序
駆ける。
喧騒が絶えない戦場の中を駆け抜ける。
この更に先を目指して。
途中、幾らか邪魔な敵が居たが、無視して、或いは首やら腕やらをはね飛ばして進む。
嗚呼、憂鬱だ。
無事に帰れたら奴に文句でも言おう。んで、昇給させてやる。
最早何人目かも分からない敵兵の頸動脈を掻き斬った。噴き出す血飛沫を避けつつ、前へ進もうと身体を向けた。
と同時に、
「親方様ぁああ!!!」
あれは、此方側の武将の声ではなかろうか。いや、間違いない。
義理堅く、忠誠心の厚いアイツだ。
忍である俺にも「危ない所を助けられたから」と甘味を持ってくるような変わり者のアイツだ。
仕事でやったことだと言っても聞きやしない頑固者のアイツだ。
そんな奴が声を荒げて自らの主人を呼んでいる。いや、叫んでいる。
気付けば俺は先程の倍はあろうかという速さで、戦場を駆け抜けていた。今度は敵の間を縫うように。
相手にする暇も惜しいのだ。
俺が其処に着いた時、倒れ事切れたアイツと、隣に膝を着いて脂汗を流す奴が居た。彼等しか見えなかった。
「は、あるじ。なん、何?此れ」
言葉が、上手く紡げない。喉がからからと渇いているからか、口唇が震えたままだからか。
主人あるじの足首から血が溢れている。恐らく腱を切られたのだろう。
膝を着いた姿勢のまま、主人は口を開いた。
「逃げろ、お前は生きるべき人間だ」
いつも意地の悪い主人らしくなく、いつも誰に対しても思慮の深い主人らしい。
その言葉が直ぐには理解できなかった。したく、なかった。
俺のそんな心中など知ったことかと、主人の側へ敵兵が向かって来るのが見えた。
思考が固まっていた俺は少し反応が遅れ、しかし次には投擲具を持った腕を伸ばしていた。
ふと、のばした左手が、投げようと構えた武器が、視界から消えた。その視界の先でゆっくりと倒れる主人の姿がくっきり見えた。
事の真相を知ったのは、左の手首に焼けるような痛みが走ってからの事だった。
口の端から呻きが漏れるが、そんな事は今はどうでも良かった。
残った右手で短刀を掴み、振り向き様に俺の左手を奪った男を斬る。
仰向けに倒れて行く男を放っておいて、その短刀を主人を斬った男に投げつければ、そのまま真っ直ぐ飛んで男の眉間辺りにさくっと刺さった。その間に主人に急いで駆け寄る。
主人の呼吸は先程の時より更に弱々しくなっていた。
胸に開いた傷口からの血は止まる気配がない。
「お前の其の様な顔が見れるとは、思わなんだ」
微笑と共に聞こえた声は掠れていた。
そこから更に口元を動かしたが、音はもう出なかった。出なかったが、俺には聞き取れた。
俺は確りと二度頷き、途端に重くなった主人の身体を中々離すことは出来なかった。
「ある、じ」
視界の端に光る刃を残し、俺の思考は暗転した。