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「さ、入隊式も終わりましたし、寮へ行ってみませんか?」
「あ、隼が部屋の準備をしてくれたんだったよね?」
「はい。蓮の部屋は一番見晴らしの良い個室です」
個室と聞いてホッとした蓮花だ。場合によっては二人部屋になる事があると聞いていたからだ。
隼に案内された部屋の扉を開けると、ぶわっと中から風が吹き、白い布が風に揺れて蓮花の目を遮った。思わず目を閉じる蓮花。
風は一瞬で止む。
「遅かったな」
目を開ける蓮花。
窓の外は青空と、桜咲く大木。
部屋の中は一面の桜の花びら……。
そして寝台の上で片肘を付き、目を細めて寝そべる、朧月。
「朧月さん! 来てたんですか!?」
「うむ」
蓮は寝台に駆け寄った。
「お久しぶりです!」
のっそりと起き上がった朧月は、長い腕でふわりと蓮を包む。
「蓮。会いたかったぞ」
「ちょ! 急に何するんですか!?」
ドギマギしながら蓮花は朧月の胸を押し返すが、びくともしない。
「隼~! お願い~! 朧月さんを引き剥がして~!!」
隼に助けを求めたとたんに、朧月は腕を下ろした。そして不機嫌そうに「『隼』?」と眉を寄せる。
「朧月様、お久しぶりでございます! あの節は本当に……」
「なぜお前が『隼』と呼ばれておる?」
「え? 私の名前が『隼』だからでございますが……」
ご存じでしょう? と隼は首を傾げる。
「そうではない。なぜ私は『朧月さん』で、こやつが『隼』と呼び捨てなのかと聞いておるのだ、蓮!」
「え?」
何の話かと思っていたが、どうやら隼だけ呼び捨てにされていた事が気に入らないようだ。
「えっと……。じゃあ、これから朧月でいい?」
「無論だ」
やっとご満悦な表情になった朧月を見て、蓮花は内心「めんどくさいなあ」と思った。もちろん、内緒だが。
「ところで、なんで朧月が、僕の部屋にいるのさ?」
一気に言葉も砕ける。
「この部屋が、蓮の部屋だからだ」
答えになっていない。
「なんで入隊式に出なかったの?」
「面倒だからだ」
「……ここは龍騎士隊なんだよ。組織として集団行動をしないといけないんだ。勝手な行動はダメだよ!」
「話はつけてある」
「話? 誰とどんな話をしたのか知らないけれど、ちゃんとしないと失格になって追い出されちゃうの!」
「そういうものか?」
「そういうもの!!」
「……気をつけよう。出来る限り……」
話も落ち着いたようだと、隼が申し出る。
「よろしかったら、龍騎士訓練所の案内をいたしましょうか? 龍学の教室や祈祷所、武道場など様々な施設がございます。大浴室や、食堂などもございますよ」
「あ、食堂って杏ちゃんが働いている?」
「ええ。杏の作る肉饅頭は、なかなか好評なようですよ」
「肉饅頭!」
蓮花は朧月の方をパッと見る。
「良かったね! 朧月も、肉饅頭好きだもんね!」
「うむ。そうか……、では食堂から案内せい」
朧月は、うきうきした様子を隠せない。
「はい。かしこまりました」
二人とも十八歳のはずだが、精神的には苦労した分、隼の方が年上なような気がすると思った蓮花だ。
◇◇◇
『頭似牛、鬣似獅、角似鹿、耳似象、鱗似魚、髭似人、腹似蛇、足似鳳、眼似無』
呪文のような陸源の言葉が、春うららかな日差しの差し込む教室に流れる。そのせいで、試験が厳しいと評判の龍学講義だというのに、半数近くがコクリコクリと船をこいでいる。なんとか起きている残り半数近くの候補生もぼんやりとしている者が多い。また朧月に至っては、講義に参加すらしていない。「出来る限り」という返事の中に、講義に出席するというのは入っていなかったようだ。
それにしても、見込みがない者は容赦なく失格にすると陸源は言っていたのに、いまだに失格になっていないのは驚くばかりである。
――後で、しっかりと叱らなくちゃ!
そういう蓮花は、最前列に席を取り、前のめりで講義に耳を傾けている。龍が好きで、皇宮の古文書を読み漁っていたような娘である。皇宮よりも龍に関しては資料が多いとされている龍騎士訓練所で、さらには講義するのは現役龍騎士ときては、講義が楽しみで仕方がないのだ。
陸源が顔を上げると、頭上の紫のふわふわ――守龍もふんわりと揺れた。
「あ~。龍の姿は、昔からこのように説明されておるのじゃ。頭は牛に似て、鬣は獅子、角は鹿、耳は象、鱗は魚、髭は人、腹は蛇、足は鳳凰に似ておるが、目は似ているものがないという意味なのじゃ。神力を込めた時の龍の目は虹色になるからじゃ。『虹』という文字自体も龍の事をさした言葉なのじゃ。他の部分は賛否両論あるのじゃが、概ね合っているじゃろう。でも、問題は『髭似人』の部分じゃ。髭は人に似ておるかのう? 否。では、この言葉の解釈を述べられる者はおるかの?」
はい! と蓮花は元気に手を上げた。
「また、いつもの二人なのじゃ」
蓮花以外に上がった手は、氾洛修のものだ。どの講義でも、だいたい蓮花と洛修の間で競い合っている状態だ。
蓮花は振り返り、洛修に二っと笑いかける。しかし、洛修は、顔をしかめてフイッと顔をそらす。入隊式で「無理をせぬように」と気遣ってくれたとは思えないような態度だ。
どうやら洛修は、学問で一歩先を行く蓮花に闘志を燃やしているようだ。しかし蓮花は洛修に親近感を持っていた。何故なら、龍騎士訓練所で学ぶ内容の多くは、高官の子息が学ぶような内容ではなく、よほどの龍好きじゃないと知らないような事柄だからだ。きっと、洛修は自分と同じく龍好きなのだろうと蓮花は思っていた。
「では、丁蓮君」
「はい!」
「え~と、髭とは顎の下を覆う毛の事です。龍の髭は、雲のように、ふわっふわのふわっふわです。『髭似人』を、直接訳すと『龍の髭は人間の髭と似ていると』という意味になりますが、人間のチクチクした髭とも、また髪の毛や他のどこの毛ども全然似ていません! 次元が違う別物です!」
なんとか起きていた候補生たちが、一斉にブッと吹き出した。なぜなら陸源の髪の毛よろしく、頭の上に乗っている紫のふわっふわは、陸源の守龍が変化したものだからだ。つまり蓮花は、陸源の髪の毛は明らかに偽物だと指摘したようなものである。
しかし、当の陸源は、何も気にした様子がなく、「ほうほう、それで、それで?」と、先を促す。
「龍は大切な宝珠を、顎の下に隠すそうです。そう、髭の間にです。だからこの文は、髭が人間の髭と似ているというのではなく、髭の間に隠された宝珠が人の魂に似ているといいたいのでしょう。宝珠は人の魂からできたものですので」
「うむうむ。その通りなのじゃ。この龍騎士訓練所の正門に刻印されている『龍ノ髭』という植物があるのじゃ。青の実をつける、目立たない草じゃが、その名前の由来も、龍の髭に隠された宝珠じゃ。龍騎士隊の徽章として使われておるので、よく観察しておくがよいのじゃ」
よくできたの、と陸源は目を細めた。




