。今日も今日とて、日が昇り始める前から海に出て、村の明かりが灯台だけになってから漁港に戻る。今の時期は海流の流れが年に数回の貴重な流れ。この時期を逃すわけにはいかない。
「起きてる。魔石に風を入れてんだよ。」
手元の半透明の石に力を込める。人によってはコレも出来ない人もいるらしいが、その点俺は運がよかった。とはいえ、少しの勉強をすれば手に入る適正ともいえないモノだが。
「そうか。今日は少しで良い。西向きに良い風が吹いてる。もしかすると魔石はいらねえかもな。」
勝手なことを言いやがる。オヤジは魔法が使えない。人生の大半を魚を釣ることに賭けてきたような人間だ。
魔石は便利な道具だ。値段はするし、魔力の込め方に少しばかりの知識がいるが、一時的にその場に弱い風を起こすモノや、炎のように熱を発し続けるモノまで、コストと手間以上に利益をもたらしてくれる。俺は村の連中に勧められて、一番若いからという理由でこの魔石に魔力を込める方法を学んだ。完全に習得するまでに二年半ほどかかったが、別に不満は無かった。特にやりたいことがあったわけでもないし、勉強をしたと言っても遊びと仕事の合間に少しずつだ。それを苦痛だとは思わなかった。まあ充填の仕方をマスターして以来、村の漁師共に良いように使われている気はするが、もちろん対価はもらっている。俺ぐらいの人間には珍しく、この年でそこそこに貯金がある。もっともそれも、買いたいものもないし、最寄りの街まで丸一日かかるような辺境の漁村という理由もあるのだが。
とにかく、この商売は割が良い。オヤジにも何度も勉強を進めた。魔石の使い方さえマスターすれば俺がいなくても、天候にほぼ左右されることなく漁に出ることが出来る。おまけにオヤジはそんなに年じゃない。村の漁師共の中じゃ、まだまだ若い方だ。だがオヤジは、そんなのに頼らなくても俺は風が読める、漁師ってのは己の腕とお天道様の力で生きていくもんだ、とか言うことを抜かして。ふざけんじゃねえ。その割に俺が魔石を使えるようになってからは、俺が暇なら毎日漁に連れて行ってるじゃねえか。
(・・・ちっ。そんなことすら口に出せねえ俺が情けねえ。)
心の奥底でオヤジに罵声を浴びせながら、魔石と少しの道具を込めた鞄を背負う。
どうでも良い。この退屈な日々をあと何日か続ければ、俺は込め屋でやっていける。クソほど何の刺激もねえ毎日だが、別に嫌ではない。だって、今と全く大差ないから。
「おっけ。行くか、オヤジ。」
そして今日も俺は、平々凡々とした一日のドアを開けた。
「やっと見えてきた。シュティム!明かりを灯してくれ、漁港が見えたぞ。」
特に書き留めることもなく、一日は終わった。そりゃそうだ。海に出て、前日に仕掛けた罠を引き上げて、飯を食って、また半日かけて罠を仕掛け、そして戻る。
毎日の行動をいちいち書き込むようなほどまめな正確ではない。俺からしたらこの日常は、朝起きて顔洗って歯を磨く程度の行動。つまりはほぼルーティンだ。
「あいよ。・・・なあ、オヤジ。」
明かりをつけながら、オヤジに向けて話しかける。船尾で船のコントロールをしているオヤジ。モノの数メートルが、そのときの俺にはひどく遠い場所にいるように感じた。いや、正確にはもっと別の何か。
「どしたぁ?・・・おぉ?明かりがしょぼいなぁ、寿命か?」
「・・・何でもねぇ。ケチケチしすぎなんだよオヤジは。さっさと新しい明かり買えっつってんだろ。」
「心配ねえ、陸から見えりゃ良いんだからよ。そんなに心配なら、お前の代で買い換えりゃ良いじゃねえか。いっそのこと、動力も魔石に切り替えりゃどうだ?おめぇならそれくらい出来るんじゃねえか?」
簡単に言ってくれる。風や熱を魔石に込めるのとはわけがちがう。そんな技術も魔力も俺には無い。
「・・・やだよ。それに俺は来年には込め屋になるんだ。漁船はコロンにでも継がせてくれ。」
「かっはっはっは!あいつに継がせたら三日で船がおじゃんだ!」
俺は四人兄弟の長男だ。次男とはそれほど年は離れてないが、3人目以降とは10も年が離れている。次男のコロンは、出来損ない、というほどでもないが、何というか要領が悪い。俺が一週間で覚えられるようなことも、あいつは理解するのに一ヶ月はかかる。おまけに日常的に反復しなければすぐに忘れる。だが根本的に善人なのだ。だから俺もオヤジも、強く責められない。それが返って、あいつを甘やかす結果になっているのだが。
「にしても、込め屋、か。確かにお前にとっちゃあ天職なのかもな。お前は村で唯一、魔石を扱える。比べて、漁師は村に腐るほどいる。」
「腐るほどっていうか、うちも含めてほぼ全家庭が漁師だけどな。一人いかれたじじぃの神父がいるくらいだ。」
「お前が魔石の使い方を覚えたおかげで、今じゃめっきり暇してるけどな。神に明日の波を祈るくらいなら、お前に銅貨渡して頼む方がよっぽどマシだ。」
「信仰も無けりゃ、神も商売あがったりだろうな。せいぜい魔力を枯らされねえように俺だけでも祈っとくさ。」
「お前、無神論者だろうが、俺の子なんだしよ。教会の壁に魚の内臓で落書きしたのお前だろうが。」
「何年前の話してんだよ。今じゃ俺は敬虔な信徒の一人・・・」
「そのオキアーミの脳みそほどのちっこい信仰は置いといて、さっさと明かりつけろぉ?」
「・・・へいへい。」
頭上の明かりを点灯し、灯台へ合図を送る。灯台からの返答は三回。どうやら今日は俺たちの船が最後みたいだ。
「おぉ?俺たちが最後かぁ。かあぁ、面倒だな、おいシュティム。」
オヤジが動力を小突きながら愚痴をこぼした。
「おめえ、港に着いたら森の方から家に帰れ。」
「はぁ?良いよ、俺がやった方が締め作業もさっさと終わるだろ。」
「良いんだよ。おめえ、今日もジャリ共と約束してんだろ?締めまでやってたら、いつになるかわかんねえぞ?」
このオヤジは・・・ヘラヘラ適当にやってるようで、時たま痛いところを突いてくる。確かに今日も友人達と村はずれの森の入り口で約束をしていた。
「・・・良いのかよ。」
「気にすんな。あ、家にはお前の部屋から入れよ?母さんは一回の音じゃ起きねえけど、二回ドアが開いたら起きるからな。」
「・・・おう。」
俺は動力を切り、灯台への合図を送るオヤジを横目に、鞄から残りの魔石を船に置き、ほとんど空っぽの鞄を背負った。
「明日の分の魔石、ここに置いとくぞ。帰りは・・・多分昼。」
「おう、助かるぜ。この量じゃ明日は俺も含めて五隻が限界かぁ。」
「わりぃ。足りねえなら朝にでも・・・」
「いいっつの。たまにはさっさと帰って、晩酌でもしねえとな。」
「飲みはほどほどにしとけよ?」
「だったらてめえはもっと遊んでこい。その年で女の一人もつれ込まねえなんて俺は情けなくて・・・」
「ほっとけ。」
甲板に置いた魔石の中から、効力の切れた魔石を選び、魔力を込める。風魔力を上方向に発生させることで、ほんの数秒だが物体を浮遊させる魔石。俺のオリジナル魔石、名付けて被
空挺魔石(仮)。
魔力の充填も終わり、肉眼でも漁港が確認できた俺は、船首に立った。
「じゃあ、俺行くけど。魔石は順番にオヤジの方から、火の魔石、弱風の魔石、凪の魔石・・・」
「あーあー、説明なんかされても覚えられねえよ。それより、シュティムよぉ。」
顔を上げたオヤジと目線が合った。なんだか久しぶりに、オヤジの目を見た気がする。その目は船の明かりに照らされて、宵闇に夕焼けの輝きをしていた。
「おめえの夢、込め屋で合ってんだな?」
「・・・多分な。」
なぜかオヤジの目を見るのが苦しくなった俺は、船から、オヤジから逃げるようにして、魔石の効力を解放させる。




