たのしいおちゃかい6
アレックスの言葉は、私には聞こえない。
けれど、私は知っている。……あの目を、あの結末を覚えている。
(私は彼ではないのだから、想像でしかないけれど……)
アレックスは、己の責務を果たす人間だ。生徒会長としても立ち回れているし、社交界での覚えもいい。しかし、そこに感情が伴ってるのかは……わからない。
救いが慈悲であり、優しさが相手を尊重する気持ちなのだとしたら……アレックスはそういった感情を抱かないのでは、と思う。誰にも……たとえ、相手が婚約者であろうとも。
それは今まで彼と関わっていて、薄々気がついていた事。
彼にとって、彼以外の人間が幸せになろうが不幸せになろうが、それはどうでもいい事なのかもしれない。そう、私達が腕についた小さな羽虫を払う時、その虫の生死を気にしないのと同じように。
きっとアレックスには貴族の責務も、暑いから窓をあけるといった日常動作と変わらないのだろう。それによって虫が外に出て助かっても、逆に入ってきて死んでしまっても与り知らぬ所。虫の生死に、彼の意思は関わらない。生きるも死ぬも、虫の勝手であり天命だ。
そして少なくとも彼が、私にそれと同程度の興味しか抱いていない事はもう察している。
(私も人の事は言えませんけれど、本当にろくでもない男ですこと)
先ほどのスコットとのやり取りでは無いが、誰を助けようが助けまいがそんなのは個人の自由だ。強制するものでもされるものでも無い。勿論、その結果にちゃんと責任がとれるのなら……ですけれど。
エステの件に関しては間違いなく向こうにも非があるだろうが、彼が私に情けをかけるかどうかはまた別問題だ。
そもそも、あんな男に何かを期待した私が馬鹿だったのだ。ありもしない幻想に逃避して、縋ろうとしてしまった。最初から、私自身の足で歩き続ければよかったのに。
(……傍観者。ある意味、お兄様とは違って本当の意味で平等なのかしら)
そして最低で残酷で無責任で、人として間違っているけれど……ある意味、一番正しいのかもしれない。
「そういえば他の奴ら来ないなぁ~!もう休み時間終わっちゃうのにな」
場の空気を切り替えるかのように、大きく明るい声が響きわたった。
その声に釣られるように顔を上げると、柔らかな笑顔でこちらを見ているスコットと目があった。全く、空気が読めるって本当に可愛げがありますわね。
「……そうですわね。他の役員の方は、いつ頃お見えになるのでしょう?」
せっかくなので、スコットの優しさに遠慮無く乗らせてもらう。
まぁ言っておいてなんですが、うっすらとは予想がつくのですけれど……。
「そう言えば、みんな来てないね?レオンさん、今日はみなさん来ないんですか~?」
エステが私の発言を繰り返す。なんというか、こう自分の発言を引用されてさも自分の言葉のように繰り返されるって、すごく腹が立ちますわよね。それ、今私が言いましたけど?って感じで。
私の時にはたいした反応を示さなかった兄が、エステの言葉には少し眉を下げて申し訳なさそうな表情を作る。
「……申し訳ないですが、彼らは今日は来ません。スコット、今朝その旨を連絡したでしょう」
「え、ちょ!俺、なんにも聞いてないですよ~!?レオンさん!!」
兄の言葉にスコットが驚き、弾かれたように立ち上がった。
そんなスコットの反応とは逆に、私はやはりなと納得する。もうそろそろ昼休みも終わる時間だ。こんな時間に、残りのメンバーが顔を出す事は無いだろう。
どうせ兄が私を警戒して、極力リスクを避けようとしたのだろう。前回彼の教室で起こした大立ち回りが、余程堪えたようだ。ふふん。
「言いましたよ。どうせスコットはまた聞いていなかったんでしょう」
「え?えーそうなのかなぁ……あははは」
頭を掻きながら笑って誤魔化すスコットに、兄はため息をつきつつも苦笑している。どうやらこう言ったやり取りは毎度の事のようだ。
「……興が冷めたな。俺は戻る」
ほのぼのとし始めた空気に、ピリッと緊張が走る。
顔を向ければ未だ惚けているウィルの横で、つまらなさそうにこちらを見遣るアレックスと目が合った。
「あれぇ~アレックスさんもう帰っちゃうんですね。今日はあまりお喋りできなくて寂しいですけど……また今度沢山お話しましょうね」
なんとも言えない気まずい空気の中、エステが椅子から立ち上がりアレックスへと駆け寄っていく。
満面の笑みでアレックスにそんな恐ろしい事を言う彼女に、内心拍手を送りたくなる。私だったら死んでも言えない台詞だ。
「……いいだろう。では、後は任せたぞレオン」
少しだけその瞳に興味を宿してエステを見返すアレックスは、彼にしては"かなり"マイルドな口調でそれを諾した。
踵を返して扉へと向かう彼の背中を、エステが手を振って見送っている。
(ふぅん……)
最早彼に未練は微塵も無いけれど、なにか面白く無い。まぁ彼らを祝福する気は到底無いので、この苛立ちも込めて今後も全力で邪魔させてもらおう。
「っ!!待て!アレキサンダー」
そんな風に決意も新たに二人を眺めていると、椅子を倒すのではと思う程の勢いでウィルが立ち上がり、アレックスに向かって歩いて行く。どうやら意識がこちらに戻ってきたようだ。
もしや、先程の囁かれたアレックスの言葉に怒ったのだろうか。
(あら、今度こそ大事になるのかしら!)
なんだか物語や演劇で見た事があるような展開に、わくわくしながら彼らの動向を見守る。惜しむべきは、ヒロインポジションにエステが収まっていることか。
つい先ほど湧いた苛立ちと相俟って、自然ウィルに向ける視線が期待を含むものになる。私の前を通り過ぎる時に、ちらりとウィルと目が合った。
「僕も……僕もこの茶会に参加させてもらう!」
彼が何を言い出すのかと固唾を飲んで見守っていた私は、ウィルの言葉に拍子抜けした。彼は、何を言っているのだろうか。
ちらりと周りの様子を伺えば、兄は眉間を押さえスコットはきょとんとして目を瞬いている。顔を戻せば、アレックスは再度興味の色を瞳に載せていて、エステは目を見張って驚いた顔をしていた。
(……驚いた顔?)
ウィルが王子だと露見した時でさえ驚かなかったエステが、何故ウィルのよくわからない申し出にこんな顔をするのかしら。
「ほぉ……中等部の生徒でありながら、高等部の茶会に出たいと?」
「部外者厳禁の伝統は廃止したのだろう?それなら僕にだって参加する権利はあるはずだ!」
「……恐れ入りますが、それは違いますウィリアム様」
ウィルの言葉に兄が割って入る。相変わらず難しい顔をしたままだ。
「先程もお話ししましたが、誰もを招き入れ道楽に耽る為に廃止したのではありません。弱き者を助けるために、廃止したのです」
ウィルにそう話す兄の瞳に、既視感を感じる。昔、兄はあのような色をのせて私を見ていた。あれは、どういった感情なのかしら……。
兄の言葉に、ウィルは顔を顰めて唇を噛む。理解はしていても、感情が付いてこない事はある。特に彼はまだ子供で、我慢を知らない王子様だ。
「理由が必要、という事ならば……」
ウィルの言葉に、兄の瞳の色が更に濃くなる。
「……僕の後学の為にも、高等部の生徒会を見学させて頂きたい」
「……ウィリアム様」
「いいだろう」
何かを言おうとした兄の言葉を遮って、アレックスの声がウィルの要望を諾す。
「な!アレックス!!!」
咎めるような兄の声にも、アレックスは素知らぬ顔だ。
「好きな時に、茶を飲みにくるといい」
「……僕には手を差し伸べるのか?」
「いいや、差し伸べているつもりは無いさ」
ふと、ウィル越しにアレックスと目が合った。
かつての私に向けていた無機質な色とは違う、何らかの感情を伴った瞳。
「ーーーっ!?」
視線が絡まったのは、ほんの一瞬だった。けれど、その一瞬は私の感情を揺さぶるのには十分だった。
あんな瞳を向けられた事は、今まで一度だって無い。どう言うつもりなのかは知らないけれど……彼の中で私は、羽虫から小動物くらいにはなれたのかもしれない。
(やっと貴方の舞台に上がらせていただけた、と言う事なのかしら)
地獄の様な1年を繰り返して6回目。どうやら彼の瞳に、ようやく私は映ったようだ。
「はぁ、結局また顔合わせに足を運ばなくてはいけませんのね……」
面倒だ、と言外に滲ませながらため息を吐く。
結局あの後ウィルは、そのまま帰ってしまった。そしてアレックスも去り、追いかけるように兄も出て行った。
サロンに残ったのは元の3人。休み時間が終わるまでは、あと少し。
「私は楽しみだけどなぁ~!えっと、今日来なかった人は……えーと…えーとぉ?」
「貴女、一度挨拶を交わしているのに覚えておりませんの?」
「まぁまぁ、きっとエステちゃんも緊張してて覚えられなかったんじゃないかな。今日来なかったのは……アーサーとテオとウォルトだね」
非難を含んだ私の声からやんわりとエステを庇いつつ、スコットは指折り数えながら教えてくれる。
「オールストン様には、もう挨拶は済ませておりますわ」
「ああ、連絡伝えたんだっけ?アーサーは真面目だからね~」
スコットの言葉に思わず真顔になってしまう。……真面目?アーサーが?あの眼鏡が真面目?
「アーサーは真面目すぎて融通利かないでしょ~俺の事もすぐ怒るしさ!」
融通は確かに利かない。けれどあれは真面目……とはまた違うのではないだろうか。
(いえ、でも自分の目的を達成する為に脇目も振らず、妥協をしない……というのは真面目なのかしら)
一人悩む私をよそに、スコットは話を続けていく。
「でもテオは逆にすごい不真面目だけどね。やる気もあまりないし。でも頭がすごくいいんだよなぁ」
「あ~テオくん!!猫さんっぽい男の子だよね~」
「そうそう!確かに猫っぽいところあるかも!」
きゃっきゃと、お花が飛び交っているような会話を流し聞きする。
テオ……テオボルト・スターリングの事だろう。高等部の1年の生徒で、入学とほぼ同時に生徒会に入った特例の子だ。
私は彼を噂程度でしか知らないけれど、二人の話を聞く限りだと馬が合わなそうな相手だ。猫っぽいと言うのには、とても惹かれるけれど。
「あとウォルトか……俺あんまり仲良くないんだよね~同じクラスなんだけど」
「……私、この間のお茶会でウォルトさんとはあまりお話できなかったんだよねぇ~」
「あ!うん!お話しちゃダメだからね!!エステちゃんはアイツとお話したらだめ!」
「……ウォルトって、ウォルト・アップソン様ですわよね?」
「そ!そのウォルト」
「……私も、あまりお話したい相手ではありませんわね」
「でしょ~!!」
スコットは嬉しそうに相槌を打つ。
ふと私たちの会話をニコニコした笑顔で聞いているエステが目に入ったので、改めて彼女に視線を向けた。
そろそろ予鈴が鳴る頃だ。ゆっくりと立ち上がりながら彼女に問いかける。
「それで、どうでしたの?今回のティーパーティは」
今回の事で、少しは懲りてくれないだろうかという望みを込めて聞いてみる。
これだけ面倒な事が起きたのだ、流石にエステだって……
「うん!と~っても、たのしいおちゃかいだったね!」
相変わらず、エステの思考回路はよくわからない。
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教室へ向かう足が、自然と早くなっていく。
『俺なら、誰にも手を差し伸べない』
彼の声が、未だに耳に張り付いている。
あの気高いヴォルフガング家の嫡男で、この学園の生徒会長が言ったとは到底思えないその言葉。
「どういうつもりで言ったんだ……アレキサンダー」
僕は彼を尊敬しているし、彼の考えが僕には全然理解できないのもわかっている。
それでいいと思っていたし、そんな彼に憧れていた。
「……でも、でも……」
エステとアレキサンダー。二人を見つめるあの人の横顔が忘れられない。
あの細くも、凛とした寂しそうな背中を放って置くことなどできない。
だって……僕を見つめ返してくれたあの瞳は、確かに助けを求めていた。
「でも、駄目だ。僕には……まだ足りないものが沢山ある」
歩む速度が、遅くなる。
だって、僕は彼に全然追いつけない。知識も、経験も、年齢だって……。
けれど……
『ありがとうございます……ウィル』
「ーーーっ!!」
止まりそうになる足を無理矢理進める。
拳を握りしめて、俯いてしまいそうな顔を上げて背筋を伸ばす。
「彼が、アレキサンダーが助けてあげないのなら、僕があの人を助けてあげるしかないじゃないか!!」
彼女は僕を助けてくれた。ならば僕が彼女を、アメリアを助けるのは当たり前だ。それが人間と言うものだ。
僕の言葉にすれ違う生徒が驚いたように振り返ったけれど、僕にはそれに構う余裕は無かった。
ウェルベルズリーのように、全てを助けるなんて大層な事は僕には言えない。言えるだけの力も無い。まだ今の僕には、彼女に差し出す手だけで精一杯だろう。
「僕は、もっと学ばなくては……もっともっと、知らなければ」
もう、歩む速度を緩める気は無い。




