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二章開始です。
ここから学園物(?)になります。
「隼さん、久しぶりです!」
龍騎士訓練所の敷地で見知った顔を見つけた蓮花は、大きく手を振った。
以前はやつれ果てていたせいで気がつかなかったが、見上げるほど高い身長の上に乗った顔は、意外なほど整っている。振り返った隼は、弾けるような笑顔を蓮花に向ける。ずいぶん明るくなったものだと蓮花は思った。
「蓮様! お待ち申し上げておりました」
隼の言葉に、蓮花は「あれっ?」と思った。
「隼さん、なんで私の結果を知っているんですか?」
合格者の人数は発表されたが、名前など発表などしていないはずだ。夜遅く、最後に適性検査に合格した蓮花の事を、適性検査の最初に合格した隼が知っているはずがない。今日の候補生入隊式で会ったら、びっくりさせてやろうと思っていたのに……。と蓮花は首を傾げる。
「実は……」
隼の後ろから「お兄ちゃん」と、何かをねだるようなかわいらしい声がする。
「杏さん?」
隼の後ろから、頬を赤く染めた杏が出てくる。
孫家で会ったときは、弱々しく諦めたような目をしていたが、今の杏からは、強さと逞しさを感じる。
しかし蓮花は慌てふためいた。
「杏さん! ここ、龍騎士訓練所! 女の人が入っちゃダメな場所だよ! もし見つかったら……」
「大丈夫でございます」
隼が、やんわりと蓮花を遮る。
「実は、私達はこの龍騎士訓練所で働かせていただいているのです」
「え? でも……」
「はい。基本的に女性の方は中に入れないのですが、唯一出入りが許されているのが食堂なのです。杏はそこで。私は今日まで、寮の下働きとして……。寮のお部屋の準備もしましたから、合格者のお名前をいち早く知っていたのです」
「ああ、それで……。それにしても、どうして二人とも龍騎士訓練所で働く事になったの? 確かに、あんな風に孫家を出ては、行く先もなくて大変だろうとは思ったけれど」
そう思ったからこそ、蓮花は二人との慌ただしい別れ際に、財布を押し付けたのだ。
隼はその赤い絹の巾着袋を、スッと差し出す。
「中のお金には、手を付けておりません」
隼はしたたかな笑みを浮かべる。
「実はあの後すぐに、龍騎士には『国の保護』があると蓮様が言っていたのを思い出しました。そこで杏と二人して龍騎士訓練所に乗り込み、必ず龍騎士になるからと交渉し、杏の住むところと仕事を確保したのです」
「交渉?」
隼の自信ありげな様子を見れば、なかなか良い条件を引き出したのだろう。
「相手が試験官を務められた可丈先生だったのが幸いでした。その……可丈先生は検査の時にも俺に同情的で、すぐに孫家を出て訓練所に住めと言ってくれたほどでしたから。先生は、杏に下宿先と、ここでの仕事を紹介して下さったのです」
蓮花は、橙色の守龍を襟巻のように首に巻いている、龍騎士の姿を思い出した。蓮花が見た時は、揉め事など面倒くさいという顔をしていたが、なかなか世話焼きのようだ。
「そっか……。頑張ったんだね!」
そういうと、大きな体で子犬のように「はい!」と体中から喜びを表現した。
杏も、ぺこりと頭を下げた。
「蓮様! あの節はありがとうございました。蓮様のおかげで、今も、こうしてお兄ちゃんと一緒にいられます」
「僕のおかげだなんて……」
練習のおかげですっかり「僕」呼びが身についた蓮花は、「そんな事はない」と言いかけたところで、杏は瞳を潤ませて、ずずずいっと蓮に迫った。
「蓮様は私の命の恩人! 英雄! そして初こ……の人」
後半はなぜか急に声が小さく、むにゅむにゅと不明瞭になったために何を言っているかよく分からない。
「杏。蓮様がお困りになっているから……」
「も、申し訳ありません。あの、蓮様! ふつつか者ですが、これからもよろしくお願いいたします!」
杏の言葉は何か間違っていると思いながらも、指摘したら失礼のような気がして蓮花は何も言わずに、笑みを浮かべた。
「嬉しいよ。これからよろしくお願いするね」
そう蓮花が言うと、杏はキャーと叫び声を上げながら、どこかへ走って行ってしまった。隼は、なんとも言えないような顔をして、杏を見送っている。
「あ、そうだ。隼さん! 『蓮様』じゃなくて、『蓮』って呼び捨てにしてよ! 隼さんの方が年上なんだし!」
「でも……」
蓮花は勇気を振り絞って、何でもない風に言った。
「それに友達なんだからさ」
蓮花には後宮育ちで友達がいない。一番親しいのは側仕えの玉葉だが、やはり友達というには身分が邪魔をする。どうせ女であることも、皇族であることも隠すのだ。だったら蓮花は本当の友達を欲しいと思っていた。
「俺なんかで、いいんですか?」
「うん。むしろ、隼がいいよ! もちろん杏さ……杏ちゃんもね」
杏の名前が出たことで、隼は目を細めた。
「では、私の事は隼とお呼びください。なにせ友達どころか同僚もおらず、上からは良くて呼び捨て、他には『お前』とか『てめえ』とか……。『さん』付けで呼ばれた事が今までなかったもので、少々、面はゆい気持ちでおりました」
爽やかな顔で、なかなかに黒い歴史をさらっと語る隼である。
「そうだ。もうそろそろ、入隊式が始まる時間でございます」
「もうそんな時間⁉ ねえ、朧月さんは? 朧月さんはもう来ているの?」
朧月は、蓮花の直後に合格していた。
あの時の事を思い出すと、蓮花は少し寂しい。なにせ、適性検査合格といのは、一大事のはずなのに、蓮花の合格は影が薄いのだ。朧月が可丈の前に現れたとたんに、可丈の守龍が大騒ぎをして、逃げ出そうとした。可丈も、守龍を捕まえるのに忙しく、あわや蓮花の合格は気付いてもらえないところだったのだ。その後、可丈に捕まえられた守龍だが、朧月の合格した時に絶望した顔をしていた。蓮花は、龍にもそんな顔ができるのかと感心したほどである。
朧月と言えば、合格の報告を玉葉にしたときに、丁家の護衛ではない事を蓮花は知った。実際の丁家の護衛は、腕利きとしてはありえないことに、蓮花の事を見つけられなかったそうだ。
それならば、どうして孫家に一緒に乗り込んでくれたんだろう。それに、蓮花の事を「大切な人」と呼んだ意味は? もしかして、昔、会ったことがあるのだろうか?
あの時のお礼と、様々な疑問の答えを聞きたいと、朧月の姿を探して、キョロキョロする蓮花に隼が申し訳なさそうな声をかける。
「朧月様のお姿はまだお姿は……」
「そう……」
少しして龍騎士訓練所の、『龍ノ髭』という、青い実をつける植物が彫られた門扉が、守衛によって閉じられた。もう入ってくる人はいないという事だ。
朧月が来ていないという事は想像もしていなかった。もしかしたら、龍騎士になるつもりがないのかもしれない。
がっくりと肩を落とす蓮花に隼は、講堂に行きましょうと誘う。
その隼に、蓮花は無理矢理、明るい笑顔を向けた。




