叫んだって仕方がない
九藤 朋様主催の「黄昏時コンテスト」への提出作品です。
九藤 朋様のマイページ
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主催者の九藤 朋様が、イラスト「ノイズ」を描いてくださいました!
冒頭に挿入させていただきます。
僕は叫び声を聞いた。思わず雑踏の中で足を止めてしまう。名状しがたい叫び声だった。人間のものとは思えない。まるで全ての動物が一斉に断末魔の声をあげたかのような叫びだ。人々は平然と前へ歩き続ける。どうやら叫び声を聞いたのは僕だけのようだ。
夕日はビルの群れに身を隠し、人々は駅と接続されたペデストリアンデッキを帰路として歩む。仕事で疲れ果てた中年のサラリーマン、友だちと楽しそうに話しながらスマホを弄る女子校生、そして両耳を押さえて立ち止まる僕。後ろから来る人々は上手に僕を避けて去る。誰かが僕を気にかけることはない。
叫び声は一瞬で止んだ。しかし、余韻は長く残された。怒り、悲しみ、狂気など、様々な感情の入り交じった叫び声は、僕を不安と恐怖で満たした。まるで、さっき書店で買ったドストエフスキーの『罪と罰』が、リュックサックの中で概念化し、背中を這い回っているかのようだ。
しばらく同じ体勢でいた。背中を丸め、足を見下ろし、耳を塞ぐ。ずっと同じ風景を見ていた。沢山の似たような靴が次々に前へ進んで行く。その様子は僕に何のメッセージも残さない。
やっと耳から手を離すと、激しい日常の音が耳に流れ込んできた。靴と路が触れる音、人々の話し声や笑い声、車やバイクの走行音、信号機から流れてくるカッコウの鳴き声。世界はこんなにもうるさかったのか。
僕は口をぽかんと開けて辺りを見回す。少し前まで茜色に染まっていた西の空は、ほとんど紺色に侵食されていた。しかし、人々の様子は変わっていなかった。同じことが永遠にループしているように思えた。
小さな一人に何かが起こったとしても、大きな世界は何も変わらない。一人の人間が何者かに殺されても、関係のない人々はいつも通り三度の食事をとり、いつも通り登校出勤し、いつも通り寝る。なぜかそのようなことを思った。
僕は何事もなかったかのように歩き出した。
世界には多くの苦しんでいる人々が存在する。貧困に苦しむ人々、人間関係に苦しむ人々、悪環境に苦しむ人々。彼らはしばしば悲痛な叫びをあげる。しかし、それは何の結果も生まないことが多い。問題が改善されることはあるが、知らんぷりされることがほとんどだ。
ならば、頼れるのは自分しかいない。世界が反応しないのなら、自分が行動を起こさなければならない。
きっと僕がここで、おぞましい叫び声を聞いた、と助けを求めても、耳を貸す者はまずいないだろう。ただ白い目を向けられるばかりだ。だから僕は叫ばない。この問題を解決する可能性を持つのは僕だけだ。
世界は変わらない。同じことは繰り返される。毎日人々は誰かと会うと話をする。毎日太陽は西へ傾くと赤くなる。
叫んだって仕方がない。世界を変えることはできないのだから。しかし、何か行動を起こせば、大きな変化をもたらすことができるかもしれない。
駅の構内に入ると、美術館でムンク展が催されていることを宣伝するポスターが壁に貼られていた。
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