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7


「やった――! 走り切ったぞ! 二人のおかげ! ありがとう」


 蓮花は気の根元で、息を切らせながら寝ころんだ。

朧月がフッと笑いながら、蓮花の脇に腰を下ろし、いつものように頭を撫でる代わりに前髪を優しく撫でつけた。母が生きていたころ、よくしてくれていたのを思い出す。うとうととしかけた頃、隼が問いかけた。


「お二人に聞きたい事があったんです。お二人は、なんで龍騎士になろうと思ったんですか?」


 蓮花は空を見上げた。


「こんな事を言って、信じてくれるかどうかは分からないけれど……」


 そう言って蓮花は話はじめた。


 それは何年も前、春の夜の事。

 後宮の一角に、火を落としたかのように、静かだった場所がある。そこはあと数ヶ月もすると美しい蓮が咲き乱れる池がある夏殿。ぼんやりかすんだ月明かりの下、その池にかかる橋の真ん中で、幼い少女が一人きりで膝を抱え込んでいた。

 少女はこぼれる涙を絹の袂でぬぐうが、何度ぬぐっても次から次へと涙が溢れ顔を濡らす。

 少女は夏殿の主である母を亡くしたばかりの蓮花だった。まだ玉葉も側仕えに上がる前のである。一人寂しい夜を寝台から抜け出してこうして、母を想っては、母が好きだったこの場所で一人涙を流している。


「お母様……。お父様が、お母様はお星様になったって言ってたの。でも、お母様はどの星になったのか教えてくれないの。お母様の星は、どれなの? 教えて」


 蓮花はぼやける視界を上に向ける。

 と、そこに星が一つ煌めいた。いや、煌めいただけではない。みるみるすごい速さで近づいてきたのだ。


「お母様の……星?」


母の星を探していて、星が使づいてきたのだ。短絡的ではあるが、蓮花はそう思ってしまった。

と、バシャンと大きな音がして、星は蓮池に落ちた。


「お母様!」


 蓮花は、池に飛び込んだ。

 池は一見浅かったが、ズボッと足が池底にめり込んだ。慌てて次の一歩を踏み込む。踏み込んだのはいいが、それもまたズブズブと柔らかい土の中に沈む。手で一生懸命水を掻いても足は抜けない。

 蓮花は自分がまずい状態になっている事に気がついた。


――そうだった! 池に入ったらダメって言われていたんだった!!


 今頃思い出しても、もう遅い。


「助けて──!! お母様、助けて────!!」


 悲鳴を上げても、誰も気付かない。なぜならこの池を持つ夏殿の主の命が消え、使用人たちは他の殿に引き抜かれていったからだ。幼い蓮花が寝台を抜け出しても誰も気がつかなかったのは、単に蓮花の子守をする人がいなかったからに過ぎない。

 ズブズブと足がさらに埋まっていく。もう水は胸の高さまでになっていた。


「お願い! 誰か……!!」

「溺れているのか?」


蓮花の前に、金色に輝く龍が現れた。小さな龍だ。その頃の蓮花は、龍が変化するという事を知らない。小さな龍だから、自分と同じ、子供の龍なのだと思い込んだ。


「助けてほしいのか?」

「そうよ! お願い、助けて!」

「ふむ……。まあ、よかろう。我の背に乗るがよい」


 蓮花は、必死にその背中によじ登った。しかし、つるつるとした鱗のせいで、転げ落ちてしまった。


「ふう……。特別に角を持つのを許そう」


 蓮花が見ると、龍の頭には鹿のような形の黄金の角が生えている。再び、龍の背によじ登った蓮花は、その角にしっかりつかまった。


「ゆくぞ」


 龍は空高くに舞い上がる。


「きゃあ──!!」


 蓮花はぎゅっと目を閉じる。そのうち、不思議な事に気が付いた。びゅうびゅうと風の音は激しいのに、なぜか風も寒さもまったく感じなかった。もしかすると、龍の背中に乗っているからなのかもしれない。少しすると、風の音が止んだ。


「目を開けよ。せっかくの夜景ぞ」

「夜景……?」


 そろりと、蓮花は片方の目を薄く開ける。そして、目の前の風景が何かに気がつくと、大きく開いて目を輝かせた。


「き……きれい……」


 光を灯す船が点在する夜の海。多くの龍が住むといわれている険しい山の稜線。人々が暮らす街明かり……。今まで蓮花が想像もした事のなかったような景色だ。


「明るければ、海も青く美しいのだが……」

「ううん。こんなきれいな景色、見たことも、想像したこともないよ!」

「そうか?」

「うん」

「嬉しいか?」

「嬉しいよ。ありがとう。龍さん」

「うむ。……それよりも、すまなかった」

「え? 何が?」

「そなたは、我が池に落ちて溺れたのだと思い、助けるために飛び込んだのであろう?」

「?」


 蓮花は落ちたのは、母の星が池に落ちたのだと思って飛び込んだからだ。


「私、星が池に落ちてきたんだと思ったの。お母様の星」

「お母様の星とはなんだ?」

「私のお母様……お星様になっちゃったの。その星が落っこちてきたから拾おうと思ったんだよ」

「我を助けようと思ったのではないのか?」

「うん」

「そうか……」


 龍は、気まずげに押し黙った。空気を読まずに、蓮花は質問する。


「なんで龍さんは、池に落ちてきたの?」

「……戦いに負けて、吹き飛ばされたのだ。落ちたくて落ちたのではない」

「戦い? 喧嘩? お空の上で?」

「いや、あそこの山が見えるか?」

「うん。龍がたくさん住んでいるって山でしょ?」

「あそこからだ」

「ずいぶん遠くから飛ばされたんだね。相手は強かったの?」

「龍の女王だ」

「……それは強そうだね!」

「うむ。我が王になるには、女王を倒さねばならぬのだが……。この通りだ」


 龍は蓮花が座っている脇の当たりを目で指した。


「怪我しているの!?」

「大した事はない。……おい、何をしておる!?」


 龍はグラリと揺れた。龍の背では蓮花が傷口を触れようと手を伸ばしている。


「危ない! 危ないぞ!!」

「えっとね。痛くなくなるおまじないをしてあげる!」

「そんなもの……」

「お星さまになったお母様が、よくやってくれたの!!」


 龍は、ピタリと黙り、蓮花が傷に手が届くように身をくねらせた。


「え~とね! 痛いの、痛いの、飛んでいけ~! あっちのお山の龍に飛んでいけ~! 龍がぱくりと食べちゃうぞ~!!」


 蓮花は傷から何かをすくい上げるような仕草をして、両手で上に投げるかのようにパアッと手を広げた。その途端に、ぐらりと体が揺れる。


「危ない! しっかり、角をつかむがよい!」


 蓮花は、角をつかみながら、「もう。龍さんは、大袈裟だなあ」と言う。


「ここは、空の上ぞ! 落ちたら、そちの小さな体など、ひとたまりもないのだぞ!」


 龍に顔色というものがあったなら、きっと真っ青な顔をしていただろう。


「ね、それよりも、もう怪我は痛くないでしょ? お山の龍に、痛いのを投げちゃったから」


 蓮花の顔は得意げだ。


「ふふん。あっちの山は、龍の女王の住処。我に怪我を与えたその龍に、痛みを投げるとは……」


 面白がるような龍の声に、蓮花は「あ」と口を押さえた。


「うむ。気に入った。よい仕返しである」


 龍のすました声に、蓮花はプッと吹き出した。続いて龍の笑い声も続く。


「涙は止まったな」

「あ……。うん」


 龍は、瞬く星の間を通り抜けて、地上に――蓮花が座り込んでいた橋の上に下ろした。


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