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華氏/一両花(下)

「……お……い」


 遠くで誰かが呼んでいる。


 がたがた、と、あちこちの扉や戸棚を開けたり締めたりする音がする。

 繰り返し名前を呼ぶ誰かの声に、僕はぼんやりと目を開けた。


 重いまぶたをこじ開けて、二、三度瞬きをすると目が覚めてくる。


「──怜乱れいらん、どこだ」


 僕を呼ぶ声は、締め切った部屋の壁の向こうから聞こえてくるみたいだ。


 ──ここはどこだろう。


 首を回すと、そこら中に置かれた木箱やら状案ながづくえやら、いろんな物が目に入る。

 頭の上に斜めになった板があるから、ここは製図台の下みたいだ。

 ということは、ここは物置か。


 ──何でこんなところにいるんだっけ。


 考えていると、がらりと戸が引き開けられた。

 足音が、部屋をぐるりと半周してこっちへやってくる。


 僕は急いで、台の下からい出した。

 狭くて暗いところはなんだか落ち着くから、無意識にもぐり込んでしまってたみたいだ。


「怜乱! こんなところにいたのか」

「あ──ご主人様」


 目の前に立った壮年男性の顔を見たとたん、ぼんやりしていた頭がはっきりした。

 そうだ。彼が僕のご主人様だ。


 ご主人様はちょっとしたいおりを構えて画師えしをやっているんだけど、それだけじゃ食べていけないから普段は町の人に読み書きとか算術とかを教えている。

 ご主人様は僕の顔を見て、ふっと口許に笑みを浮かべた。


「怜乱、寝癖がついてるぞ? また居眠りをしていたな。

 頼んでおいた片付けはどうした?」


 悪戯っぽく聞いてくる口調に、怒ったようすはない。


「ごめんなさい」


 ご主人様のいいつけを守らないのは悪いことだから、僕は素直に頭を下げた。

 でも、暗いところで片付けをしていると、何となく眠たくなってしまうんだ。


 ご主人様は今度はちゃんとするんだよと言って、軽く僕の頭をつつく。

 それでついでに、手櫛で僕の寝癖を直してくれた。


 ご主人様に髪をいてもらうと、いつだって幸せな気分になれる。

 なんだか落ち着くし、あったかくてちょっと質量のある海の水みたいなものが、胸の奥をゆっくりと満たしていくような感じがする。


 目を閉じてその感触を味わっていた僕は、はっと大事なことに気がついた。


 そうだ。

 たしか、髪にとっても高くて綺麗な花を飾ってもらったんだ。


「──あ! ご主人様。そんなにしたら、花が──」


 僕は慌てて頭に手をやった。


 けど、そこには何にもない。

 今さっき、とても綺麗な花を飾ってもらったはずなのに。


 慌てたようすの僕を見て、ご主人様がくすりと笑う。


「──『』は夢を見ないと言うんだが、どうやら何か見ていたらしいな。一体、どんなを見ていたんだ?」


 僕の顔を覗き込むように聞いてきて、でも別に答えなくて良いって言うふうに、大きな掌でくしゃくしゃと頭をでてくれる。

 その感触が嬉しくて、僕は声を上げて笑った。


   ──何なんだ、これ。


 突然。頭の中で、僕の端っこが困惑したように震える。


 どうしてだろう。

 僕の一部が──なぜかは判らないけど──この気持ちに戸惑っている。


 これはきっと、幸せとか、満たされているとか、そういう感じだと思うのだけれど。


   ──知らない、そんなの。


 重くて静かな感触のする声は、不安そうに震えていた。

 それはまるで、り所を見失った迷子のようで。


 ──もしかして、恐がっているのかな?


 使ってもらうのは、幸せ。

 大事にしてもらえるのは、もっと幸せ。

 ──ね?


 目を閉じて心の中に話しかけると、声は戸惑うように震えて静かになった。


「ほら、目は覚めたか。行くぞ」


 ぽんぽんと頭を軽く叩かれて、僕は慌てて目を開ける。


「──ぁ、はいっ!」


 確か今日は、隣の村の人に頼まれて、悪さをする狐の妖を封じに行くんだ。

 封妖画を描いてるご主人様の護衛をするのが、僕の役割。


 今日もちゃんとお役に立たなくちゃ。

 僕は張り切って、ご主人様の後を追った。


 首尾よくいったら、ほめてもらえると嬉しいな。



             *  *  *



 ──夢の中で、僕は誰かの『鬼』として存在していた。


 掃除をして食事を作り、副業の手伝いなんかをこなし、細々とした身の回りの世話をする日常。

 妖が出たと知らされ飛んでいく画師の護衛をする、ほんの少しの非日常。


 どうということはない、過去どこにでもいたような画師に仕える『鬼』としての生活を、夢の中の僕は送っていた。


 頭を撫でられて喜び、茶器を落としてうだなれ、画師しゅじんの怪我や不調に狂わんばかりに心を痛める。

 まるで飼い主の足下にまとわりつく子犬のような日々。


 理由はわからないけれど、怜乱という名前のそいつは僕と同じものだった。

 全く違う精神構造の持ち主の筈なのに、なぜだか僕は『怜乱そいつ』を自分ぼくとして認識していた。


 『ご主人様』の後を追って、命令をこなすのは誇らしかった。

 大切にしてもらえて、存在理由から逸れないよう使ってもらえるのは何よりの喜びだった。

 感情の変化を素直に表に出し、軽い足音を立てて子供のように走り回る『怜乱』として日々を送るのは、理由もなく楽しかった。


 心が跳ねるような楽しさってわけじゃない。

 けれど、知らない間に胸に満ちる温かな充足感は、決して悪いものではなくて。


 苦しいような懐かしいような奇妙な気分で、僕は『怜乱ぼく』として過ごした。





 ──あの嵐の晩、怜乱という(この)名を与えられ世界に落とされた自分に、『それ以前』は存在しない。


 だけど──もしかしたら。憶えていないだけでこんな頃もあったのではないかと思えるような、そんな夢で──



             *  *  *



「──乱、怜乱れいらん


 ゆさゆさと肩を揺すられる。


 夢うつつのままうぅんと鼻声を上げて、少年はむずかるようにその手を振り払った。

 今はこのまま、もう少しだけ眠っていたい。


 だが、そんな少年の思いとは裏腹に、今度は頰をつつかれる。


「起きろよ。

 こんなところで寝ていたら風邪を引くぞ」


 しつこい呼びかけに渋々目を開くと、黒く濡れた鼻面が見えた。


「……老狼らおろう


 少年は相棒の名を呼んで、のろのろと身を起こす。


 見回せば辺りはすっかりあかね色に染まっていた。

 どうやらあれから半日近く経っているらしい。


「……あれ、僕……」


 何をしていたのと口にしようとして、目の前にしゃがみ込んだ相棒の心配そうな表情に気がついた。


「……珍しいな、こんなところでお前が居眠りするだなんて。熱でもあるんじゃないのか」


 耳を半分寝かせて、大きな手を額に当ててくる。


 普段なら子供扱いするなと難癖付けて振り払う少年なのだが、今は何故かそんな気分にならなかった。

 ただ、その大きな手に夢の感触を思い出し、どことなく気恥ずかしい気分になって思わず目を反らせる。


 大人しく額に手を当てられながら居心地の悪い思いを味わっていると、頭の上で狼が頓狂とんきょうな声を上げた。


「なんだ、お前。華氏かしにでも会ったのか」

「華氏って?」


 目を丸くしている狼の驚きが理解できずに、少年は首を傾げた。


花精かせいの出てくる妖精譚おとぎばなしの一種なんだが、聞いたことはないか。

 相手がぎりぎり支払えるかどうかの金銭を要求して、相手がそれを呑むとかわりに幸せな夢を見せてくれるんだと」

「あぁ──」


 説明されて、眠りに落ちる前の子供の言葉を思い出す。


  (──良い、夢を)


 なるほど、この花は幸せな夢を見せるための触媒なのだ。

 でなければ、そんな生活を望むようにできていない自分が、あんな夢を見ることなどあり得ないのだから。


「なんだ。お前、本当に会ったのか」


 興味津々の狼に、怜乱はほんの少し顔をほころばせた。


「──そうだね。悪くない買い物だったよ」


 狼の耳に届いた声は、妙に穏やかで、優しかった。

 かつて聞いたことのない響きに、狼は目を丸くする。


 普段はその色合い通り、万年雪の雰囲気で武装しているような少年だ。

 夕暮れの柔らかな光に彩られていることを差し引いても、こんな和らいだ表情を浮かべる彼など見たことがない。


 よほど良い夢でも見たのだろう。

 聞いてみたい気もしたが、夢の余韻よいんは長い方がいい。


「そうか、俺も会ってみたかったな」


 ふさんと一つ尻尾を振って、狼は少年の隣に座り直した。


  ──────【華氏/一両華・了】

 このたびはご高覧ありがとうございました。

 感想等はいつでも、諸手を挙げてお待ちしております。

 この話はシリーズの中の閑話的な一話です。

 よろしければ下のシリーズリンクから、本編その他の話も見ていってください!

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