その先にあるもの
「昨日ぶりだな。話がある」
「……やはりストーカーではありませんの」
休み時間レストルームから出てくると、そこには眼鏡が腕を組んで立っていた。
瞬時に周りに目を走らせ、人目が無いのを確認するとさっさと眼鏡の横を通り過ぎて歩き出す。
レストルームの前で男性が待ち伏せ……しかも生徒会役員。こんな場面を見られたら、また何を噂されるか分かったものではない。
「待て、わざわざ恥を忍んで此処まで探しに来たんだぞ」
そのまま忍んでいればいいものを……。というか、この眼鏡に恥なんてものが備わっていたとは驚きですわね。
アーサーを無視して歩く。後ろから何やら話しかけているようだが、正直彼の話は何も聞きたくない。
この眼鏡に関わるとろくな事が無いというのは、昨日の一件で嫌と言う程身に染みている。このまま煙に巻いてしまおう。
……けれど、すぐにその考えが甘い事を思い知らされた。
「……仕方ない」
「ーーっ!!!」
その言葉と共に、ものすごい力で後ろから襟首を引かれて気道が閉まる。
堪らず足を止めると首元が緩んだので、急いでアーサーから離れ涙の滲んだ目で彼を見れば、その手には白手袋が嵌められていた。……またですの。
「……貴方、一から女性の扱い方を学び直してきた方がよろしくてよ」
「残念だが、そんな時間は無いな。とりあえず要件を伝える」
今なら、海よりも深いため息が吐けるかもしれませんわ……。
相変わらず、アーサーは自分のペースで話を続けていく。正直このまま教室へ戻りたいけれど、放っておくとまた何をされるかわからない。
逡巡したのはほんの僅かな間で、結局アーサーの話を聞くことにした。こんなにも無駄な労力を使うのなら、最初から素直に聞いておけばよかったかもしれない。
とりあえずレストルームから更に離れ、人気の少ない廊下へと移る。
とは言っても、西棟と東棟の渡り廊下だ。相変わらず人は全然通らないし、ここでは学年の生徒同士が話していてもあまり気にされない。
「それで、なんのご用事ですの?」
「アレックスからの言付けだ。今日の昼休み、サロンへ来るようにと」
「……。」
アーサーの言葉に、目を瞑って眉間を抑える。やはり聞かなければよかったですわ……。
なんだかんだ理由をつけて、サロンの件を有耶無耶にしてしまおうとしていたのを見透かされていたのだろう。逃道が一瞬で塞がれた。
「どうした、あまり嬉しそうでは無いな。皆が憧れるティータイムに呼ばれたんだ、もっと喜んでいいんだぞ」
「こんな状況を喜べる訳がありませんわ。……本当に、どうしてくれますの」
アーサーの言葉に、頭が痛くなる。そんな御目出度い考え方はできない……嫌味だろうか。というか、彼は自分の仕出かした事をちゃんと理解しているのだろうか。
ため息をついて睨みつける私に、アーサーは真顔のまま瞬きを一つする。
この眼鏡まさか……
「……元はと言えば、貴方のおかげでこんな事になってますのよ。その辺り、わかっていらっしゃいますの?」
私の怪訝な表情に思うところがあったのか、彼はしばらく首を傾げ、そして思い当たったかのように頷いた。
「ああ。そう言えば、サロンには出入りしたくないとかなんとか言っていたな」
「ええ、そうですわね。はっきりと、そうお伝えしたつもりだったんですけれど……」
「あれは遠慮していたのだろう?今回の件は俺の善意だ、気にするな」
「善意の押し付けは、悪意だと知っていらっしゃいまして? おかげ様で、今朝からとても素敵な噂をあちらこちらで耳にいたしますわ」
「うむ。あれは思わぬ儲け物だった」
「なんですって!?」
一瞬、私の嫌味に対して嫌味で返してきたのかと思った。けれど、アーサーの表情からはそういった意図は読み取れず、どうやら本気でそう思っているようだ。
儲け物?……一体どこが儲け物だと言うのか。あの噂で得をするのなんて、アレックスかエステくらいだと思っていたが……
「もしかして、あの噂はオールストン様が流したのですか?」
アーサーはアレックスとは生徒会の仲間だし、エステの事は可愛いと言って気に入っている。彼らの為に噂を流した、というのならあり得なくは無いだろう。
しかし彼は、自分に疑いがかかってるというのに眉一つ動かさず淡々と言葉を返してくる。
「まさか。あの噂は大方アレックスの仕業だろう」
出て来た名前に驚きはしない。むしろ、やはりかと納得してしまうくらいだ。
しかし、アーサーはふと目を細めて口をつぐむと……
「もしくは……」
そのまま渡り廊下の窓に、スッと視線を流す。
思わずつられて私もそちらに視線を向けるけれど、窓の外には気持ち良いほどの青空しか見えない。
何の変哲も無い窓からアーサーに視線を戻すけれど、アーサーはしばらくそのまま窓の外をじっと見つめていた。
「まぁいい。では、昼の茶会には出席するように」
時間にして十秒くらいだろうか。不意に視線をこちらに戻したアーサーが、何事も無かったかのように話を続ける。
「……やけに私をサロンに行かせたがりますわね」
昨日アーサーが話し合いに同席すると言っていた時からずっと、違和感は付きまとっている。
彼は善意だと言っているけれど、本当にそうなのだろうか。
「そうか?……いや、そうだな」
「もしかして、何か企んでいらっしゃるのではありませんの?」
相変わらず掴めない眼鏡だ。どうせ何を言ってものらりくらりと躱されてしまいそうなので、ここは直球で挑発してみる。
これで怒るにしろ否定するにしろ、アーサーからどのような反応が返ってくるのか少し興味があった。
「企み、か。……しいて言うのなら、ウェルベルズリー嬢には生徒会の面々や、あのお嬢さんとも仲良くなってもらいたいと言ったところか」
「は!?」
驚きのあまり、思わず大きな声が出てしまう。
肯定はともかく、仲良くしろだなんて言われるとは予想していなかった。
「貴方、よくも私にそんな事を言えますわね……」
「変な事を言ったつもりは無いが?」
「……エステ・モンローとの初対面を、貴方は見ているでしょう。アレックス様との揉め事もお話しましたし、お兄様との昨日の話し合いの場には貴方もいましたわね」
「ああ、そうだな」
「噂の根源が、アレックス様だろうともおっしゃっていらっしゃいませんでした?」
「言ったな」
「それを知っていて、何故私が仲良くできるとお思いになりましたの!?……理解できませんわ」
普通、ここまで言わなくても察してくれるのではないだろうか。何が悲しくて、こんな事を一々アーサーに説明しなければならないのか。
「まぁ、心情的には難しいだろうな。けれど、仲良くなれないとも限らないだろう」
「サロンに行ったところで、仲良くなんてなれませんわよ」
むしろ関係が悪化するだろう。これ以上どう悪化するのかは、見物かもしれないけれど。
「それに、仲良くなったところで私には何の得もありませんもの」
仲良くなろうがなるまいが、破滅は避けられないしループは終わらない。
むしろ仲良くなると面倒事の方が大きい。……自分が、傷つく割合も。
「損得で考えるならば、君にとってアレックスやレオンはこれから先の人生で外せない人間関係だろう。関係を改善したほうが、得なのではないか?」
アーサーの言葉に鼻で笑いたくなった。どうせアレックスもレオンも、私を見捨てて居なくなってしまう。
この先の人生、私の傍にいてくれる人間は何処にも居ない。私を助け、私を支え、私を守れるのは……私だけだ。
「無駄ですわ」
きっぱり言い切った私を、アーサーがじっと見つめる。
怪しむでも、訝しむでもない。その表情からは、相変わらず何の感情も見受けられない。
「……ふむ」
何やら納得したように頷きながら、アーサーは眼鏡をかけ直す。
そして私を見据えて、今度はきっぱりと言った。
「大丈夫だ、俺も手伝ってやろう。女性には優しくすると決めているしな。茶会、頑張れよ」
「……貴方の善意も、優しさも、求めていない所で発揮されすぎですわね」
大きなお世話と言うやつだ。
どうせなら、求めている時にくれればいいものを。それと優しくのくだりはすごく嘘くさい。
踵を返して歩きだすアーサーには、きっと私の声は届いていないのだろうけれど。