第二十話:前編
「え?もう退院した?」
驚きのあまり、亜蘭の声が裏返った。
「だって、彼女が目を覚ましたのは昨日のことでしょ?それなのに今日退院なんて、そんなことあるはずが…!」
「わたしも、そんなことは重々承知なんですけどね」
医師は、苦い顔をする。
「彼女の保護者に意識が戻ったことを連絡したとたん『迎えに来る』なんてぬかすものですから。まあ、入院費を耳揃えて払われちゃあ、わたしには決定権はないんですけど」
「そ、そうですか」
亜蘭は、そっと後ろを振り返った。
「……」
「……」
世良と犀が、明らかに落胆した表情で立っている。
それはそうだろう。せっかく心配していた仲間の安否を確認できたとおもったら、またすぐ居なくなってしまったのだから。
「…ん?待てよ?」
ふと、あることに思い至った亜蘭は、医師に尋ねる。
「ちなみにその保護者さんって、なんてお名前でしたか?」
「え?知らないのかい?あの少女は君たちのクラスメイトなんだろう?」
しまった、とは思ったが、亜蘭は苦し紛れに答える。
「すんません、ど忘れしちゃって」
「おや、そうかい?…うーん、しかしなあ」
そこで、医師は思案顔になった。
「わたしもわからないんだよなぁ、名前」
「…え?」
「いや、なにせ最後まで名乗らなかったものだからね。あの娘をここに連れてきた時も、彼女の入院をわたしが了承したあとに、慌ただしく出ていってしまったしね」
「…その、つかぬことを聞きたいんですけど」
今度は怪しまれないよう、亜蘭はおそるおそる尋ねる。
「いきなり誰かもわからない女の子を連れてこられて、よく入院を許可しましたね。何か理由でも?」
「理由、か」
そう言うと、医師は照れ臭そうに頭をかく。
「まあ、職業病みたいなものかな。一目見て体調が悪いと分かる者を、素性が知れないからとみすみす追い返せなかっただけだよ。入院費を満額現金で払うと確約してくれたし。それに、なにぶんこの病院はそう大きくないからね。ある程度までなら、わたしの裁量でもなんとかなるんだよ」
最後の方は自虐的な響きもあったが、それでも、医師はどこか誇らしそうにそう答えた。
そして、亜蘭の後方に目をやると、首をひねる。
「それにしても、三人も居て誰も彼女の保護者の名前を知らないとはな」
「あっ、で、でも!」
これ以上怪しまれるのもマズイと思い、亜蘭はまた出任せを言う。
「名字ならわかりますよ!えーっと、さ、斉藤!」
「残念、内藤だよ」
「あ、あれ?」
「全く、本当にクラスメイトなのかい?」
「うう、えーっと…」
亜蘭は、どう言い訳をしたものかと頭を抱えそうになる。
すると、
「はい。いえ、なにせ彼女は名前がとても個性的だったものですから」
亜蘭の後ろから、世良が助け船を出した。
医師は、世良の言葉に首をかしげる。
「おや、そうだったかな?」
「ええ。なにせ『ノア』なんて名前、ここらじゃあまり聞きませんし」
「…なるほど、確かにクラスメイトみたいだね。安心したよ」
その言葉に、亜蘭の顔が歪む。
「…カマ掛けました?」
「ああ。ここでまた名前を間違えるようだったら、君たちの親御さんに連絡させてもらうところだったよ。いや、よかったよかった」
と、世良は踵を返すと、
「それじゃ、行こっか。鈴木くん、伊藤くん」
と言って、玄関口から出ていく。
「え?ちょ、ちょっと待てよ!おい、犀!早くいくぞ!」
「へ?あ、ああ、おう」
そうして、亜蘭と犀は、何故かにこにこと微笑ましそうに笑う医師に見送られながら、世良を追いかけた。
◇
「それにしても」
二人が世良に追い付いて、しばらく歩いてから、亜蘭はおもむろに口を開いた。
「どうしたんだよ、いきなりあんな助け船なんか出して」
「どうして、か。フッ、君はまだ気づいていないようだな」
世良は、亜蘭を小馬鹿にするかのように、口の端だけを吊り上げて笑う。
「もちろん、あそこで会話を切り上げて、とっととノアを探しにいくためだよ」
「いや、でも、まだその娘がどこに行ったのか分かってないだろ?」
「全く、魔王ともあろうものがその体たらくかね?」
チッチッ、と人差し指を振る世良を、亜蘭は恨めしそうに見た。
「なんだよ、俺だけじゃないぞ!犀だってまだ分かって- 」
「いや、俺ももう分かったぞ」
「…まじ?」
「マジマジ。まあ、どこにいるか分かった、と言うよりは、どこにいるか見つける方法が分かった、ってところか」
そうして、犀は、もったいぶる世良の代わりに、亜蘭に説明を始める。
「だって、あの医者が言ってただろ?『患者の保護者の名前は内藤だ』って」
「でも、この町に『内藤』姓の家なんか複数あるだろ?その中からどうやって、当たりの家を探すんだ?」
「いや、そこはお前や世良の魔力感知能力の出番だろ」
そこまで言われたところで、亜蘭の口から
「…あっ!」
という声が漏れた。
そのまま、世良が説明を引き継ぐ。
「今の彼女の体は、入院中と違って魔力で満ちている。君の魔力補充のお陰でね。それならば、君やわたしの魔力感知にも当然引っ掛かるだろう」
「それは、まあ、確かに…」
「だろう?ふふん、まあ、この『大賢者』セラスフィアにかかれば、この程度の策はすぐに思い浮かぶさ。いや、君が少々無能と言うべきかな?」
そこまで言うと、世良は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
そうして、亜蘭に背を向けると、
「とにかく、一刻も早くノアを迎えにいかねばなるまい。急ぐぞ、無能魔王どの?」
と言って、歩き出した。
亜蘭が唖然とその背中を眺めていると、犀が慰めるように肩に手を置いてくる。
「その、許してやってくれ。セラスは、その、ちょっと調子に乗りやすい質なんだ。大目に見てやってくれるか?」
「ああ、それは構わない。でも…」
亜蘭は、犀にすら聞こえないほどの小声で呟く。
「その作戦、問題点があると思うんだが…」
◇
「…それで、魔力を感じるところまでやって来た訳なんだが」
そこで言葉を止めると、亜蘭はじろりと横にいる世良を見やる。
「ここからどうするのかな、大賢者さま?」
「う、あ、あー…」
世良は、答えることができずに唸るばかりだった。
それもそのはず。
三人が魔力を追ってやって来た古アパートには-
なんと、四つのドアの内の三つに『内藤』の表札がかかっていた。
犀は、困り顔で首をひねる。
「これじゃ、どこにいるのか絞れないな」
「ああ。ノアとやらに与えた魔力の量が多かったせいで、この建物の中にいるということまでしか確認できない。おやおや、どこかの大賢者さまは随分と詰めが甘いとみえる」
亜蘭が悪意全開の半笑いを顔に張り付けながらそう言うと、世良は黙りこんだまま、アパートの方へずかずかと歩いていく。
「お、おい、世良?」
「ふ、ふふ、まさか、私がこんなことをする日が来るとはな」
「おい、なにするつもりだ?」
追い付いてきた亜蘭と犀の方を振り返らずに、世良は震え声で答えた。
「こうなってしまった以上、もう私かが体を張る以外に方法はあるまい」
「ま、まさか、術かなにかで探すつもりか!?そんなことしてここの住人にバレでもしたら、お前、『こちら』にいられなくなるぞ!」
「…私が辛い思いをするだけでノアが見つかるというのなら、それで構わないさ」
「おい、やめ- 」
亜蘭と犀の制止も聞かず、決意の表情で三つの内の一つのドアの前に立った世良は、そのままゆっくりとドアの方へと手を伸ばし、
-そのまま、普通にインターホンを押した。
硬い表情の世良と、呆然とする亜蘭と犀がそれぞれ無言でいる中、「ピンポーン」という音が、ひどく間の抜けたもののように鳴る。
と、がちゃりと音がして、
「はいはい、なんですか?」
痩せ気味の眼鏡をかけた女性が、開いたドアの隙間から顔を覗かせた。
世良は、医師と話していたときののような作った笑顔で尋ねる。
「すいません。こちら、内藤さんのお宅ですよね?」
「…玄関を見れば分かるでしょう。それで、なんの用?」
「それがですね。つかぬことを伺いたいんですけど…」
そこで、世良は神妙な顔になる。
「この辺で、青い髪をした女の子、見てませんか?ノアって言う名前で、背丈は私よりちょっと低いくらいなんですけど」
「知らないわ。そもそも、なんであなた、いえあなたたちはその子を探しているの?」
「じつは、その子はクラスメイトで、ここのところずっと体調不良で休んでいたんです。それで、お見舞いにこようとおもったんですけど、私達、彼女に家の場所を聞くの忘れちゃってて。だいたいこのあたりっていうのはわかるんですけど、困り果ててまして…」
世良が申し訳なさそうに肩をすくめると、女は気の毒そうな顔になる。
「そう、それは大変ね…ああ、そういえば、心当たりがあるかも」
「ほ、本当ですか!?」
突然食いぎみに顔をあげた世良に驚きつつ、女は答える。
「ええ。たしか、昨日の夕方辺りだったかしら。ここはご覧の通りのボロだから、壁が薄くて普通に音がきこえたりするのだけど、二つとなりの内藤さんのお宅から、女の子の話し声が聞こえた気がするのよね。あそこは男の人独り暮らしだった筈だから、ひょっとしたら…」
「あ、ありがとうございます!」
「いいえ、いいのよ。それじゃあね」
そう言うと、女は顔を引っ込め、ドアを閉めた。
それを見届け、世良は得意気な顔で置き去りになっていた二人の方へ振り替える。
「どうだ!」
「いや、どうだ、と言われましても」
「…犠牲?」
「なんだ、なにか文句あるのか?」
世良はふて腐れた顔で、のしのしと二人に歩み寄る。
ある程度近づいた所で亜蘭が顔を伺うと、なにやら世良は赤面していた。
「え?一体どうしたんだよ」
「う、うるさい!初対面の人間と面と向かって話すのは、わたしにとってかなり気恥ずかしいことなのだ!」
「はあ…」
「だが、これもノアを迎えるためと、そう思えば我慢もできようというものだ」
恥ずかしそうながらもまた得意気に胸を張ると、先程の女性に教えてもらった通りに、二つ隣の『内藤』のドアの前へと向かう。
亜蘭と犀は顔を見合わせると、とりあえず世良を追いかけた。
そして、世良に追いつくと、二人は世良の前へと出る。
「下がっててくれ、世良」
「…なんだ、いきなり」
「もちろん、安全のためだとも」
「そうそう。俺たちはまだ、『ノアの保護者』だっつー男が、善人か悪人かも分からんからな。用心に越したこたぁない」
「む、それもそうか」
世良がおとなしく引き下がると、亜蘭がインターホンを押す。
そして、ドアを開いて中から出てきたのは-
「…あ」
「あなたは…」
「…!君たちはたしか、ちょっと前の二人組だね?えーっと…うちに、なにか用かい?」
数日前に亜蘭と犀が出会った、工事現場の黒髪の青年だった。




