プロローグ
おかしいと気が付いた時にはもう、引き返せない所まできていた。
今は一体、何回目の何時だろう。
鏡に映る自分の顔は健康的で、美しく愛らしい。しかしその瞳はぞっとする程に暗く濁った水の底のような色をしている。
着ている服には嫌と言う程見覚えがあった。…ああ、またスタート地点にもどったのか。
意味の無い、地獄のような1年がまた始まるのだ。
1回目は、唯々理解ができなかった。
確かに私は厚顔無恥にも私の婚約者に近づくあの子の事が嫌いだったし、意地悪もたくさんした。
しかしこんなに大事になるはずでは無かった…。あの子に身の程をわからせようと、ただそれだけだった。
大体、何故平民の一生徒を虐めたくらいで爵位の剥奪とお家の取り潰しで話が飛躍するのだろうか。
そして、何故私の婚約者が彼女の隣に立ち私を断罪するのだろうか…。
どうして私は学園を追われ、一人幽閉される事になるのだろうか…。わからない。全てわからない。
乱れた髪を直しもせず、質素な部屋で私は茫然と呟いていた。
なぜなの…わからない…。食事も摂らず唯それだけを呟き続け、時間の感覚が無くなったころ、ついに視界が黒く塗りつぶされた。
2回目は疑問でいっぱいだった。
目が覚めると、そこは見慣れた屋敷だった。
あの幽閉されていた質素な部屋ではなく、元々私が住んでいた屋敷だ。
日付は約1年前のあの子が私の前に現れるその日。
先ほどの出来事は夢だったのだろうかと一瞬思うけれど、夢として片づけてしまうには、体験した全てがやけに生々しい。
父と母の絶望した顔。兄の冷たい視線。婚約者の軽蔑色が籠った瞳。そして…彼女の、私を憐れんだ顔。
どうしても忘れられないそれらに、自然と私は彼女から距離をとった。もう、関わり合いたくなかったのだ。
ひたすら彼女とは距離を置き、婚約者とも距離を置いた。あの時の…私を蔑むような視線を思い出してしまうから。
そして1年の時が流れ、やはり彼は彼女の隣に居た。
それで終わればまだ良かった。しかし、現実は優しくは無く、私は謂れの無い罪を背負わされていた。
罪状は1回目の時とほぼ同じ。私の釈明などには耳を貸さない婚約者のあの瞳も変わらずに。ただ彼女の表情は少し変わっていたかもしれない。
とにかく、今度は彼女には手をだしていないのにも関わらず、爵位は剥奪され、私はやはり家を追われて幽閉された。
質素な部屋に閉じ込められつつも考える。
おかしい、いくら何でも、これは変ではないだろうか。これでも家はそれなりの爵位を頂いている貴族だ。
謂れの無い罪、しかも未成年の娘が起こしたちょっとした事件でなぜこんな…。
考えて考えて考えて、日付の感覚が無くなった頃、またも視界が黒く塗りつぶされた。
3回目は理解し、絶望した。
目が覚めると、そこは見慣れた屋敷だった。
さすがにもう、夢だなんて楽観的な事は思えなかった。
1回目と2回目の記憶はしっかりと持っていた。
2回目の時に考えて出した結論は、家を疎ましく思っている貴族が私を使って家を貶めたのではないかと言う事。
家は数代前に平民から成り上がりった貴族だ。由緒ある貴族には蔑まれ疎まれている。
それに、そもそも付け入れられる隙が私にあったのがいけなかったのだろう。今度はそんな隙を与えなければいい。
3回目は彼女に積極的に関わっていった。婚約者とも仲を深めようと頑張った。
周りの人間にも愛想を振りまいて、友好的な関係を築いていった。最初は周りも私の変わり様に驚いていたけれど、段々と受け入れてくれたように感じる。
1回目の私は傲慢で、2回目の私は冷たかった。3回目の私は、自分でも驚くくらいに明るく社交的になれただろう。
学園に通うのがこんなに楽しいと思えたのは初めてだ。もっと早くこうしていればよかったかもしれない。
けれど…そんな私をあざ笑うかのように結末は変わらなかった。
罪状は、1回目とも2回目とも同じ。勿論私は彼女を虐めていなかったし、周りも証言してくれた。
しかし証拠が上がる。私がやったという証拠。それは1回目に私がしでかした罪の証拠だった。
そんな馬鹿な…。茫然とそれらを見つめる私に彼女は泣きながら言う。
『私、貴方の事を友達だって信じていました…けど…』
肩を震わせながらぽろぽろと涙をこぼす彼女と、その証拠を否定できない私。
信頼してくれていた周りの視線が、一気に蔑みへと変わる。婚約者の視線は3度目になっても変わらなかった。
そろそろ見慣れてきた質素な部屋にぼんやり佇み、ふいに理解する。
裏で手を引いている貴族なんてものは、存在しないのだろうと。
過程がどんなに違おうと、結果だけは変わらない。
私が此処に来ることは必然なのだと。物事はそうなるように動くのだと。
私は、こうなる事を運命に求められているのだと。
日付の感覚も、時間の感覚ももう何もわからない。視界は黒く塗りつぶされる。
4回目は全てから逃げた。
目が覚めて、自分の屋敷と気がついた瞬間恐怖した。
もう嫌だった。希望も何もない、地獄のようなこのループから逃れたかった。
窓を開け放つ。私の部屋は2階だ。普通に考えたら死ぬのは難しいかもしれないけれど、混乱している私にはとにかく逃げ出したいとしか思えなかったから。
鏡台に置いてあった鋏を掴み、喉奥まで押し込むとそのまま頭から飛び降りた。
ぐしゃりともぶしゃりともつかない音を、どこか他人事のように聞いた。喉と顔の焼けるような痛みに、またも視界が黒く塗りつぶされる。
5回目は愚かな己に気が付いた。
目が覚めて、先程と変わらない風景に涙が止まらなかった。
死を選んでも逃れられないのか…。もう心が限界だった。
しばらくすると起きてこない私を心配したメイド達が、様子を見にやってきた。
それでも泣き続け、意味のわからない事を喚く私に、家族は気を病んでしまったと判断して田舎への療養を提案した。
私は喜んで頷いた。もしかしたら、これで逃れられるかもしれないと、そんな甘い考えを抱いた。
出発の日、馬車に乗り込み街を離れた瞬間、心臓がぎゅっと握りつぶされるように痛んだ。
あまりの痛みに馬車の中で頽れる。
ああ…街から逃げ出すのは許されないのね。
やはり運命なのだ。敷かれたレールの上からは逃れられない…そう決められている。
使用人達の悲鳴を最後に視界が黒く塗りつぶされる。
6回目に…私は諦めた。
見慣れた風景にまた逆戻りだ。
どうやら運命からはとことん逃れられず、そして死ぬとスタート地点にリセットされるらしい。
死に続けてみてもいいかもしれないが、痛い思いをして終わるだけのような気が、なんとなくしている。
だって運命からは逃れられないのだから。
ならば全てを受け入れて、運命に従うのが一番なのだろう。
たとえそれが、全てを失い破滅に向かうと知っていたとしても。
運命が、この世界がそれを望んでいるのなら、全うしてみせよう。
鏡に映った暗い目をした私が笑った。
私の名前はアメリア・ウェルベルズリー。皮肉屋で高飛車で、嫌われ者の令嬢だ。