第二十六回 引き際、或いは老醜という名の最後通牒
人間には、引き際があるのだろうと、実感した。
老いの一徹で続けるのもいいが、誰も幸せにならないそれを続けて、何があるのだろうか。
生活の為? ならば、仕方ない。しかし、いつか無理が祟る。
そんな自問自答をしながら、僕は自宅まで愛車のスペイドを走らせていた。
30年通っている食堂。
肉料理メインで、如何にも肉体労働者向けのメニューが並んでいる。
店員は、70を過ぎているだろうと思われるオーナーの1人。
そのオーナーが数年前に病気で倒れてから、明らかに味が落ちたのだ。
それだけではない。最近では書いているメニューでも、何かと理由をつけて「出来ない」といい、会計やオーダーが立て込むと、明らかにパニックに陥っている。そしてオーダーを迷っている客を邪険にして急かし、不機嫌に溜息を吐いたりする。
身体がきついのだろう。それが滲み出ているから、客も苦笑いをするしかないし、僕はかつてを知っているだけに、何とも見るに堪えない。
今日も酷かった。メニューの間違い。大盛と小盛の間違い。会計の間違い。僕は何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。恐れたわけではない。そこに、哀れみを覚えてしまったから。
そして僕は今、その店に最後の「ごちそうさん」という言葉を置いて、出て来たばかりだ。
6歳の時に、祖母に手を引かれて連れて来られてから30年分の「ありがとう」を込めて。
人間には、引き際がある。
老醜を晒す、という言葉は使いたくないが、僕はその意味を確かに感じた。




