勇者
タイトルにルビってふれないのか
「くそっ!!」
男の悪態が宿の個室に響く。
黄色い短髪を掻きむしり、髪と同じ黄色の瞳は血走っている。
彼の名はイライ、王国を拠点に活動する紫電の勇者である。
彼は、今朝配られた新聞の一面を見てすぐにそれを窓から投げ捨てたのだ。
王国にいる3人だった勇者は2人となり、その原因となった囚人が脱獄した。
彼はその囚人を知っている。
その目的も想像がつく、そしてその目的に自分自身が密接に関わっているのも理解している。
「…奴は絶対に復讐しにくる」
それがいつになるのか、それだけがわからない。
友であった神速の勇者の変わり果てた姿を見て、そしてそれを引き起こしたあの男が重症で刑務所の病院に運ばれたと知った時…どうせ死刑になると楽観視してすぐにあの男を殺そうとしなかった過去の自分を殴り飛ばしてやりたい。
「…どうする?王国を出るか?いや、うかつに動くほうが危険か?…アイツの動きが判るまではじっとしているほうが…」
考えても考えても悪い未来が見えてくる。
嫌な考えを振り払うため、今日は朝から酒でも飲もうと部屋に備え付けられている冷蔵庫から麦酒を取り出そうとしたその時だった。
…コンコン、とドアを叩く音が聞こえた。
「…誰だ?」
「私だイライ、ベルモンドだ」
王国騎士長ベルモンド、国王を除けば国防における最高責任者である。
イライはこの男と酒の席を共にする程度の仲だが、ベルモンドがイライの宿に訪問してくることは今回が初めてだった。
「鍵は開いている、勝手に入って来い」
「いいや、来るのはお前だ」
ガチャ、とドアが開く。
「国王がお呼びだ、馬車を用意してある」
王国を抜け、帝国に向かう道中。脱獄から2日目となり、既に太陽は2人の頭上まで昇っていたが、彼らは休まず帝国に向けて歩き続けていた。
グリースとアンリは商人が使う簡易的な舗装のされた道を避け、森の中を突っ切るルートを歩いていた。王国の憲兵や冒険者の追手との遭遇を少しでも避けるためだ。
「アンリ、疲れたら遠慮せずに言うんだぞ」
「…問題ない」
グリースの気遣いにアンリは気丈な言葉で答える。その姿にグリースは微笑み、隣に並んで歩く。
「帝国までは後2日もあれば到着できるだろう、焦る必要はない」
「…なら、少しだけ」
「そうしよう」
グリースはうなづいて辺りを見回す。
近くに獣の気配はなく、追手が近づいている様子もない。グリースは手頃な日陰を作り出している木のそばを指差した。
「あそこで休もう、食う物も飲み物もないが少し休むだけでもだいぶ違うだろう」
「…食べ物なら…ある」
アンリの言葉にグリースは彼女の方を振り向いた。
「…これは、いつ盗って来たんだ?」
「盗みは私の唯一の特技」
彼女の手にはいつの間にか3つのリンゴが収まっていた。見るからに瑞々しく、今朝の市場で売られていてもおかしくないほどだ。
「…どうぞ」
アンリがリンゴを2つ差し出す。
「お前は1つでいいのか?」
「あなたのために…2つ盗った」
「なぜそうまでして俺に尽くそうとする?」
グリースの言葉にアンリは笑って答えた。
「あなたが、私の仇を殺してくれた。あなたは…私が殺せない仇を殺した、ヒーローだから」
「…お前のためじゃない。俺は俺のために神速の勇者を殺しただけだ」
アンリの言葉にグリースはそう言うが、それでもアンリは譲らない。
「それでも、あなたは私のヒーロー。そして…あなたは紫電の勇者…私の仇をまた殺そうとしてくれる」
彼女の瞳は真剣そのものだった。
そして、その瞳に映された感情は心酔と依存…しかしグリースはそれらを受け入れた上で彼女を抱きしめた。
「お前の恨みはよく分かる。俺も奴らに村を襲われ…そして家族たちを殺された、お前と同じだ」
「…同じ」
アンリはその言葉だけを復唱して微笑んだ。
「ただ、お前は俺と違って若い。まだ成人したての少女だ、復讐に人生を賭けるべき人間じゃない」
「…歳も、性別も関係ない!私は私の意思で復讐を決めた!」
アンリはグリースを見上げて叫ぶ。
グリースほアンリの頭を撫でた。
「なにも復讐をやめろなんて言ってない、言っただろ?お前の気持ちはよく分かる…ただ、お前に紫電の勇者は殺させない」
「…どう言うこと?」
アンリの質問にグリースはニヤリと笑って答えた。
「奴は俺が殺す。お前はそれをしっかりと見届けてくれ」
「…それって、見てるだけ?」
グリースは笑顔で言った。
「さあな、お前はお前の意思で動けばいい」
「……やっぱり…」
アンリは笑った。
「…やっぱり、あなたは私のヒーローだ」
木陰の下、2人のリンゴをかじる音が静かな森に響いた。
帝国到着まで、あと二日。