繰り返される日々1
(意外と、すんなり受け入れられるものね…)
鏡に映る自分の落ち着きように、笑い出したくなってしまう。
4回目や5回目はあんなに取り乱した癖に、いざ運命を受け入れてしまうとびっくりするほど心が凪いだ。
いや、もうすでに疲れ切ってしまったのかもしれない。
「お嬢様、朝食の準備が整いました」
ぼんやりと、そんな事を考えていると扉の向こうからメイドの声が聞こえた。
「ええ、今行くわ」
1回目の自分はどんなだっただろうか…。もう随分と昔の事に思えてしまう。
このループの間に大分考え方や性格が変わってしまったので、上手く悪の令嬢を演出できるか少し不安だ。
「おはようございますお父様、お母様、お兄様」
「ああ」
「ええ、おはようアメリアさん」
手早く準備を整えると足早に食堂へと向かう。
家族に挨拶をして席に座ると、父と母は挨拶を返してくれる。
しかし兄は私には一瞥もくれず、食事を続けている。兄は私を嫌っているから当然なのだろう。
鮮やかな金髪と涼やかな目元を持つ兄のレオンハルトは、私とは全然似ていない。
兄は私の一つ上で同じ学園の高等部に通っている。
頭が良く高潔な人で、生徒会の役員までやっている。正直、兄にとって私は目の上の瘤だろう。
我儘で自己中心的な私は、今まで兄に沢山迷惑をかけた。
そしてこれからさらにかけるのだ。今までと比べ物にならないくらいの迷惑を…。
「お兄様、おはようございます」
「……。」
私からもう一度声をかけると、少しだけこちらに視線を向けて、すぐにまた食事に戻った。
兄の態度に、両親も何も言わずに食事を続ける。
何回かやり直したループの中でも、兄とは一度も和解できなかった。
3回目の時も積極的に関わりに行ったけれど、全て無視されてしまったのを覚えている。
「俺はもう行きます」
私が食べ始めようかと言う時に、食事を終えた兄が席を立つ。
「今日は早いのね、レオンさん」
「今日は二学年に転入生が来ますので、色々と準備があるんですよ」
「二学年というとアメリアと同じか」
父の言葉に心臓が嫌な音を立てるけれど、私は気がつかないふりをする。
「まぁ、どんな方なのかしら。学園の名を貶めるような出生の方じゃないといいけれど…なんて、エモルドークにそんな方は入学できるわけがないですわね」
これに似た台詞を1回目の時に言った気がする。今回は更に皮肉を込めてみた。
1回目の私は彼女が平民だと知らなかったが、今の私は平民だと知っているので、それならではだ。中々に嫌な感じが出ているんじゃないだろうか。
内心満足していると、兄が冷めた視線で私を見ているのに気が付く。そんな目をされてももう何とも思わない。もっと酷い視線を何回も向けられたのだ。
「どうかなさいました?お兄様」
私は兄ににっこりとほほ笑んでやる。
1回目の私だったら兄のその視線にヒステリーを起こしていただろうが、そんな無様な姿はもう見せない。
どうせ嫌われ断罪される運命ならば、ちんけな三下の様な悪役では無く、もっと堂々と己の道を突き進んで華々しく散ってやろうと思う。
私の落ち着き払った態度に兄は少し目を見開いて、そしてそのまま顔を逸らした。めずらしい。
兄はもう私の前では滅多に表情を変えたりしない。ここしばらくの記憶にある彼の顔は、いつも冷たく突き放すような眼差しに固く結んだ口、それだけだ。
「では、俺は行きますので」
「ええ、いってらっしゃいレオンさん」
「存分に勉学に励むように」
「いってらっしゃいませお兄様」
お兄様の背中を眺めつつ朝食を食べる。
私もこれを食べ終えたら、戦場に向かわなくてはならない。
(大丈夫…私はもう決めたのだから)
3回目の時に、皆から向けられた視線を思い出すと体が竦む。
信じていたからこそ、信じてもらっていたからこそ、あれは辛かった。
「それなら最初から…仲良くならなけばいいだけの話」
小さく呟いた私の声に、お母様が不思議そうにこちらを向く。
それに何でもないと首を振って、私も席を立つ。
「あら、アメリアさんもういいの?あまりお食べになっていないようだけど…」
「ええ、今日は少し体調がすぐれなくて。学園に行く準備をするのでこれで失礼しますわ」
私はそう言うと、あまり手をつけられなかった朝食を置いて部屋に戻ろうとした。しかしふとある事を思い出し、メイドに言って残りの朝食を挟んだサンドイッチを作ってもらう。
「珍しいな。アメリアが軽食を頼むだなんて」
しかも残り物で。
言外にそう言う父に曖昧に笑って、コックが作ったサンドイッチと水を手に食堂を後にする。
向かったのは、自分の部屋ではなく屋敷の庭。
誰も見ていない事を素早く確認すると、庭に下り立つ。そのまま庭師によって整えられた花壇や植木を横切り、少し奥まった所にある植え込みの傍をウロウロと探す。
先程、思い出したのだ。2回目の時、ここで怪我した猫を見つけた事を。
3回目の時は転入してくる彼女と仲良くなる為に早く家を出てしまい、午後に様子を見に来た時には見つからなかった。
「猫ちゃん、いませんの?猫ちゃん…」
あの時、後回しにしてしまった事をずっと後悔していた。
今回も居ないのだろうかと諦めかけた時、にゃあとか細いこえが聞こえて、慌てて植え込みの中に上半身を突っ込む。髪が引っかかるが気にしない。
か細い声を頼りに、生い茂る葉を押し分けて猫の声の元までたどり着く。居た、あの猫だ!
黄色い瞳に茶色い縞々、長毛種なのだろうもふもふで大きく立派な体をしている。猫はこちらを警戒しているようだが、怪我した前足と長い毛が枝に引っかかって、身動きできずに困っていたようだ。
あわてて枝に引っかかった毛をとると、猫を抱きかかえて植え込みから外に出る。
「良かったですわ!今度はちゃんとお会いできて!」
そのまま抱き上げた猫の、怪我をした前足に水をかけてやる。
それ程酷い怪我ではないのは知っていたので、軽く泥を流してやる程度だ。しかし猫は痛がって暴れる。
「こ、こら大人しくしなさい!猫ちゃん、こら…いたっ!」
腕を思いきり引っかかれてしまった。滲む血に、これは後で自分も治療しなくてはだめだろうとため息をつく。
「ほら、もうこれで終わりですから大人しくしてくださいな」
そう言って、奇麗になった傷口を確認する。大丈夫そうだ。
本当はそのままにしておくのが一番いいのだろうけれど、2回目の時はその傷口をなめて悪化させてしまっていたのを覚えている。
しばらく考えて、アメリアはポケットからハンカチを出して優しく巻いた。邪魔だったなら自分で外してしまえるように。
「ほら、これでも食べてお行きなさい」
先程コックに作ってもらったサンドイッチを、猫の前に差し出す。
猫がカプリとサンドイッチを銜えたのを見届けると、その体を地面に降ろしてやる。
地面に下りた猫は、前足に巻かれたハンカチを邪魔そうに一瞥したけれど、取ろうとは思わなかったようだ。
そのままサンドイッチを銜えてのそのそと少し歩くと、植え込みの陰で腰を下ろしサンドイッチを食べ始める。
「ふふ、相変わらずだこと」
猫をみて笑っていたら、鳴り響く鐘の音にはっとする。
すっかり忘れていたけれど、学園に向かわねばならなかったのだ。
「私としたことが…急がないと遅刻してしまいますわ!」
腕のひっかき傷は、学園の保健室で手当してもらえばいいだろう。
乱れた髪を軽く整え、私は今度こそ自室へと急いだのだった。