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疑わしきは 前


 私のハンカチには、どれも凝った刺繍が施されている。けれど白い布地に白い刺繍なので、余程気に入った柄でもない限り一目でそれと見抜くのは難しい。

 それでなくとも、今日はお茶会の事で頭がいっぱいだったのだ。……つまりこのハンカチが私のものだという事は確かなのだが、それが今日使用していたものであるか否かの判断がつかない。


(それにしても、持ち主の目の前で了承も得ずにハンカチを広げるだなんて信じられませんわ!)


 幸い目に見える汚れはついていなかったから良かったものの、エステのした事はとても無神経な行為だ。

 

(鼻水でも拭っていたりしたら、どんな事になっていたか。ひどい辱めですわ……)


 己の汚物を、衆人環視の眼前に晒される……想像するだけでもゾッとする。そして、それと同時にふつふつと湧いて来る怒り。

 本来ならばお礼を言うべきなのだろうけれど、どうしたってそんな気が起きない。


「……触らないで下さいませ!」


 けれどハンカチを落としたのは自分だ。羞恥心と、やるせない怒り。

 エステの手から、奪うようにハンカチを受け取る。

 正直、平民の手に触れたものなんて二度と使えませんわ!と受け取りを拒否する考えも浮かんだのだけれど、やはり使用済みの私物を相手の手に委ねるのは頂けない。



(……というか、本当に落とし物なんですの?)


 そもそも私のハンカチは、先程不審人物に渡された通りここにある。

 ならばこのエステが持っていたハンカチは、一体何なのだろう。


 今日は2枚持って来ていた?

 それとも今日落としたハンカチでは無い?

 

 可能性はテオボルト・スターリングが、昨日以前にこのハンカチを拾った場合だ。


(けれど、それにしては届けられるのが遅かったことが気になりますわ。)


 わざわざ拾うくらいなのだから、届けるつもりはあったのだろう。

 彼はこのハンカチを私のものだと知っていた。ならば仮に昨日拾ったとしても、すぐに使用人に言づけていれば今朝には私の元に届いていたはずだ。

 なのに、何故今更エステに……


(それにどうしてテオボルト・スターリングは、このハンカチが私の物だとわかったのかしら……同じイニシャルの生徒なんて、沢山いるでしょうに)


 考えれば考えるだけ、エステの発言に疑念を抱く。

 そもそも、本当にこのハンカチをテオボルト・スターリングが拾ったのかどうかすら怪しく感じてくる。



 ーー盗まれたのかもしれない


 ポンと、唐突に頭に浮かんだ言葉。

 それを特に疑問に思わず口に出す。


「まさか……貴女が盗んだのではありませんの?」

 

 言ってみてから、可能性は大いにあり得ると考えを改める。

 たしかに庶民のエステからしたら、このハンカチは喉から手が出るほど欲しいものだろう。


(よくわからないテオボルト・スターリングやらより、よっぽど現実味がありますわ!)


 エステはクラスメイトだし、何かとよく絡んでくる。ハンカチを盗むチャンスは何度だってあった筈だ。

 それに目的は単純に物欲ではなく、私を陥れる為や困らせる為なんてこともあるかもしれない。

 そう思えば先ほどハンカチを広げたのだって、私を辱める為に意図的にやったのではないかという可能性が浮上する。


(ええ、あり得なくはないですわね)


 今回はまだ会って数日だけれど、私は彼女を虐めたり貶したりとそれなりに嫌がらせをしてる。

 その事を根に持って、今回の行動に出た。うん、むしろ大いにあり得る。


 導き出された答えを胸に、疑いの眼差しでじっとりとエステを睨む。

  


「え?えええ!?私そんな事しないよぉ~!!」


 しかしエステは、心外だとばかりに勢いよく首を振って否定した。

 まぁ、そう簡単に自分の罪を認める人間はいないでしょう。


「では、どこで拾ったのか教えてくださいます?」


「え?だ、だって私じゃなくて、テオくんが……」


 エステが困ったように眉を寄せ、おどおどと弱々しい声でそう答える。

 親切心を疑われて、予想以上にエステは狼狽しているようだ。珍しい彼女の表情に、背筋がゾクリと震える。


 これは本来の目的とは異なるけれど、もっともっと追い詰めてみても良いのではなくって?


 唐突に訪れた高揚感に、乾いた唇をペロリと舐める。

 むずむずと上がりそうになる口角を必死に抑えて、咎める口調を崩さず更にエステを問い詰めた。



「……スターリング様から預かったのでしょう?ならば、スターリング様にどこに落ちていたか聞いたのでは?」


「き、きいてないよぉ~!だって落ちてたからって、なら私が届けるよって……」


 エステの弁解は、要領を得ない支離滅裂なものだ。思わずため息をつきたくなるところを、グッと抑える。

 ピクリとも変わらない私の表情に、何を言っても聞き入れてもらえないと悟ったのか、エステの大きな瞳にじわりと水の膜が張る。

 


(あら?この流れ、覚えがありますわね……)


 ポロリ、エステの瞳から大粒の涙がこぼれると同時に、聞きなれた声が背後からかけられる。


「おい!なにしてんだよ!」


(……デジャブですわ)


 内心舌打ちをしながら背後に顔を向ける。

 するとそこには、予想通り怒った顔のスコットが立っていた。


 泣くエステ、詰め寄る私、怒った男子生徒。何度この光景を見た事か。

 断罪の時は当たり前として、1回目の虐め全盛期はエステを泣かせると、すぐにヒーローよろしく誰かが飛んできていた。

 その余りの頻度に、監視されているのかと疑ったほどだ。まぁ私もそれだけ彼女を泣かせた、という事なのだけれど。


(このパターンに入ると、面倒なのですわよね……)


 先程まで高揚していた気分が、あっという間に冷める。

 大抵乱入してくるヒーロー様と、エステを巡って一悶着起きるのだ。それがたまらなく面倒臭い。


(ここら辺が潮時ですわね。残念ですわ、せっかく興が乗って来たというのに)


 ため息をついて、頭を切り替える。

 名残惜しいけれど、エステから一歩離れてくるりとスコットに向き直った。


「別になんでもありませんわ。エステにこのハンカチをどこで拾ったのか、質問していただけですの」


「は?いやいや、なんで質問しただけでエステちゃん泣いてるんだよ!?」


 私の持っているハンカチを見て、瞬きを一つ。

 不思議そうに首を傾げたスコットは、ぱっと思い出したかのように表情を険しくしてまた私に詰め寄る。ウザいですわ。


「さぁ?目に塵でも入ったのではありませんの?」


 スコットを押し返しつつ、空惚けて明後日の方向に目を向ける。

 ついでにエステの真似をして、指を顎にかけ首を傾げポーズも奮発してやった。これに免じて、エステを連れてさっさと何処かへ行ってくれないかしら。


「……いや、流石に騙されないぞ」


 そんな私をスコットが哀愁を含んだなんとも微妙な表情で見てくるけれど、知った事か。刹那に生きる私に、怖いものなどありませんのよ。


「いいの、スコットくん……」


 それでもまだ何か言おうと口を開いた彼を遮るように、掠れた声がその場に落ちる。

 顔を俯けたままのエステが、ぎゅっとスコットのシャツの袖を握った。

 途端にスコットの頬がぱっと赤らむ。けれど、そのはしたない行為に目元を引き攣らせた私を見た瞬間、ビクリと固まり青くなった。


「ちょっと、誤解されちゃっただけだから……大丈夫、私、こう言うの慣れてるし、ね!」


 俯きながらも明るい声を発するエステ。けれど、所々涙で声が震えているのが隠せていない。いえ、隠していない、かしら。

 エステの場合、素なのか狙っているのか判断がつかない。私なら間違いなく狙ってやるのだけれど。


「アメリアに信じてもらえないのは悲しいけど、私は、大丈夫だよスコットくん。心配してくれて、ありがとうねぇ」


 エステは涙で濡れた頬を手の甲で拭いながら、ゆっくりとスコットを見上げてにこりと微笑んだ。


「エステちゃん……」


 スコットの眉がへにょりと下がる。


(彼の心境が手に取るようにわかりますわね)


 これはもう間違いなく、その健気さと優しさに心打たれているのだろう。心なしか恋する乙女の様に、瞳がうるうると潤んでいる。

 微笑みながらスコットを見上げるエステと、慈しむようにそれを見つめるスコット。二人の間に漂い始める桃色の空気。

 


「はい、そこまで!!」



 パンと手を打ち、桃色に染まりかけた空間をぶち壊す。

 余りに力強く叩いてしまったので掌がひりひりと痛むけれど、素知らぬ顔で両手を背中へと隠す。この痛みは倍にして、今度スコットに返してあげましょう。


 瞬時に霧散した雰囲気に、ぽかんとした表情でこちらを見るエステ。その横でスコットは恨めしそうな顔を向けてくる。だから、そんな顔されても知ったこっちゃありませんわ。


「さあ、まだ私の話は終わっておりませんわよエステ!」


「え、えっと……だからテオくんが拾ったらしいから、私はわかんないんだよぉ?私の事は信じなくてもいいから、テオくんの事信じてよぉ~!」


 雰囲気を壊され涙も引っ込んだのか、呆気にとられながらもエステが答える。


「生憎、私は彼と面識が無いもので。信じる以前の問題でしてよ」


 エステと私の会話を聞いていたスコットが、恐る恐る右手を挙げて発言を申請する。


「なんですのマクレガー様。発言は端的にお願いしますわ」


「えっと……よくわからないけどさ?」


 呆れた。端的にと言ったのに、本当ポンコツですわね。

 私の半眼に気づいたのか、スコットは顔を斜め下に逸らしつつ続ける。


「あー……テオに真相を直接聞けばいいんじゃないかな?」


 スコットの意見はもっともだ。私も頷く。


「そうしたいところですけれど、もうお帰りになってしまったでしょう?」


 明日に回すには、面倒だし大事になりそうだ。……というか、絶対アレックスが出張ってくる案件だ。いや、案件になってしまった。


(ええ……これについては反省しましょう)


 エステを虐めるのは楽しいけれど、何も虎の尾を踏むことは無い。虎と対峙するのは、最後だけでいいのだ。

 やはりなんとしてもこの件は今日中に片付けたい。もうエステが盗んだって事で〆てしまってもいいかしら。


「テオくん帰ってないよぉ!図書室にいるよぉ!」


 そんな事を考えていたら自身のピンチを察したのか、横からエステが勢いよく口を挟んでくる。


「……なんですって?」


「私、図書室に向かうテオくんからハンカチあずかったんだもん!」


 えっへんと口で言いながら、エステが自慢気にふんぞり返る。

 そんなエステをほんわかした表情で見つめていたスコットが、私を見てヒッと小さく声を上げる。


「……図書室、ですの?」


 おい、それを知っていたならなぜ早く言わない……。

 湧き上がる怒りを抑えて口を開く。いったいここまでのやり取りは何だったのか……声が地を這うように低くなる。 

 青い顔でおどおどと私とエステを交互に見遣るスコットをよそに、エステは気づかないのか気にしないのか、至って今まで通りに笑っている。


「テオくんはねぇ、ご本読むのが好きなんだよぉ~!」


「ああそう言えばあいつ、放課後は何時も図書室にいるな~。生徒会の用事があっても、サロンに本持ってきて読んでるし」


 スコットもエステの言葉に頷く。


「それは随分と……変わった方ですわね」


「だよな~!」

「そうかなぁ?」

   

 私の言葉に、スコットとエステが正反対の反応を返す。

 言ってからお互い顔を見合わせて疑問符を飛ばしている様子に、なんとも気が抜ける。


「まぁ居場所も分かった事ですし、私はもう行きますわ」


 本来ならば真っすぐに帰る予定だったのに、随分と寄り道をしてしまっている。

 さっさと用事を片付けて、早く帰りたい。


「気を付けていってきてねぇ~!」


 先ほどのしおらしさなど欠片も見当たらない表情で、エステが手を振って見送ってくる。

 前々から思っていたけれど、この子どこかぶっ壊れているんじゃありませんの?


「テオに会えば、きっとエステちゃんへの誤解だって解けるさ!」


 こんなにいい子なんだから!……と目で訴えてくるスコットをちらりと一瞥して答えてやる。


「疑わしきは罰せよ、ですわ」


「……そんな事言ってると、いつか自分に戻ってきちゃうんだぞ」


 スコットが呆れつつも、心配そうな目で私を見つめている。

 それを肩を窄めて鼻で笑うと、踵を返して昇降口へと歩き出す。


「その意見には、全くもって同意いたしますわ」


 スコットの忠告に、振り向かずそう返した。


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