ウェルベルズリー家
「……猫ちゃん」
怪我を心配して引き留めるアルを言いくるめ、何時ものように一人庭へとやって来た。何だか習慣になりつつあるかもしれない。
そうして訪れたお気に入りのスペースに、探し求めていたオアシスはのんびりと横たわっていた。
「……どうして貴方に会うと心が休まるのでしょうね」
あれほど意地になっていたというのに、こうして触れられる距離に居るのがわかった途端、憑き物がストンと落ちたように心が凪いだ。
驚かさないようゆっくりと猫の傍まで近づき、ハンカチを敷いて隣に腰を下ろす。猫ちゃんはすぴすぴと鼻を鳴らしながら、相変わらず惰眠を貪っているようだ。
「本当に今日は、猫ちゃんに殺されてしまう日ですわね」
呼吸に合わせてなだらかに上下する、柔らかくふわふわとしたお腹に掌をあて、優しく動かす。
動物とは不思議なものだと思う。どうしてただ触れているだけで、こんなに心が温まり癒されるのだろう。
猫ちゃんを撫でる手は止めず、ゆっくりと瞼を下ろす。今なら、冷静に物を考える事が出来るかもしれない。
「……そもそも、何故私を引き合いに出してウェルベルズリー家を取り潰したいのかしら」
ずっと疑問に思っていた事だ。虐めを理由にお取り潰しなんて力技、色々と面倒なだけではないだろうか。
家がそれほどの悪事を本当に働いているのなら、私が学園で起こした事件を引き合いに出す必要など無いはずだ。
「それこそ、その悪事を理由に爵位の剥奪でも何でもすればよろしいじゃありませんの」
悪事の大きさにもよるけれど、最悪実刑だって課せられたはずだ。
「お兄様の恩情のつもりかしら……いえ、それとも公にできなかった?」
情が無かったとは言い切れないが、どちらかと言えばそちらの方がしっくりくる。
だって兄が、あそこまで嫌悪した悪行を情で見逃すとは思えない。彼の性格を考えれば考える程、あの断罪からのお取り潰しには違和感がある。
「そう、おかしいのですわ。お兄様にしては随分と回りくどい、というか卑劣な手段ですし……」
兄は正義を信条に掲げるだけあって、正々堂々とした手法を好む。本質はどうあれ、そうありたいと思っているのだろうから、余計に。
だからこそ本来の理由を隠し、別の罪状を隠れ蓑に断罪するなどという行為を、兄がしたと言うのが未だに信じられないのだ。
(もしかしたら……あのお兄様が公言できないほどの、悪事を……)
血の気が引いて行くのがわかる。あの兄が公にできない程の事柄なんて、正直私には全く想像ができない。
そもそもウェルベルズリーは伯爵家だ。それも純粋な血筋では無く、成り上がって手に入れたもの。そんな貴族が、公言できない程の大それた悪事を働けるものだろうか……。
(できたとしても、組織の末端とか、その程度なのではありませんの……?)
けれどそれをわざわざ潰したところで、根本の解決には至らないだろう。そう考えると、やはりこの線は薄いのだろうか?
(お兄様はウェルベルズリーを悪だと言った。エステは、秘密は私に関係ないと。ウォルトは成り上がりを怪しんで……ってまさか、成り上がった事自体が悪だなんて言うオチではないでしょうね)
実際、階級至上主義のウォルトのような貴族の中に、そういった思想を持つ者はいる。由緒正しき血族以外は悪であり、存在価値も無いだとか。
「いえ、お兄様は平民愛好家でしたわね……まぁ本来私達は、平民上がりと言うには少し特殊ですけれど」
今の私たちの爵位と生活は、主に私の曽祖父が自らの手腕で手に入れたものだ。
寝る前に昔話代わりに語られた、曽祖父の話を思い出す。この話をする時の父は、随分と誇らしそうだったのを覚えている。
だからこそ私は、成り上がりと言う立場を受け入れることができているのだ。それに引け目を感じる事はあれど、恥だとは思わない。
「だって曽祖父様は、自分で道を切り開いた素晴らしい方ですもの」
曽祖父は、ここから遠く離れた小さな国の貴族だった。
そうした家の7男坊に産まれた彼は、そんな所で燻る事を良しとしない野心家だった。
同時に優れた商才も持ち合わせていた為、彼は勘当同然に家を飛び出し、一人遠く離れたこの国へとやって来た。
身分の無い若造とはいえ確かな教養と身に着いた礼儀作法、そして素晴らしい商才があればこそ、この地で受け入れられるのは早かったようだ。
信頼と財産を貯め、彼はまず金を必要とする男爵位の貴族の養子として入り込みこの国の人間となった。そのまま様々な商売に手を広げ、コネクションを拡大していく。
やがて入念な調査の上、とある子爵の家へ婿養子として入った。勿論、裏でお金は動いていただろう。
そしてその子爵の身内の、跡取りが居ない伯爵家に自分の長男を養子として出した。
その後、"不幸な事故"でその伯爵家の夫妻がこの世を去り、彼は身寄りの亡くなった息子の後見人の座に収まったのだけれど……。
(……こうして考えると、不幸な事故が意図的だった可能性が大いにあり得ますわね)
背中に嫌な汗が流れた。兄なら確かに、こういった不正を嫌がりそうだ……とは思う。
万に一つ、伯爵家の乗っ取りとしての証拠があったなら、間違い無く罪人として爵位を剥奪されるだろう。
(お父様が堂々と話すものだから、怪しんだ事なんてなかったけれど……お父様は、気づいた上で話していた可能性がありますわ)
兄がそれを知っていたのなら、父を悪と断定したという事は十分にあり得る。兄は両親とも、どこか距離を置いて居る。
(でも今一、理由が弱いと言うか……)
この仮定が事実だったとして、内々に済ませるだろうか。兄の性格ならば、証拠さえあれば堂々と告発する気がする。
(それにもしそれが弱味になるのなら、お父様はこの話をなさらないはず……)
父がこの話を自慢気にするのは、曽祖父が亡くなってからも尚、その野心を引継ぎ燃やし続けているからだろう。私も多分に漏れずそうだが、我が一族は中々に向上心の塊である。勿論プライドも一級品だ。
その証拠に、父はアレックスとの婚約が決まった時も、満足そうに頷いているだけだった。
「……そういえば、アレックス様との婚約が決まったからこちらに来ましたのよね」
子供の頃の記憶なんてあまり鮮明では無いけれど、この間の夢で見た質素な家を思い出す。今の屋敷と違い、うっすらと残る狭い家の記憶。
住んでいた場所も、恐らく王都から離れた田舎町。そこを離れ……この王都へと越してきた。
「……どうして、あんな質素な家で暮らしていたのかしら」
プライドの高い両親が、あんなところに住んでいたのはどうしてだろう……。父だってあんな場所では、さぞや仕事がしにくかっただろうし、全く利点が見いだせない。
お金が無かったわけではないはずだ。私の家は他の貴族が一目を置く程のお金持ちであり、曽祖父様が築いた様々な商売の基盤やコネクションがある。それこそ、他の貴族が蔑ろにできない程の。
私が学園で大きな顔ができるのも、そのせいだ。皆が皆、私の家と繋がりを持ちたがっている。
(まぁそれだけで無く、お兄様と……アレックス様の影響もありますけれど)
……特にアレックスの影響はとても大きいだろう。彼は性格にさえ目を瞑れば、ステータススペック共に文句のつけようがない人間であり、皆の憧れだ。
そんな人間の婚約者と言うだけで、私の学園での立場はどんどんと上がっていった。
(まぁ彼はその代わりに性格に大いに問題がありますけれど……そんなの、話してみなければわかりませんしね)
たとえアレックスと話したところで、彼を好印象と捉えている人からすれば、性格の良し悪しなんて判断つかないだろう。以前の私はそうだった。
好意を持っていたら、たとえ誰かの悪口を言ったとしても正直な人と思うかもしれないし、嫌悪を抱いていたら誰かを褒めたとしても、嘘吐きや偽善者と思うだろう。
アレックスは公爵家の跡取りで、由緒あるエモルドーク学園の生徒会長だ。皆が彼をどう思っているのかなんて、聞く必要も無い。
「私だって、アレックス様との婚約話を頂いた時は夢かと思いましたわ」
アレックスとの婚約は、彼のご両親……ヴォルフガング夫妻の強い申し出により結ばれた。
公爵家が伯爵家の娘を……勿論嫉妬はすごかったけれど、私は一躍社交界で注目の的となり、憧れの人となった。
「まぁ私がそれだけ魅力的だった、という事ですけれど……ふふ」
当時を思い出し、少しだけ顔がにやけてしまう。あの時は中々に気分のいいものだった。
アレックスが10歳になる誕生祝の席で開かれたダンスパーティ。数いる女の子の中から私の手を取り、連れていかれたダンスフロアの中心……。
「……あら?なんだかおかしくありません?」
ふと感じた違和感に、急遽過去の思い出から舞い戻る。
アレックスとの顔見せは、あれが初めてだ。あそこでアレックスが私に恋をして、それでご両親が私を気に入ってくださった。
ええ、普通に考えたら何もおかしくは無いけれど……。
「……だってあの男……私に好意を持っていなかったではありませんの」
自分で発した言葉に、思わず顔を顰めて奥歯を噛みしめてしまう。そう……だからおかしいのだ、順番が。
彼が私に恋をして、ではない。彼の両親が私を気に入って、彼にダンスに誘うように言った……のではないだろうか。それならアレックスが好きでも無いのに、真っ先に私を誘った理由もわかる。
「でも、私はあの時初めてお義父様とお義母様にお会いしましたのよ?」
確かに私は美しいし、パーティでその姿を見かけたら惹きつけられてしまうのも頷ける。
けれどいくら美しい娘だからと、それだけで公爵家の跡取りに伯爵家の娘を迎えるだろうか。
「私はアレックス様が私を見初めたから、と言うのを前提に考えていたけれど……」
その前提が無いのなら、何故だろう。確かに家には色々と利益になるものが多いけれど……。
そう考えると、父が婚約の知らせを持ってきた時の態度に、今となっては疑問が湧く。嫌に冷静に、満足そうに頷いていたあれは、予め知っていたからではないだろうか……私達の婚約を。
「もしかして、そこ……なんですの?」
私が気がつくくらいだ、当然当時の兄も気がついただろう。勿論当事者のアレックスも。
それに、もしそうならば……アレックスに問いただそうとしていた事が、いよいよ現実味を帯びて来る。
(脅し?取引?買収?……とにかく、碌な事では無さそうですわね)
ともあれ、もしかしたらこれでアレックスと話をする事が出来るかもしれない。彼は、こういったイレギュラーを楽しめる人間だ。
「……好きだった頃より、嫌いになった時の方があの人を理解できるなんて、皮肉なものですわね」
腹立たしさに、つい撫でていた手に力を込めてしまったのだろう。猫ちゃんが不満そうな鳴き声を上げて寝返りをうってしまった。
「ああ、ごめんなさい!痛かったですわよね」
こちらに向いた、大きくやわらかな背中を撫でながら謝罪する。
ああ、私も猫になって一緒に寝転がれたならどんなに幸せな事だろう。
そんな事を考えながら撫でていたせいだろうか。……不意に、それまで大人しく撫でられていた猫ちゃんがピクリと耳を動かし顔を持ち上げた。
「あら?どうしましたの、猫ちゃん……」
不思議に思って猫ちゃんを覗き込もうとすると、それよりも早く猫ちゃんは起き上がり毛を膨らませて逆立てた。これは威嚇の行動だ。
猫ちゃんに威嚇をされたショックで茫然としてしまうけれど……背後でサクリと葉を踏む音が聞こえて思わず振り返る。
ここは私有地であり、庭の奥だ。どう考えても、背後に人が居るわけがないのだけれど……
「……え、オールストン、様?」
そこに居たのは、いい加減見慣れた眼鏡……もとい眼鏡掛けの姿だった。




