生じたずれ3
休み時間、お兄様の教室へ行く為に席を立つ。
エステはこちらを振り返りもせず、席に座ったままだ。
まだ機嫌が悪いのだろう。変に刺激して面倒な事になるのはごめんなので、そのまま放置して教室を出た。
2学年の教室は西棟、3学年の教室は東棟にあるのでなかなかに移動が面倒なのだ。
東棟へ続く渡り廊下を歩いていると、前から見知った顔の学生が歩いてきた。向こうも私に気が付いたようで、おやっという顔をする。
「む、レオンのところの我儘妹、ウェルベルズリー嬢じゃないか」
「あら、女嫌いと名高いアーサー・オールストン様じゃありませんの。ごきげんよう」
なんだかとても不名誉な認識の仕方をされたようなので、私も同じように返してやる。
するとアーサーは眉間をむっと寄せ、シルバーフレームの眼鏡を手で覆うように掛け直す。
「俺は女嫌いでは無い。触れられないだけだ」
「はぁ……それは女嫌いではございませんの?」
「全然違う。俺はむしろ女好きだ」
この馬鹿は、何を真顔で堂々とのたまっているのだろうか。
幸い渡り廊下には私と彼以外居ないので、この阿呆の知り合いだと勘違いされずに済むけれど。
こんなやり取りをしているが、この眼鏡と私はほぼ初対面である。
「……貴方の好みに興味はありません事よ。それより、私に何か用事でも?」
「ああ、そうだった。ウェルベルズリー嬢が余計な事を言うので、話が逸れてしまったではないか」
「明らかに貴方が原因ですけれどね」
彼の事は生徒会のメンバーとしては知っていたし、学園でも何度見かけていた。けれど、まさかこんなにもトリッキーな眼鏡だったなんて…。この眼鏡といいアレックスといい、生徒会のメンバーは癖が強すぎる。
「その後、可愛らしいお嬢さんは息災か?」
「……可愛らしいお嬢さん?」
誰かしら?可愛らしいお嬢さん…可愛らしい男の子なら昨日保健室で会ったけれど。
誰のことか見当がついていない私の様子に、眼鏡は首を傾げて言い直す。
「昨日昇降口でウェルベルズリー嬢に怒鳴られていた、可愛らしいお嬢さんだ」
「ああ、エステ…ってそれならそうと言ってくださいませ。可愛いらしいお嬢さんじゃ思い当たりませんわ」
だって私は、エステを可愛いとは思わない。思うわけがないのだけれど。
それに対して眼鏡は、何を言っているんだと不思議そうな顔をする。
「可愛いお嬢さんだろう?顔は上の下辺りだし、体つきは上の中だ。俺の周りも、概ねそのような評価を出している」
「……何ですのその評価。オールストン様は、女性をその様な目で見ていらっしゃるんですの?」
眼鏡の口から出て来た、エステの評価とやらにドン引きだ……。しかもその口ぶりからするに、彼の仲間内ではそういった下世話な会話が繰り広げられているらしい。
エステは兎も角、私達貴族の令嬢までをもそのように評価し、格付けるような真似をするとは何事かと軽蔑と怒りが湧き上がる。しかし、眼鏡はそれを見越したかのように淡々と言葉を返す。
「男等、皆こんなものだ。だが、女性も男について似たような事を話すだろう。金、地位、顔、頭、身長、男の方がまだ欲が無いと思うが」
……確かにその様な話を、取り巻き達とした事はある。あの方は顔は良いけれど家柄が駄目ね、とか。顔も家柄もいいですけれど身長が低すぎますわね、なんてループ前はよく言っていた。
なるほど、似たような事はやっている。お互い様と言うわけか。……あまり納得はしたく無いですけれど。
「ちなみに、ウェルベルズリー嬢も顔と体は評価が高ぞ」
「当たり前ですわ。ですが、それ以外には問題があるといった風で腹が立ちますわね」
「ああ、性格だろうな」
「……別に答えを聞いたわけじゃありませんのよ」
「そうか。……怒らないのだな」
「怒っておりますわよ!性格に問題がと言われて、怒らないわけが無いでしょう」
「ふむ、そこに反応しているのか」
眼鏡はそう言うと、真顔でうむと頷いている。意味が解らない。
「もう先程からなんですの貴方。エステなら、今朝も元気に突っかかってきましてよ」
「そうか、ならばよかった。ウェルベルズリー嬢も元気そうだしな」
「あら、私の事も心配してくれたましたの?」
「当たり前だろう。俺は全ての女性に対して平等であり公平だ」
「先程評価がどうのとか言っていた口で、よくそんな事が言えると感心いたしますわね」
そう言えばこの眼鏡、昇降口でも私の意見を肯定してスコットを嗜めていたわねと思い出す。
言っている事はわけがわからないが、案外本当に公平な目で私を見ているのかもしれない。
「ところで、エステは可愛いで私は我儘ですの?」
「ああ、我儘じゃないか」
「……ええ、そうですわね」
別に否定してほしかったわけでは無いけれど、何だか腑に落ちないわねこいつ。
まぁ確かに、我儘な自覚はある。今までも、そしてこれからも。
「だが、令嬢など皆そうだろう。ウェルベルズリー嬢は多少度が過ぎているが」
「そんな事ありませんわ。私程度の我儘なら、可愛いものですわよ」
「まぁ、確かに昨日の怪我の件に関しては、ウェルベルズリー嬢の対応はまともな方だったしな」
「あら、貴方の耳にも入っていらっしゃるの?」
やはり生徒会には筒抜けらしい。
今朝兄が何も言ってこなかったので、案外広まってはいないのかとも思ったが、やはりそんな事は無いようだ。
「俺は、床に落ちていた血痕に気が付いたのでな。その後、ウェルベルズリー嬢がやらかした大立ち回りの内容を聞いた」
「あら、そこまで知っているのに、まともだと言ってくださいますのね。先程から思っていましたけれど、貴方随分と変わっていらっしゃるわね」
「良く言われる。確かに色々とやらかしているが、言うほど大事にはなっていない。正直ウェルベルズリー嬢が怪我をしたと聞いた時は、最悪あのお嬢さんが学園を追われると思っていた」
「その件については、生徒会長様に釘を刺されましたので」
「ほお、それは初耳だ。だが、ならば余計に……」
ふと口を噤み、アーサーは私をじっと見つめ何やら思案し始めた。
静まり返った渡り廊下に、男女が二人見つめ合っている。状況だけならとてもロマンチックだ。
それにしても、もうすぐ休み時間が終わってしまう。兄に会いに行きたかったのに、この眼鏡のせいで…などと心の中で文句を垂れていると、ふいに眼鏡の口が開く。 私の様子などお構いなしに喋る彼は、思いついた事をただ口に出しているようだ。
「ウェルベルズリー嬢の我儘は、確かに度が過ぎることがある。
だが、此処はエモルドークだ。そういった令嬢が他にも居ないわけでは無い。
では、何故ウェルベルズリー嬢だけがこんなにも……」
その言葉をかき消すように、休み時間の終わりを知らせる鐘の音が大きく響く。
「しまった!休み時間が終わってしまったではないか」
鐘の音にはっとして顔を上げたアーサーは、先程の真剣な雰囲気は微塵も見られない。
今さっき自分の口から出た言葉など、もう忘れてしまったかのようだ。
「ウェルベルズリー嬢、引き留めて悪かったな。俺は戻る」
そう言うや否や眼鏡のフレームを掴んでかけ直すと、そのまま来た道を引き返していく。
私も早く戻らなくては……。
鐘が鳴り響く廊下を歩きながら、考える。
彼が気づきかけた事、彼が言おうとした言葉、そして、遮るように鳴り響いた鐘の音……。
教室に着いて席に座っても、鐘が鳴り終わるまで私は頑なに時計塔の方だけは見なかった。
前の席に座っているエステは、結局私を一度も振り返らなかった。