1・魔女の目醒め
音も聞こえぬ泉の底。そこに私はいる。此処が泉の底だと分かるのは何故なのだろうか。そんな疑問が脳裏をよぎるのにただ事実として此処が深く深く光さえ届かない水底であるのは分かるのだった。
段々と意識が鮮明になっていくにつれて自分が致命的なことを覚えていないことに気づいた。
私は誰だろう。呼吸の仕方、手の動かし方、そういったものは何故か頭に入っているのに肝心な自分の記憶がない。
《…起キタノ?…心配シタワ》
誰の声と疑問に思った瞬間にこの声は深淵の森の精霊たちのものだと認知できた。
《…死ンデシマッタノカト思ッタワ》
《…スカーレット、良カッタ、生キテイル》
《…眠ッテイル貴女モ美シカッタワ》
幾重にも重なる精霊たちの声が、水底に反響する。無機質な精霊たちの声を初めて聞くはずなのに、懐かしいと感じるのは自分が昔この声をよく聞いていたからだろう。
そして、精霊たちの囀りから自分の名がスカーレットだとういうこと、長い間眠りについていたことを思い出したが、名前に関しては実感がわかず、眠りについていたのは覚えているが何故眠っていたのかは思い出せなかった。
意識が完全に覚醒し、身をよじると身体の至るところに巻きついていた水嵩が優しく解けていったのが分かった。身体の縛めが解けたあとは、浮力に従いゆっくりと水底から水面へと上がって行った。上も下もない水底からの浮上は本当に水面へ進んでいるのか不安に思ったが、何故か水面へ向かっているという確信の方が強かった。
段々と深淵の暗さから仄暗い暗さに変わっていき、水面に顔を出したときには眩しいくらいの月の光が降り注いでいた。
岸に上がり、自分の身体を一通り触って確認している間には、身体も腰まである暗く黒い長い髪も乾いていた。精霊たちが乾かしてくれたのが分かるのは便利だった。
《…スカーレット…貴女ノ住ム塔カラ持ッテキタワヨ》
蜥蜴の身体にコオロギの脚を足したような外見の精霊たちがローブを着せ始めたときに、自分が何も着ておらず、それがあまりよろしいことではないことも思い出した。ローブは色こそ地味な黒だが、細かく丁寧な装飾が施されており、コオロギの脚では細かいボタンやレースリボンを付けるのは難しそうだった。装飾の多さに困り果てる精霊の頭を撫でてやるともういいと判断したのか暗い森へと消えていった。姿はすぐ見えなくなった。
一陣の風が吹き、髪を服を撫でて行く、静けさが当たりを包み込んだ。自分は何者なのか、此処は何処なのか、どのくらいの期間眠っていたのか考えることは山ほどあるのに何となく分かるようで分からないことが多く混乱しているようで落ち着いている不思議な感覚に陥った。ふと、風に乗って運ばれてきた微かな匂いが鼻腔をくすぐる。
「…何て甘い…血の匂い…」
長く長く眠っていた自分がこの匂いを知っていて、この匂いが血の匂いだということを無意識に口に出したことに驚いた。
そして、眠りから醒めたあと1番に発した言葉がこれだなんてと、自然に笑みが溢れ、甘美な香りに釣られるように深い森のもっと奥へと足を進めるのだった。
仔犬は次に出てきます。
魔女ショタ流行ってほしい。