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少しずつ変わっていくもの1

 ハンカチで押さえた傷口は、中々血が止まらない。どうやら傷口が開いただけではなく、更に深く裂けてしまったようだ。止まらない血とじくじくした痛みに、先ほどまであった哀しみが段々と煮えたぎるような怒りに変わる。


「本当、あの女はろくな事をしやがりませんわね!」


 哀しみと苛立ちをごちゃ混ぜにした気持ちを持て余しながら、止まっていた足を再び教室に進める。

 本当は保健室へ直行したい所なのだが、そうすると朝のHRでの彼女の転入の自己紹介を逃してしまうだろう。彼女が私のクラスへ転入生として転がり込み、そしてまた私とひと騒動起きるのだ。

 嫌われ役としての宿命を背負った私としては、これも逃す事のできない出来事なのだ。


 教室に着く頃には、なんとか傷口の血も滲み出る程度になっていた。

 ひとまず袖を下ろし、何事も無かったかのように装うと教室の扉を開ける。まだ担任の先生は来ていないようだけれど、すでにクラスメイトは礼儀正しく自分の席に着席しており、遅れて教室へ入った私に皆の視線が注がれる。


 え、だれかしらあの方…

 転校生?かわいいじゃないか!

 いや待て、あの髪色はもしかして…

 そういえば誰かが転校生が来るって先程…


 ひそひそと私を見ながら、クラスメイト達が囁きを交わす。

 転校生という単語が聞こえて、私が転校生なわけがありませんでしょう!!と怒鳴りつけたくなる気持ちを抑える。

 今の私は、3回目の時の皆の態度を知っているからこそ我慢ができる。しかし同時に、いかに私がこのクラスに馴染んでいないのかを再確認して、また胸がずきりと痛むのに気が付かないふりをした。ああ、また腕の傷口が開いてしまったのかしら。 


 「皆様、ごきげんよう」


 ひそひそ話など聞こえていませんとばかりに、にこやかな笑顔を浮かべてそのまま自分の席へと向かう。私が席に近づいていくと、騒めきはますます大きくなっていき、私が席に座ると今度は一斉に静まり返った。…ちょっと面白いですわね。


 皆の視線が私に突き刺さる中、私は鞄からノートや筆記用具を机に移し替え、着々と準備を整える。

 すべての準備が終わる頃には丁度扉が開き、先生が朝の挨拶と共にエステを連れて教室に入って来た。

 しかし皆の視線は先生へは向かわず、相変わらず私を凝視している。先生は不思議そうにその視線の中央に居座る私に目を向ける。そのまましばらく私を見つめていた先生は、ふと何かに気づいたようにビクリと体を震わせ固まった。

 またもや教室がシーンと静まり返る。


「あ、あのぉ、先生ぇ~?」


 一向に動く気配の無い先生にエステが不思議そうに話しかけると、先生は金縛りが溶けたかのようにはっとして咳払いとともに教壇へ上がる。


「ああ、えー、ごほん。いきなりだが転入生を紹介する。彼女はエステ・モンローだ。今、学園が慈善事業の一環で貴族階級を所有していない者を学園に迎え入れようとしている事は、皆も聞いたことがあるだろう」


 話を始める先生に、皆が渋々前を向く。それでも時折、私にちらちらと向けられる視線がうざったい。

 先生が言っているのは、この学園ではそれなりに問題になっている噂話だ。この噂については、学園に通っている貴族からもかなり文句は出ていたし、勿論学園の生徒達も反対していた。しかし所詮は噂、実現前に有耶無耶になってしまうだろうと皆そう思っていた。

 1回目の私アメリアも、勿論そんな話が通るだなんて思ってもみなかった。だからこそ、彼女に対してあらん限りの嫌がらせをしたのだ。学園から、婚約者の傍から追い出したくて。


「彼女はその試みの為に、試験的に学園に編入してもらう事になった生徒だ。皆も思うところは色々あるだろうが、貴族として恥ずべき振る舞いはしないように。以上だ」


「では、その子は平民なんですの?」


 先生の言葉が途切れた瞬間に、勢いよく机に手を着きさっと立ち上がる。タイミングはバッチリではないかしら。


「あ、ああそうだがウェルベルズリー?そういった偏見や差別を持たず、貴族としての義務を全うする為に今回のだな…」


 先生が何故か疑問形で私の名前を呼ぶが、気にせず私は更に言い募る。


「お言葉ですが先生、差別や偏見があるからこそ、貴族の義務は果たされるのですわ。ちなみに私は先程彼女に背後から衝突され、怪我を負わせられました。にもかかわらず、彼女は正式な謝罪をすることすらいたしませんでしたわ。貴族として恥ずべき行いを禁ずる前に、まずは彼女に貴族の、いいえ、人としての恥とは何たるかを教えた方がよろしいのではありませんの?」


 先生の言葉を遮り、私の口から止まることなく溢れる出る冷ややかな言葉に、教室中が呆気に取られている。


「郷に入っては郷に従え。そうでなくとも貴族が通う貴族の為の学園で、貴族が平民に合わせるなんて事はおかしいのではなくって?私だって、好き好んで己の品位を下げる行為はしたくはありませんわ。ですが相手が猿なら話は別ですの。学園に猿を放し飼いにしていては、この学園の品位自体が疑われてしまいますわ」


 先生は度々何か言おうとして口を開けるが、私の怒涛の勢いにその口を再び閉じるという行為を、視界の端で繰り返している。先生には申し訳ないが、無視をさせていただく。


「猿に貴族になれとは、土台無理な話。私にだってそれくらいそれは、わかっておりますわ。ですが猿にでも、躾を教え学ばせ、知識を詰め込むことはできましょう。そうすれば野生の猿でも人間界のルールを覚え、人と暮らせる猿になる事はできますのよ」


「…ええと、つまりどう言う事なんだウェルベルズリー」


「つまり私は、貴族として恥ずべき行為を彼女にいたします、と言う事ですわ。少なくとも彼女が貴族、牽いては学園での立ち振る舞いとは何たるかを理解なさるまで。躾とはそういうものですもの!」


 そう締めくくると私は胸をそり返し、サイドの毛をふわりと払いながら歩き出す。引き際も完璧なこの悪役ぶりに、満点を出してあげたい。わざわざエステに猿とまで言ってやったのだから、第一…いや、第二印象はバッチリだろう。

 歩くたびクラスメイト達が目と口を見開き、唖然とした顔で私を仰ぎ見る。あまりのドン引き様に、またやりすぎただろうかと首を捻るが、しかし1回目の時もこんな感じだったかもしれないと思い直す。

 まぁ1回目は怒りのままに支離滅裂な事を怒鳴ってしまったので、今回はちゃんと伝わるように言ってみたのだけれど…。どちらにしてもこういう空気になるだろうと、早々にこの事に関して考えるのを放棄する。

 それに、どうせ最後はよくわからない証拠を挙げられてネチネチと責められるのだから、最初から虐めますと宣言しておけば後の気苦労はない。証拠も堂々と残していってやる。クラスメイト達も先生に真っ向から反抗し、貴族にあるまじき行いをしますと宣言した私とは距離を置くだろう。

 教室の扉までたどり着き、廊下に出ようとする。しかしその前に、静まり帰った教室から先生の声が投げかけられた。


「ど、どこに行くんだウェルベルズリー……嬢」


「野猿に引っかかれた傷が痛むので、保健室に行ってまいりますわ」


 腕をまくり、今朝方猫に引っかかれた傷を見せつける。

 先程の一件で傷が化膿しはじめたのか、赤く腫れあがり血の滲むそれに私は顔を顰める。その表情に驚いたのか、ひぃと息をのむ声が近くにいた生徒から上がった。そちらに視線を向けると、彼はガタガタと椅子を引きずり私から距離をとりやがった。なんて失礼な奴でしょう。


 まぁ正直に言えば、エステはこの傷の直接の原因ではないけれどそんなの知ったことではない。悪役ならば悪役として、使えるものは存分に使って彼女を虐めぬいてやるつもりだ。

 そもそも傷がここまで悪化した責任は彼女にもあるのだから、野猿に引っかかれたというのはあながち間違いではないでしょうし。ええ。

 袖を戻すと、またも呆気にとられる教室に颯爽と背を向けて、扉を後ろ手に閉める。途端にざわつく教室を無視して、私は平然と歩き出した。




 嫌われ者としては、中々に好調な滑り出しではないかしら。そう思いながら、機嫌よく口角を上げて保健室に続く廊下を歩く。

 皆にまた嫌われてしまうのは悲しいけれど、運命からは逃れられないのだから仕方ない。そんな事を考えながら、ふと思い出す。

 3回目の時仲良くしようと皆に話しかけたが、決まって一様に困ったような反応をされた事を。それに、先程のクラスメイト達の反応を思い出しても、髪を切っただけでクラスメイト達は私が私だと認識できていなかった。


 あら?先程はまだ私、エステを虐めてはいなかったですわよね?


 なんだかちぐはぐなそれに、ふと私は一つの可能性にたどり着き青ざめる。…ずっと勘違いをしていたかもしれない。

 私は、彼女を、エステを虐めていたから皆に嫌われあんな目にあったのだと、このループし続ける最中ずっとそう思っていた。

 クラスで浮いていたのは、美しく高貴な自分に近寄りがたいからだと。だから私も、あえて彼らに近づこうとはしなかったのだ。3回目では皆と仲良くなれたし、だから、そう、そんな可能性は微塵も考えていなかった…。

 そんな…まさか…。考えたくない一つの可能性。


「…もしかして私、既に嫌われておりましたの?」


 そのなんとも悲しい呟きは、生徒の居ない静かな廊下にぽつりと落ちて、窓から差し込む柔らかい光に溶けて消えていった。

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