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第三十回 何故、田沼時代なのか?

 僕の時代小説の多くが江戸時代の中期、いわゆる田沼時代を舞台に書いている。


 江戸時代を舞台にした作品の中で、「異・雨月」と「喧嘩魚(旧題:鮎)」だけが幕末で、その他は全て田沼時代である。


 そもそも、田沼時代とは何であるか? その説明を、Wikipediaから引用しよう。



 江戸時代中後期に田沼意次が側用人・老中として幕政の実権を握っていた明和4年(1767年)から天明6年(1786年)の時期。伝統的な緊縮財政策を捨て、それまで見られなかった商業資本の利用など積極的な政策が取られた一方で、当時から賄賂政治の代名詞としても有名。

※引用元「田沼時代」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%BC%E6%99%82%E4%BB%A3



 つまり、この時代は江戸幕府ひいては日本に新風が吹いた時代だった。

 その風に吹かれ、多くの人材が登場した。


・エレキテルの平賀源内

・解体新書の杉田玄白、前野良沢

・蘭学塾を江戸に開いた大槻玄沢

・赤蝦夷風説考の工藤平助

・蝦夷地探検の最上徳内

・超絶蘭癖大名の島津重豪


 挙げればきりがないが、これに多くの芸術家、それも只野真葛や玉瀾女流作家も登場。


 兎角、この時代には自由さと可能性を秘めている。

 もし江戸幕府が自らの意思で開国をするとするなら、この田沼時代こそが適切な時期だっただろう。

 江戸初期では内政が成熟していないし、幕末では幕府がその命数を使い果たしている。



 田沼時代は、全てに於いてちょうどいのだ。

 そして僕は、可能性に満ちた田沼時代の雰囲気に魅了されたのである。



 それにもう一つ、脳内でコラボを愉しむため。

 田沼時代を舞台にしていれば、池波正太郎「剣客商売」や「藤枝梅安」とのコラボを楽しめる。


 もし平山雷蔵が、鐘ヶ淵の老剣客と出会っていたら?

 もし萩尾大楽の前に、雉子の宮の針医者が現れていたら?


 これだけで、ファンは垂涎であろう。

 実際に僕は、田沼の賄賂収集係であった時の長谷川平蔵を登場させている。



 さて、僕はこれからも田沼時代を舞台にしていくだろう。お陰で、書斎は田沼時代の本ばかりだ。

 現在連載している「それは、欲望という名の海」も田沼時代で、宝暦年間にあった抜け荷事件をテーマにしている。

 是非、読んでいただきたい。

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