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「もう、帰っちゃうの?」
名残惜しく蓮花は呟く。それは龍の方も同じようだ。
「もっと、一緒にいたいか?」
「うん」
「ならば、そなたが大きくなったら恋人にしてやろう。我は、そなたに一目惚れをしてしまったようだからな」
「恋人?」
「嫌か?」
蓮花は、「恋人」という意味を知らなかったが、知らないとは言えずに、小さく首を振った。
「では約束だ」
「うん。約束」
龍は、髭をピクリと震わせる。
「そうだ、もう一つ約束しよう。それまでに龍の女王を倒す。負けたままでは……面目が立たぬからな」
「めんぼく?」
蓮花が首を傾げると、龍はフッと笑った。いや笑ったと蓮花は思った。
「これはその誓いだ」
龍は、蓮花の額に口を付ける。その瞬間、龍の鱗がふるえて、まるであまたの鈴が鳴るような音がした。蓮花はその音にびっくりして目を回す。その様子を見て、また龍は笑った。
「ではその時までさらばだ」
龍は、ふわりと浮き上がる。
「あ、待って! 龍さん、名前は? 名前を教えて!!」
「龍に名前などない。お前がつけよ」
「私が?」
蓮花は「う~ん」と悩みながら空を見上げた。
「そうだ、あなたの名前は……」
飛び上がった龍が巻き起こした風で、蓮花が叫んだ龍の名前がかき消える。しかし龍は「良き名じゃ」と声を残して、朧月の雲に消えた……。
「……って、夢を見たんだ!」
蓮花は、エヘヘと笑う。
今した話は、そのままではない。身分、場所、性別、名前、それらの事を大きくぼかしている。
「夢だと⁉」
朧月の声が、何故かひっくり返った。
そんな朧月を気にしつつ、隼は「いい夢ですね」と、爽やかに笑った。
「いやあ~。その夢を見て以来、龍好きになっちゃって。私が龍騎士を目指したのは、龍が好き過ぎるからなんだ」
「ああ……。その理由、歴代の龍騎士でも、一番多いそうですよ」
「え? そうなの?」
「はい」
和やかな雰囲気の蓮花と隼とは、反対に、何故が朧月はむすっとしている。そんな朧月に気を使いながら、隼は尋ねた。
「朧月さんは、どうして龍騎士をめざしているのですか?」
「龍騎士など目指しておらぬ!」
「「え⁉」」
蓮花と隼は、驚きの声を上げる。
「なら、どうして?」
「……会いたい者がいたからだ」
「会いたい人? それって、どういう人……?」
「言わぬ!」
「言ってよ!」
「言わぬ!」
◇◇◇
さて、次の日の夕食。
両隣の隼と朧月とは、明らかに料理も品数も違う膳が、蓮花の前に並んでいた。
「あの、これ……?」
「お兄ちゃんから、蓮様が体力をつけるための食事を考えるようにと言われて、豆腐を主菜にしてみました!」
唯一女の出入りが許されている食堂で働く杏は、目を輝かせて言った。
「えっと……。あの……、それは嬉しいんだけれど……。ちょっと食べづらいっていうか……。えっと……その……」
「はい?」
確かに、食べやすい豆腐なのは嬉しい。でも、他の候補生の料理が、見た目よりも味と量重視なのに比べて、蓮花の料理は見た目にも十分に、いや十分過ぎるほどに気をつかっている。つまりは、蓮花の膳は豆腐を使っているだけで、他のどの食事よりも見た目が豪華なのだ。
「杏……。やりすぎだぞ」
隼が一人、頭を抱えた。
気を取り直した隼は、蓮花に説明をする。
「蓮は食が細くて、他の候補生のように、ガッツリとした肉料理は食べられないようですから、食べやすく、消化によくて栄養があるものを出すようにと、杏に頼みました。それで豆腐です」
隼は遠くを見ながら、フッと笑った。
「大豆は、本当に力が付くんですよ。なにせ、昔の私の食事はほとんど大豆の搾りカスだけだったのですが、そのおかがでここまで大きくなったのです」
「大豆の搾りカス……? もしかして、それって……」
「ええ。家畜のエサです」
またしても、孫家での暗い過去を、爽やかな顔で話す隼であった。
そこへ蓮も口を挟む。
「蓮。食は、体を作るに最も大切なものだぞ。杏よ、私にもこちらの膳を持ってくるがよい」
何気に、もう一膳用意するように言う朧月。杏は、まだ試作なので、蓮花の分しか作っていないのだと、ひょいと頭を下げた。
――う~ん。杏ちゃん、なんだか朧月の扱いが雑だなあ。これだけカッコいい人なのに、雑だなんて、杏ちゃん、誰か好きな人でもいるのかなあ?
そんな風に蓮花に思われているとは思わない杏は、嬉しそうに次の料理を蓮花に勧める。
「ささ、蓮様、こちらの料理から食べてみてください」
「う……うん」
まずは野菜と魚の酢の物に、裏ごしした豆腐をかけた料理だ。野菜の緑や赤と、豆腐の白の対比が美しい。
そろりと口に運ぶと、ツンとくる酢が強めの甘酢が最初に口に広がるが豆腐がそれをまろやかにする。
「おいしい!」
「よかったです! 食欲が刺激されるものを用意してみました」
「うん! 最高だよ。もっと食べたくなる!」
次に勧められたのは、茶色い餡の中に沈んでいる一丁の四分の一くらいの豆腐が入った椀だ。生姜の香りがふわっと膨らみ、噛まないでも口の中で餡と豆腐が混じって溶けた。
「う~ん。温かくて、体がとろける~。これ、もう一杯食べたい~」
「じゃあ、次はお代わりをいっぱい作っておきますね」
杏は嬉しそうにニコリと笑った。
「こっちも食べて下さい。自信作なんです!」
杏は油から上げたばかりの揚げ物を厨房から出してきた。何かの……、いや豆腐料理といっているのだから豆腐の団子の揚げ物なのだろうが、肉や野菜、それに海藻も入っているようだ。にいろいろんな物が見える。その豆腐の揚げ団子の周りを大根おろしが埋め尽くしている。
これまで蓮花が見た事ない料理だ。
「こっちの角度から見て下さい!」
杏が皿を傾ける。
「あ! これって!」
「そうです! 龍の頭です」
よく見ると、団子には二粒の枝豆が龍の目に、にんじんが龍の口に、揚げた固麺が二本差さして龍の角に似せている。という事は飛龍頭の周りを取り囲む大根おろしは、龍の鬣だ!
「すごい! 杏ちゃん、本物みたいだよ!!」
「ありがとうございます!!」
龍の頭と聞いて、朧月がおもしろそうに皿をのぞき込んだ。
「ん? 龍などいないではないか!?」
「本物なわけないじゃないですか。料理の名前ですよ!」
「料理の名前?」
「はい。飛龍頭といいます。街ではよく食べられているんですけれど……、本当に知りませんか?」
「知らぬ」
蓮花も知らなかったが、それがバレなかったのは朧月のおかげだ。
「手を付けるのがもったいないなあ~」
「なら私が食べてやろう」
あっという間に朧月が飛龍頭を口の中に放り込んだ。
「む。玉子が入っておるのか……。なかなかに美味……!!」
「もう、一つしかないって言ったのに~! 朧月様の、バカバカバカ!」
「朧月!」
「朧月さん!」
「う……。すまぬ」
朧月があまりにも情けない顔をするものだから、三人はそれぞれぷっと噴き出してしまった。
そんな蓮花たちを、冷めた目で見ている集団がいた。
「あいつ、生意気じゃねえか?」
「そういって、お前。杏ちゃんが蓮に気があるから妬いているんだろう?」
「ばか、そんなんじゃねえよ!」
「でもさ……。気に入らねえな」
「だったらさ……」
内緒話をするために身を寄せ合った少年たちの後ろから、育ちのよさそうな冷たい声が降る。
「憂さ晴らしをしたいか?」
陰口を言っていた集団は、ギクッと身をこわばらせる。
話しかけた男は、ニタリと蛇のような笑みを浮かべた。
「だったら、よい手があるぞ」




