たのしいおちゃかい3
ーバタンー
大きな音に、思わず扉の方を振り返る。
「エステ!エステはいるか!!」
勢いよく開け放たれた扉から、誰かが大声で喚きながら入ってくる。突然の乱入者は、中等部の制服を着た金色の髪にブルーの瞳が良く似合う天使のような男の子。
どこか既視感を覚えるその姿に、さほど記憶を遡る事なく思い至る。確か彼は保健室で会った……
「……あの時の爵位の高そうな子ですわね」
「え、誰?」
「あれぇ、この子って……」
彼に対する反応は、三者三様だった。
私は思い当たり、スコットは戸惑い、そして名指しされた肝心のエステは……
「えぇ~、私まだフラグ立てて無いのになぁ」
(またわけのわからない事を……)
呆れながらエステに視線をやると、人差し指を尖らせた唇に寄せて小首を傾げている。不思議そうに大きな瞳を瞬かせる仕草は、腹が立つほどあざとい。
それにしてもエステが使う単語は、時々使いどころがおかしかったり、意味が解らない事が多い。もしかしたら、平民の間で使われているスラングと言うものなのかもしれない。
(言葉使いにも、育ちが出ると言ったところかしら)
そんな事をぼんやりと考えていたら、サロンの室内を見回していた男の子とバチリと視線が絡み合う。
「……エステ!!」
男の子はテーブルで食事をしている私たちに気が付くと、彼女の名前を呼び駆け寄って来た。
先程から名前を連呼している所を見るに、どうやら彼はエステを探してここまで来たようだ。
(またエステが何かしたのかしら。本当、次から次へと厄介事を持ち込みますわね)
紅茶を飲みながら、まるで台風の目みたいだと他人事のように思う。実際は、決して他人事では無いのだけれど。
それにしてもエステはまだ編入してきたばかりだというのに、いつの間に中等部の生徒と知り合ったのだろう。
「やっと見つけたぞ!エステ」
しかし、天使のような少年がそう言って駆け寄ってきたのは……エステではなく私だった。
「は”?」
思わず、地を這うような声が出てしまう。恐らく今の私は、兄にも負けない程に冷たい目をしている自信がある。
それを裏付けるかのように、私の顔を見た男の子がひっと小さく悲鳴を上げてその足を止めた。
「な、なんだその顔は!!わざわざ僕が、庶民のお前を探しに来てやったというのに」
口では偉そうな事を言っているが、その目は薄く水の膜が張り口元は歪んでいる。今にも泣きそうな顔といったところか。
見目麗しい彼のそんな姿に、絆される人は多いだろう。けれど、私はその姿を見ても少しも心は動かされなかった。むしろ、先程より更に冷めた視線で彼を見る。
「なんて?」
「え?」
「貴方、今、私の事を何て呼びました?」
「エ、ステ…だろう?平民で編入生のエステ・モ」
ーッダン!!!ー
みなまで言われる前に勢いよく机を叩き、彼の言葉を遮る。何という事だろうか、あろうことかこの子は私をエステだと勘違いしているらしい。ぞわりぞわりと這い上がる嫌悪感に顔が強張る。
どんなに狭量と言われようとも、その勘違いだけは決して見過ごすことができない。私からしたら、何よりも嫌な相手に間違われたのだから。
「い い え 違 い ま す」
取り付く島も無い私の様子に、男の子は口を開けたまま固まってしまっている。
「ええっと……なんかよくわかんないけどさ、エステちゃんはこっちな?」
「……。」
一触即発的な雰囲気を感じ取ったのか、困惑しながらもエステを指さすスコット。一方エステは、眉を寄せたまま何やら考え込んでいるようだ。
「……はぁ?」
男の子はスコットに指差さされたエステに一度顔を向け、もう一度私の顔を見てから再度エステに視線を戻す。しばらく茫然とエステを見つめてから、ぽつりと呟く。
「……誰だ?」
「貴方が探していたエステでしょう」
「え、じゃあお前はエステじゃないのか!?」
彼はそう叫ぶと、驚いた顔をこちらに向けた。私がエステだなんて、冗談でも止めて欲しい。本当に、切実に。
「何をどう勘違いすれば、私がエステになるのか知りたいものですわね」
「うーん、それは私も知りたいかもぉ」
「たしかに、全然似てないもんな~」
しばらくこちらの様子をぼんやりと眺めていたエステが、私の言葉に同意して頷く。スコットも私とエステを見比べて、不思議そうに首を傾げている。
「じ、じゃあ!!お前は誰なんだよ!」
私達の言葉にショックを受けたのか、男の子はそう叫ぶと顔をこちらに向けて食って掛かる。勘違いしていた事がいたたまれなかったのだろう……顔は真っ赤に染まり、瞳はじんわりと潤んでしまっている。なんだか可愛らしい。
それはそうと、再度名前を教えろと言ってくる彼にはうんざりとする。この子に名前を教えると、色々と面倒な事になりそうだと直観的に感じているのだ。……今回も、何とかして有耶無耶に誤魔化してしまおう。
「まぁそんなことよりも」
「ああ、彼女はアメリアちゃんだよ!ちなみに俺はスコットな!」
決意も新たに口を開いたその瞬間、スコットがそれまでの空気もろともふっ飛ばしていく。コントか!!
思わずテーブルに打ち付けそうになる頭を押さえて、冷ややかにスコットを睨む。
「……ねぇマクレガー様、勝手に名前を教えないで頂けますかしら。個人情報の漏洩ですわよ」
「え!?ちょ、なんでアメリアちゃんそんな怖い顔してるの!?お、俺なんかしちゃった??」
「ん~よくわからないけどぉ、スコットくんは悪く無いと思うなぁ。アメリアもそんな怒っちゃ駄目だよ~?全ては、よていちょーわってやつなんだからさ!」
私の視線に背を震わせハテナを飛ばすスコットとは対照的に、エステは訳知り顔で相変わらずよくわからない事を言っている。そもそも彼女は、予定調和の意味を理解しているのだろうか。
それ以上怒る気にもなれず、ため息を吐いて席に座り直すと食器がカチャリと音を立てた。
「……とりあえず、さっさとランチを食べてしまいましょう」
「僕の名前は……ウィルだ」
天使のような男の子は、ウィルと名乗った。性を名乗らないところが気にかかるけれど、私も似たようなものなのでまぁよろしいでしょう。
ウィルもテーブルに座らせ、食事に戻りながら話を進める。とは言っても、私とスコットはもう大方食べ終えているのだけれど。
「ウィルか、よろしくな!ところでさぁ、俺達どこかで会った事ない?」
スコットがウィル相手に、何やら軟派男の様な事を言っている。
「マクレガー様、いくら見目が美しいと言ってもその子は男の子ですわよ?」
「え…?あ、え?いや知ってるよ!?制服見ればわかるからね!!そう言うんじゃなくてさ、なんか俺、ウィルの事知ってるような気がするんだよね~」
「ああ。まぁ僕も中等部で生徒会をやっているから、見かけた事があるんじゃないか?」
「え?そうなんだ!ん~じゃあそれで知ってるのかなぁ」
スコットはウィルの顔を見ながら、眉根を寄せてうんうんと考え込んでいる。
「……ねぇウィルくんは、どうしてここにきたのかなぁ?」
そんなスコットを横目に、エステがウィルに話しかける。
高等部の学生達とランチの席に座らされて居心地が悪そうにしていたウィルだったけれど、エステの笑顔と雰囲気に安心したのか憮然とした表情が少し和らぐ。
私からしたらひたすらに腹が立つ喋り方も、こういう時は役にたつものなのだと感心してしまう。1mmくらいなら、エステの事を見直してあげてもいいかもしれないですわね。
「それは、エス……アメリアを探して2年の教室に行ったら、生徒会のサロンに行ったって教えてもらったんだ」
「わざわざ教室まで行きましたの?というか、そもそも何で私を探していたのか聞いてもよろしくって?」
中等部の教室は北棟にあるが、どうやら西棟の私達の教室まで探しに来てくれたようだ。
まさか本当に、あの治療の仕返しをしに来たのではないでしょうね……。こくりと飲み込んだ紅茶が先程より苦く感じられてしまうのは、そんな疑心暗鬼のせいだろうか。
「あ、えっと…それはその、怪我の治療をしてもらったのに、礼を言えなかったから……紳士に有るまじき行為だと……」
その問いに、ウィルはぱっと顔を赤らめる。しばらく視線を彷徨わせた後、俯きながらごにょごにょと私を探していた理由を話し出した。どんどんと声が小さくなっていくので、後半の方は何と言っているのか聞き取れなかったけれど。
「ああ、お礼言いにいらしてくれましたの」
聞き取れたところだけで判断するのなら、そう言う事だろう。お礼参りの方では無くてよかったですわ。
けれど、私の言葉を聞いたウィルは勢いよく顔を上げて否定の言葉をまくしたてる。先程のしおらしさはどこへやらだ。
「違う!!お、俺は!!あんな野蛮な行為に礼など必要ないと言ったんだぞ!!でも、アルウィンが!!だからお礼を言いに来たんだ!!」
違わないじゃありませんの、という言葉は武士の情けで言わないでおく。思春期の男の子というのは二律背反、相反する気持ちが内包された甘酸っぱいものである。
「アルウィン?って誰だっけ?」
「高等部の養護教諭ですわ」
先程から大人しく私とウィルのやり取りを聞いていたスコットが、聞きなれない名前に首を傾げたのでその疑問に答えてやる。
確かに養護教諭というのは、生徒に名前を憶えてもらう機会が少ないだろう。けれど仮にもスコットは生徒会のメンバーなのだから、先生達の名前くらいは知っておいて貰いたい。
「ああ!保健の先生か!」
「それくらい覚えておいてくださいませ。そんなあり様で、よく社交界に顔を出せますわね」
社交界は、ただでさえ覚えなくてはいけない事が多いのだ。養護教諭の名前すら覚えていられないのなら、スコットに社交界での立ち振る舞いなんて到底望めないだろう。
「んー俺、必要に迫られればなんとか覚えられるんだけど、それ以外はてんでだめなんだよな~」
「あら、そうなんですの?」
「うん、だからテストとかは結構成績いいんだぜ!まぁ勉強より運動のが、よっぽど得意なんだけどね」
意外だ。てっきり家柄だけで生徒会の面子になったのだろうと思っていたけれど、それなりに実力はあるのかもしれない。
しかし追い詰められないと力が発揮できないなんて、普段はただの役立たずだと言っているようなものだ。
「高等部の生徒会は、随分と質が低いようだな。僕は成績もいいし、まだ社交界は行った事はないがきっと上手く立ち回れるぞ!」
そんな私の思考を読んだかのように、ウィルが張り合うように横槍を入れて来た。
けれど胸を張ってそんな事を言っても、申し訳ないが説得力は皆無だ。何故なら……
「そんな優秀な貴方が、どうして私のことをエステだなんて誤解したんですの?」
正直、未だにはらわたが煮えくり返っている。彼がどの程度の地位の貴族なのかは知らないけれど、貴族の令嬢を庶民と間違えるとは中々の失態ではないだろうか。
「う…それは……アルウィンが、そうじゃないかって……」
私の問いにウィルはスッと視線を逸らし、観念したように目を伏せた。
それにしてもまたアルウィンだ。ウィルとどういう関係かは知らないけれど、話を聞く限りウィルは彼をかなり信用しているようだ。
「結局、全部あの男が原因ではありませんの」
そもそもこの間は養護教諭のくせに保健室にも居なかったし、今度会った時は文句の一つや二つぶつけてやらなくては気がおさまらない。
「だってアメリアは頭からくるくるした触手が生えていて、怖くて、性悪な女だと……アルウィンが」
「は!?なんですって!?」
前言撤回だ。文句なんて生ぬるいものでは無く、アルウィンにはこの腹立たしさを全力でぶつけてやろうと心に決める。
いっそ我がウェルベルズリー家の総力を持って、あの男の首を飛ばしてやろうかと心の中で算段を立てる。
「ああ、確かにそんなイメージだよな~って触手かー!!すっごい表現だなぁ~ははは」
スコットが感心した顔でポンと手を打ち楽しそうに笑い転げているが、私は少しも笑えない。
「マクレガー様……もっと楽しいお話をしてあげましょうか?アナタノコトデ」
「ふはは、は……え、いや、何か嫌な予感がするので遠慮シマス」
ふむ。こういうところで空気を読めるだけ、エステやアーサーよりは可愛げがあると思ってしまうのは毒され過ぎかしら。
「私はあの髪型好きだけどなぁ~面白くって」
「……なら、髪型を変えて正解でしたわね」
もぐもぐとランチを食べながら、相変わらず空気の読めない発言をするエステに改めて考え直す。やはりスコットの方が全然可愛い。
それにしても、誰もあの素晴らしいヘアースタイルを理解できないとは嘆かわしい事ですわね。……と考え、ふとなにやら引っかかりを覚える。ちらりとエステに視線を向けるが、彼女はすでに食事に戻ってしまっていた。……気のせいかしら。
「でもアメリアちゃんは実際話してみると、すっげーユニークだな!あと怖い!」
「ユニークなところは全然よくわからないが、怖いには同感だな」
最早二人の会話につっこむ気すら起きない。
まぁ怖さに関しては多少なりとも意識している部分はあるし、間違ってはいないのだけれど。
そんなくだらない話をしながら食事を終えて、紅茶を入れてもらい一息つく。そこへ軽いノックの音が聞こえてきた。
コンコン。
再度響いたノックの後に、返事を待たず扉が開く。
扉から顔を出したのは、金色の髪にグリーンの瞳の見知った人物……我が兄レオンだ。なんだか先程も、こんな光景を見ましたわね
兄は直ぐにこちらに気が付いたようで、挨拶をしようと口を開きかけてぴしりと固まる。
「君、は……」
どうやらウィルに対して驚いているようだ。ウィルを見て茫然と動きを止めてしまった兄の後ろから、真っ赤な頭が悠然と入ってくる。
「邪魔だレオン。立ち止まるなら端に寄って、好きなだけ立ち止まっていろ」
レオンに続いてサロンに入って来たのは、婚約者のアレックスだ。アレックスはレオンを邪険に端へと追いやると、こちらに視線を向けてくる。
「なんだウィリアム、此処は高等部のサロンだぞ。お前は中等部の生徒会長だろう」
アレックスがちらりとウィルに視線をやって、口の端を吊り上げる。
ウィルの本名はどうやらウィリアムらしい。それにしても中等部の生徒会長とは……どうみても3年生には見えないのだけれど。
「ウィリアム……中等部生徒会長……あっー!!!」
それまでブツブツと何か呟いていたスコットが突然叫んだので、思わず彼の顔を振り返って見てしまう
「ウィリアム、王子……様」
「え……」
スコットの言葉に、驚いてウィルを見遣る。私の視線にウィルは少し肩をすぼめただけだ。
(王子って……え、本当に王子様なんですの?)
位の高い貴族だとは思っていたけれど、まさか王族とは思ってもみなかった。
突然の展開に呆気にとられてしまったけれど、この場で驚きの表情をしているのはスコットと私だけ。
アレックスとレオン……そして何故か、エステだけは動揺する事なく平然とその言葉を受け入れていた。




