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ソノサキ2


「おっはよぉ~!」


 能天気な声と共にサロンへと入って来た人物に、皆の視線が集まった。

 ちなみに今は正午である。


「あれぇ?なにかなこの空気……もしかして私、遅刻しちゃったぁ?」


 勿論大遅刻だ。しかも反省している様子が微塵も感じられないのは、私の気のせいだろうか。

 こてりと首を傾げながらも両手を胸の前で合わせる様は、謝るというよりも可愛らしさをアピールするための行為にしか思えない。

 腕の隙間からは潰された胸の肉が溢れて、その大きさを強調しているようだ。眼鏡がレンズを光らせガタリと腰を浮かす。

 勿論そんなあざとい仕草をする人間は、言わずもがな……エステだ。


 

「エステちゃん!!今ウォルトと会わなかった?大丈夫!?」


 エステの姿を視界に収めたスコットが、慌てて彼女に駆け寄っていく。


(まるで飼い犬と飼い主の再開シーンじゃありませんの……)


 エステとスコットに温度差があるのもいけない。それに若干、スコットの瞳が潤んでいるのも。


 まぁ、スコットの心配もわからなくは無いけれど。このタイミングだと、間違いなくエステとウォルトは廊下ですれ違っているだろう。

 私達とあのやり取りをした直後……しかも階級主義の彼の事だ。平民のエステなんて視界に入れようものなら、八つ当たりであののほほんを殴り飛ばすくらいしてもおかしくは無い。 


「うん、会ったよぉ!でも何だか様子がおかしくて、私の事なんて見えてないみたいだったかな~」


「ああ……よかったぁぁぁ~」


 元気な様子でそう答えるエステに安心したのか、スコットは床に座り込む勢いで脱力している。

 もしかしたらエステが初めて顔を出したお茶会で、ウォルトに彼女に関して色々とよくない事を言われたのかもしれない。

 だからあんなにも過敏に、エステを近づけまいとしていたのだろう。


「……もしかして、ウォルトさんと何かあったの~?」


 しかしそんなスコットをさらりと無視し、エステは不思議そうな顔でこちらのテーブルへ近寄ってくる。

 エステが席に座って紅茶を頼み始める頃に、ようやくそれに気が付いたスコットも後を追ってこちらにやって来た。


(こういう時に、人間の本質は見えますわねぇ……)


 いくら愛想が良くても、エステは基本的に子供なのだろう。興味のあるものと無いものへの差が、あからさまに態度に出る時がある。

 恐らく今は、サロンで何があったのかが気になって仕方ないのだろう。……それだけにしか、目が向いていない。


「それがさぁ~……」


 めげないスコットがエステの為に今起きた事を説明しているのを横目に、私も席に着く。勿論エステを避けて斜め向かいに。

 給仕に紅茶を頼み、ついでにちらりと他のメンバーを伺い見る。

 テオは相変わらず本を読んでいるし、アーサーは口を挟まずにエステとスコットの話を聞いている。


(今回は、この二人に助けられた……と言っていいのかしら)


 お礼を、言うべきなのだろうか……。

 テオはともかくアーサーに言うのはすごく癪だし、個人的にはあのままサロンを追い出されても何も困らなかったのだけれど。




「ええー!!そんな事になってたのぉ~!?」


 ぐるぐると思い悩んでいたら、エステの大声に思考を邪魔された。またあの猿は……。

 じっとりと嫌味を含んだ目つきでそちらを睨むと、エステも丁度私に向き直るところだった。

 バチリと視線が絡んだ大きな瞳は、頭の軽そうな口調とは違いどこか真剣な色を帯びている。 


「もうウォルトが見た事ないくらい怒っちゃってさ!!元々そう言うとこある奴だったけど、俺びっくりしたよ!」


 スコットがその時のことを一生懸命語っているが、エステの視線は私と絡み合ったままだ。

 彼の声をBGMに、私を見つめるエステの口がゆっくりと動く。



ーくそ…………よー



(……え?)


 ひっそりと一人言のように呟かれた言葉。読唇術を心得ているわけでもない私には、最初と最後の一言二言しか読み取れなかったけれど。


(それでも今、くそって……。え?糞?私を見つめて糞って言いましたの?この雌猿……)


 私を見て言った言葉だし、ほぼ間違いなく悪口だろう……これは、喧嘩を売られてるのかしら。

 けれどその口の動きの真意を訪ねる前に、エステが私に問いかけて来た。


「ねぇねぇ、アメリアさ~ウォルトさんに何か言われなかった?」


「……何かって、散々暴言を頂きましたけれど?」


「そうじゃなくって……うーんと、……例えばさ」


 エステは勿体ぶるようにそこで一旦言葉を切り、人差し指を口元へ寄せるとしばし思案する様子を見せる。……なんだこいつ。

 そのひどく安っぽい演技的な仕草に、怒りとは違うゾワゾワが這い上がってくる。……これは羞恥ではないだろうか。


(なんで、私が!!この女のせいで!!羞恥を覚えなくてはいけませんの!?)


 人を見て恥ずかしい気持ちを覚えるなんて、初めて体験したかもしれない。

 けれど、そんな頭が痛くなる心の葛藤は……相変わらず演技臭い流し目と共に落とされたエステの言葉で凍り付く。



「秘密を暴いてやる、とか」



「……ーー!?」


 ピシリ、とその場の空気が凍ったように感じた。実際に凍ったのは、私の心臓だけなのだろうけれど……。

 何故なら凍り付いた私を他所に、相変わらずスコットは楽しそうにエステと会話を続けているからだ。


「え、なにそれ?まるで物語に出てくる密偵みたいな台詞だね!」


 相変わらずなスコットの話を聞き流しながら、必死に呼吸を整える。


(……ここで動揺するのは、何か色々とまずい気がしますわね)


 エステの言葉に嬉々として反応しているスコットはともかく。先程まで本に向けていた視線を私に向けて、観察するような視線を送ってくるのはテオだ。

 アーサーも相変わらず無感情な視線でこちらの様子を伺っているのが、なんとなくだが気配でわかる。


(変な噂が流れてからでは遅い……けれどまだ確証は無いのだから。そう、落ち着かなければ)


 何故それをエステが言い当てたのか、はひとまず置いておくとして。私には、その秘密とやらに思い当たる事は無い。

 現時点で、その秘密とやらは唯の言いがかりなのだ。


(けれどただの言いがかりとして、片付けられないのが痛いところですわね)


 けれど貴族、されど貴族……しかも成り上がりとなれば、叩けば埃くらい出てくるものだろう。

 私は断罪で学んだ。どんな小さな埃も、放って置くとその大きさは倍増するのだと。


「……なんですの?彼はそのような事は、言っていなかったと記憶していますけれど」


 ごく自然に見えるよう、カップを手に取ると同時にエステから視線を外す。

 口調にはできるだけ、呆れを含ませる。まるで今の今まで、エステの余りに阿保らしい言葉に呆気に取られていたのだと、そう見えるように。


「というか貴女、私の秘密なんてご存知なんですの?」


 今度はこちらからその話題を振る。後ろ暗い事の無いアピールと、あえてこの話題を終わらす為に。

 これでエステから知らないよぉ~と返ってくれば、この話はそれまでだ。掘り下げる前に終わらせてやる。


 そう。その、はずだった……



「うん、しってる~」



 エステが、そんな返しをしなければ。


「は?」


「え?」


 その言葉に反応したのは、私とスコット。けれど視界の端で、テオが興味深そうな顔でエステに視線を向けるのがちらりと見えた。

 予想外の展開に、心臓がバクバクと嫌な音を立てる。


「まぁアメリアのじゃないけど……って」


 紅茶をスプーンでかき混ぜていたエステが、何かに気づいたように顔を上げる。


「ああ、こんな話しても分からないよねぇ~!嘘だよぉ!うーそ!ごめんね」


 いつもの能天気な笑顔で、ペロリと舌を出して謝るエステ。

 全然謝る気がないじゃありませんの!と普段だったら内心突っ込みを入れるのに、今はそんな余裕も無い。


(何、ですの?秘密を知ってる?……私のでは無い、秘密を?)


 けれどエステの言葉に、私の思考が大荒れしている。

 大体嘘ってなんですの。このタイミングでそんな事を言っても、今更どうにも……


「なんだぁ~嘘かー!俺驚いちゃったよ!」


 けれどそんな私をあざ笑うように、エステの嘘と言う言葉をすんなりと信用したスコットは、胸に手を置きながら大げさにリアクションを返している。

 テオはいつの間のにやらまた本の世界へと戻っているし、アーサーは相変わらずただこちらを見ているだけだ。


(は?どう言う事ですの……)


 それこそ、嘘のような光景だった。

 スコットは兎も角あのテオまでこうすんなりと引くとは、正直信じがたいけれど。

 皆、彼女の言葉に不自然さを感じないのだろうか……。


 けれど動揺する心とは裏腹に、私の口からは用意していたかのようにするりと言葉が漏れ出る。


「……嘘なんてくだらない事で、私の貴重な時間を浪費させないでくださいまし」


 とげとげした物言いに、エステは心無いごめんね~を返してくる。

 おかげで皆には、怪しまれる事は無かったようだ。色々と腑に落ちないけれど、今はしょうがないと自分を納得させる。



「お前たちも、随分と仲が良くなったようだな」


 会話が一段落ついたところで、ふいに満足そうな声が横から割り込んできた。アーサーだ。

 ずっと私たちを眺めて何をしているのかと思えば、そんな事を考えていたらしい。


「……どこを見てそんな事をおっしゃってますの?」


 全くもって遺憾な問いかけに、思いっきり冷めた視線を送ってやる。まぁ、彼には毎度見えていないようだけれど。

 もしかしたらあの眼鏡は、伊達なのかもしれない。


「冗談を言い合える様になっているだろう?」


 どうやらアーサーの中で先程のあのやり取りは、可愛らしいジョーク合戦に受け取られていたらしい。

 ……うんうんと頷いているスコットを見る限り、皆の中でもそう受け取られているようだけれど。


「どうだ、人生の素晴らしさを噛みしめているか?……今、幸せだろう?」


 なにかしら、この眼鏡は何を言っているのかしら……。

 心なしか、アーサーの瞳が生ぬるい優しさを秘めているように感じる。すごく陳腐で安っぽい感じだけれど。


「いえ、もうどこから突っ込めばいいのか理解できませんけれど。しいて言うのなら、この上なく不幸ですわね」


「なに!?まだ駄目なのか……やはり、先程のウォルトのせいで……」


「まぁ彼にも問題が無いとは言いませんけれど、一番の原因は目の前の眼鏡のせいじゃありませんかしら」


「何を言っている?俺はお前にとって幸運そのものだろう」


 心底不思議そうにそう言って、アーサーは首を傾げている。

 毎度思うけれど、どうして彼には嫌味が通じないのだろう。


「……頭が痛いですわ」


 相変わらず話の通じないアーサーに、段々と会話をするのを諦めつつある自分がいる。


「大丈夫か?流石に頭が痛いと幸せでは無くなるな……」


「……なんですのさっきから貴方、気持ち悪いですわよ」


 先程から幸せだなんだと突拍子の無い事を言い続けるアーサーに、若干引き気味に対応する。彼は宗教家でも目指しているのだろうか。

 少しばかり椅子を下げて、物理的にも彼から距離をとる。まぁこれで気づいてくれるような眼鏡では無い事は、とっくにわかっているけれど。


 それにしても本当エステといいアーサーといい、こちらの話が通じないし、会話に脈略が無くぽんぽんと飛ぶ。二人とも自分の中で、話を完結させているタイプなのだろうか。


「お前が、望んでいるんだろう?幸せになる為に」


「……は?」


「だから俺が手伝ってやると言っている」


 また眼鏡が、わけのわからない事を言い出した。 

 私を幸せにしたくて、最近絡んでいるという事なのだろうか……相変わらず彼の考えは、よくわからない。


(眼鏡をかけないと、眼鏡の言っている事って理解できないのでしたっけ?)


 ぼんやりとそう思いながらアーサーの顔を見返していると、横からあの甘ったるい声が聞こえて来た。



「アメリアとアーサーさんって仲いいんだねぇ~」


 エステの言葉には、全力で否定しておく。

 














_______________







「こんなルートあるんだなぁ……私のイベント、全部アメリアに吸われてるじゃん」




 エステは言い合うアーサーとアメリアを眺めながら、小さな声でポツリと呟いた。


「っていうかアーサーって、あんなキャラだったっけ?」


 そうは言いつつも、彼女の口調からは彼に対する興味はあまり見受けられない。

 案の定アーサーを胡乱な目で見やった後、彼女はすぐさま飽きたように目を瞑る。


「可笑しいと思ってたんだよねぇ……ワカメのおかげで確信できたけど」


 不満気にそう呟く声には、いつもの能天気で柔らかな彼女の面影は見受けられない。

 どちらかと言えばその言葉使いは淡々としており、どこか冷たさすら含んでいるように思えた。


「これって最近流行りのなんたら令嬢的な?……別に、こう言うファンサは求めてないよぉ!開発とシナリオ担当は無能かな?」


 小さな声で愚痴を吐き出し続ける彼女に、隣でスコットが不思議そうな顔をしている。

 けれど彼は大人しく隣で彼女を見つめているだけで、その会話に割り込むなり相槌を打つなりといった気配は見えない。


「イベ吸われるまではよかったのになぁ。……ていうか私がプレイヤーじゃないと意味ないじゃん。それともその感覚を味わえと?こうなると、もはやシナリオ進めるのが作業だって気づかないかなぁ」


 ついには小さく唸り始める彼女に、今度はテオがちらりと視線を向ける。

 しかしやはり彼も、すぐ様何事も無かったかのようにまた本へと意識を戻す。


「いや…でも、最後はきっとハッピーエンドだよね」


 少し俯き自分に言い聞かせるようにエステはそう言うと、フッと小さく息を吐いた。

 エステの大きな瞳が、水を得た魚のように輝く。キラキラと光るそれは、見ているものを取り込むようなずっと見ていたくなるような、そんな魅力がある。 

 優しく一生懸命で可愛い彼女を、誰もが好きになる。彼女は無条件で愛される存在なのだ。けれど、彼女にとってそれは当たり前の事。

 彼女は、幸せになるべくしてなる運命なのだから。



「だって主人公は、私だもん」



 最後に一言そう言った彼女は、次の瞬間にはふんわりとした笑みを浮かべて隣に座るスコットからお菓子を受け取った。

 可愛らしくのんびりとした声でお礼を言い紅茶を啜る彼女は、至っていつも通りのエステだ。


「……アメリアとアーサーさんって仲いいんだねぇ~」


 けれどそう呟いたエステの瞳は、どこかひどく冷めた色をしているようだった。

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