虹色の切っ先は鋭い。
虹色、の切っ先は鋭い。
虹色であることとはつまり虹色を構成する七色、つまり赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色のいずれもをその材質、つまり切っ先が反射していることに等しい。否、虹は七色ではない。厳密には七色に限らない。虹の色数は文化により異なり、上記の七色であるのは日本文化に限られる。いや、もしかすると他の文化にも有るかもしれぬが、しかしながらそれを追求することは控えておこう。
虹色の切っ先、は鋭い。
切っ先、それは切断面に等しい。一般的に金属製の刃物と結びつけて考えられるが、無論それは金属に限られない。太古の人類は黒曜石の砕片を刃物として利用したらしいが、勿論それは金属ではなく、鉱物である。はて、金属は鉱物に含まれぬというのは正しいかしら、と此処まで書いておいて疑問が浮かぶ。果たして、鉱物は岩石を構成する物質の事であると辞書は語る。ならば金属は鉱物の一種であらぬか。いやはやお恥ずかしい。
虹色の切っ先は鋭、い。
鋭いとは何であろうか。鋭い物体、例えば針。針に指を押し付けるという試行は、当然皮膚の損傷と流血、そして幾許かの痛みという結果を生ず。とすれば恐らく、鋭いことの本質は損傷、流血、痛みのいずれかに在る。しかし鋭さは物体に限られるだろうか。答えは否である。鋭い言葉。言葉は時として心に傷を生ぜしむ。無遠慮な誰かの放つ鋭い言葉に心を抉られた記憶は、貴方にも有るだろう。この場合、鋭いことは実際に損傷を、そして流血を生みはしない。しかし痛みは生ずる。であれば、鋭いことは痛みを齎すことに等しいであろう。
虹色を構成する七色、つまり赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色、これは日本文化に於ける例であり、文化に依り異なる場合がある、のいずれもをその材質、つまり切っ先が反射している、の金属、これは鉱物の一種である、に限られない物質の備えた切断面、は痛み、これは身体的なものに限れない、を齎す。