"hurtful" Love Comedy3
サロンでティータイムの準備をしていた使用人にクッキーを渡し、俺は足早に教室へ戻る。
まだ予鈴がならないようなので、教室に入るとそのままレオンの席に向かう。どうやら先程の用事は済んだようで、既に席に座っている。
「おいレオン、少しいいか?」
「なんだアーサー、もう予鈴が鳴るぞ」
レオンは普段はとても丁寧な話し方をするが、俺やアレックスに対してはわりと砕けた口調でしゃべる。
「そんなに時間はかからない。次の休み時間、少し俺に付き合ってほしい」
「珍しいな。最近アーサーは昼休みになると、サロンにも来ないで何処かへ行っていただろう」
「今日はこのまま教室に残る。お前も頼むぞ」
「……しかたないな。ほら、早く席に戻れ」
譲る気が無い俺を見て、レオンが渋々承諾してくれる。その返事に満足気に頷くと、レオンが困ったように笑った。正義感が強く頑固で融通が利かない所はあるが、基本的に良い奴だ。
俺はレオンに促されるまま席に戻り、そのまま授業を受けた。
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「失礼いたします。」
上級生の教室というのは、好き好んで来たい場所では無いと改めて感じる。突き刺さる視線は、なにも下級生が珍しいのではないことくらい理解している。
ひそひそと交わされる会話を無視して、室内に目を走らせる。
なにやらアーサーと言葉を交わしていた兄が、こちらを振り向き目を細める。
「アーサーにまで迷惑をかけて、いったい何の要件です」
「俺が好きでした事だ。そこは気にするな」
「気にするに決まっているだろう」
アーサーはその返答に肩をすくめながら、私達から少し離れた席に座ってこちらを眺めている。私は見世物では無いけれど、まぁいいですわ。野次馬は多ければ多い程いいのだから。
アーサー以外の人間も、ランチタイムだというのに教室から出て行かず、こちらを見てはひそひそと囁きを交わしている。どんな人種も、やはり他人の揉め事に興味はあるらしい。
「それで何ですか。わざわざ他学年の棟まで来たのだから、さぞ大切な話なんだろうね」
冷たい態度を隠そうともせず、淡々とした口調でそう問うてくる。大した用事でも無いのに、教室まで押しかけるなと怒っているのだろう。
「エステの事ですわ」
「……はぁ」
私の言葉に、兄はまるで理解力の無い子供を見るような目で私を見た。
「君の戯言に、付き合っている暇はありません。アーサー、悪いけど俺はそろそろ行く」
こちらを見ずアーサーにだけ顔を向けてそう言うと、私の横を通り過ぎようとしたので、その手をあらん限りの力で捕まえる。この様子だと、家では話し合いにすら持ち込めないだろう。ここで逃がすわけにはいかない。
「あら、逃げるのはやましい事があるとお認めになっているのかしら」
「……何を言っている」
その言葉に兄の足は完全に止まり、険しい顔でこちらを振り向きながら私の手を払う。……痛いですわね。
「知らないとは言わせませんわよ。エステを…平民の転入生を、サロンに呼んだんですってね」
わざと、平民という言葉を強調して言う。その言葉に、教室内でも騒めきが大きくなる。どうやら昨日エステがサロンに呼ばれたことは、まだそこまで噂になっていないようだ。
「それはわが学園への歓迎と、昨日の愚妹の彼女に対する非礼の詫びも兼ねての事だ。他者へのくだらない妬みをひけらかしている暇があるのなら、自分の行いを反省したらどうだ」
どうやら私の発言が、気に障ったらしい。いつもより感情的になったせいで、言葉使いまで変わっている。それにしても、大衆の面前で愚妹と呼ぶなんて……。
「あらおあいにく様ですが、私その件に関しては気にしておりませんわ」
兄の言葉に、余裕の笑みで答えてやる。私の様子が想定していたものと違ったのか、兄が怪訝な顔をする。
「私が言っているのは、その後の事ですわ。アレックス様…いいえ、アレキサンダー・ヴォルフガング生徒会長様が、彼女に、平民のエステに今後もサロンへの出入りを許可したと聞きましたの」
ちょっと演技過剰かしら。けれどわざわざ愛称とフルネーム、役職名まで言ってやったのだ。周囲には、生徒会長アレックスと平民エステというスキャンダラスなワードが、嫌というほど染みついたはずだ。
私の言葉に周囲が騒めき、非難めいた声も上がった。兄は私の言葉に茫然として呟く。
「どうして、その事を……」
兄の驚きは尤もだ。昨日の今日で、まさか私に伝わるとは思ってもいなかったのだろう。実際1回目の時にエステがサロンに通っていたことが、他の生徒達や私に知られたのはもう一月ほど後になってからだった。
「本人から聞きました」
ここだ、ここからが正念場だ。無意識に拳をぎゅっと握る。
これから私がする事は、諸刃の剣だ。自らも無傷ではいられない事は確実だ。色々と考えてみたものの、結局今回はこの方法が一番可能性がありそうだった。
それまできつく兄を睨みつけていた目を伏せ、瞼を閉じる。
そして次の瞬間、零れる涙と共に彼を見た。
「やはり、お兄様は知っていたのですね……その事を」
激高するのでも、癇癪を起すのでも無い。ただ本当にショックなのだと、裏切られて悲しいのだと、兄にそう伝わるようにぽろりぽろりと涙を流す。
エステとアレックス、そして実の兄にされた仕打ちを自ら口外する。
これで私が彼らに軽んじられていた事は、周知の事実となった。結局陰で笑われるのだろうけれど。しかし今ここで言わずとしても、いずれ皆には知れ渡るのだ。ならば自らぶちまけ、悲劇のヒロインの座に収まるのが得策だ。
「私、お兄様の事を信じていましたのに……」
くしゃりと顔を歪めて、兄を見る。セリフや仕草は、3回目の断罪時のエステを参考にしている。あの時彼女に寄せられた周囲の同情が、私をどん底に突き落とした事は忘れない。
「お兄様なら、わからないはずがないですよね。それがどういう事なのか」
言葉を切り、胸の前で手を握り下を俯く。出来る限り体を小さく見せ、か弱さを演出しなければならない。拭わず流れるままにしている涙が、ぽたりぽたりと足元を濡らした。
「私に、家族に、学園の皆にどのような影響がでるのか…お兄様ともあろう方なら、容易に想像がつきましたでしょう?」
まさか、わからなかったとは言わせませんわよ?とばかりに念を押す。兄は、固まったまま動かない。
「ねぇ、お兄様……行いを反省しなければならないのは、本当に私ですか?私の言っている事は、ただの妬みなのでしょうか……」
教室中が静まり返る。普段喚き散らすか高圧的な態度しかとらない私の、らしくない態度に皆戸惑っているのだ。
眼鏡は私を、性格はともかく、容姿は高評価と言っていた。正直性格はそこそこ、容姿は一級品だと自負しているけれど。まぁそんな風に見目の良い女性が、涙を流し震えていれば、民衆は味方になるというのをこれまた身をもって知っている。
それが本当なら、酷い事じゃないか?
いや、ウェルベルズリーのご令嬢にも問題があるのでは……
けれど婚約者にも、ご家族にも裏切られたのよ…あんなに震えてしまって
生徒会長も副会長もどういうつもりなんだ?この学園の風紀を自ら乱すだなんて
ひそひそと飛び交う会話に、内心ほくそ笑む。結果は上々のようだ。1回目は出し抜かれてしまったが、今回は上手くいったようだ。
彼らの会話が、兄の耳にも入るのだろう。その度に奥歯を噛みしめているのか、頬の辺りがピクリと震え喉仏が動く。もうひと押しですわね。
「ねぇ…お兄様、アレックス様にエステの」
「ならばウェルベルズリー嬢も、サロンの出入りを認めて貰えばいい」
「ーーっ!?」
エステのお誘いを取りやめてくださるよう進言してください、そう言おうとしたのに急に会話が遮られた。
声のした方に勢い良く顔を向けると、そこには今まで傍観に徹していたアーサーがいた。
「なにか、おっしゃいました?」
「ウェルベルズリー嬢もサロンの出入りを認めて貰えばいい、と言った」
なんというふざけた事をぬかしてるんでしょう、この眼鏡!!
彼の言葉に、思わず涙も止まってしまう。しかし周囲の騒めきはそれに反して、止まるどころかますます大きくなっていく。
「私はそんな大それた事は、望んでおりません。あそこは、生徒会に属するものだけが出入りするべきところですわ。一生徒の私も、転校生もそう簡単に出入りするべきではありません」
糞眼鏡の提案を、頑として跳ねのける。冗談ではない、誰が好き好んであんな魔窟に行きたいと思うだろうか。あの部屋の主はアレックスだ。
「しかし、アレックスを説得するのは難しいだろう。何より貴族が一度口にした約束を、反故にするのはいただけないな。それにあいつはあれでも、この学園高等部の生徒会長だ」
アーサーの言葉に周囲は、確かにだとかそれもそうだな、などと口々にまくしたてる。ちょっと待ちなさい、糞眼鏡。
「あのお嬢さんがウェルベルズリー嬢を差し置いて行くのが問題ならば、ウェルベルズリー嬢も一緒に来てしまえばいい。生徒会は彼女に貴族としてのマナーや、学園のルールを教る為にサロンに呼んでいる。けれど彼女一人では問題があるので、生徒会長の婚約者であり、副会長の妹であるウェルベルズリー嬢が補佐役として呼ばれている……という名目でいいだろう」
私が口を開く前に、どんどんと話を進めていってしまうアーサー。周りの生徒達にも、同調を求めている。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!私はそれを了承した覚えは……」
やっとなんとか口を挟めたのは、野次馬達が皆ばらばらと教室を出て行った後だった。え、どうしますのこれ。
「諦めろウェルベルズリー嬢。明日には、この話が学校中に広まるだろう」
何てことですの…。
「レオンもそれでいいな。後でアレックスに報告に行くぞ」
アーサーの声にそれまで固まっていた兄が、ゆっくりと私に顔を向ける。憎悪と嫌悪と、またそのいずれとも異なる感情をも秘めた瞳を私に向けて、そのまま一言もしゃべらず教室を出て行った。
「なんだ、兄妹で茶を飲むのは恥ずかしかったのか」
頓珍漢な事を呟く眼鏡を残し、私も黙したまま教室を出ていく。
やはり、一番の敵は眼鏡でしたわ……。もはや声に出す気力さえ、残ってはいない。




