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そういえば、部屋の電気を消し忘れた。まさか大事な講義の日に寝坊をしてしまうだなんて思いもしなかったから、身支度もそこそこにあわてて家を出たのがいけなかった。地元を離れ東京の大学に入学することとなり、高校卒業後すぐ上京して慣れない一人暮らしをし始めてからもう二年と半分が経過しようとしている。全く馴染みのない都会での生活はやはり戸惑いばかりで、かといって故郷でよく耳にしていた噂ほど型破りな街というわけもなく、時を追うごとに僕はその「異国」にあっさりと、順応していった。何の文句もない、充足感のある普遍的な学生生活。そう、きっと誰が見ても、これから僕がこの世との繋がりを断とうとしている、だなんて考えないだろう。そして今の僕の心情を、例えば原稿用紙を何百枚何千枚と使い表現し、何度も推敲を重ねようやく出来上がった、紙とは呼べなくなるまでよれてしまったそれを、決死の思いで友人へ託したとして、きっとそいつは何のためらいもなく乱雑にゴミ箱へ投げ入れ、道化師のようにへらへらと笑うのだ。実践してみなくたってそうだ、そうに決まっている。なぜなら僕も多分彼らと同じ種族で、大多数の人間も多分僕と同じ種族で、つまるところ、所謂ホモ•サピエンスは面倒を遠ざけたがる性分なのだ。出来ることなら、いつでも。



「――――――――間もなく、列車が通過いたします」



後悔はない。心残りと言えば、昨日せっかく買っておいたプリンを食べずにこの日を迎えてしまった事位で、あとは部屋の電気をうっかりつけっぱなしにしてここへ来てしまったという事位で、とここまでぼうっと考えていると、僕の生活の無味乾燥さに、ただ同情する。



「危ないですから黄色い線までお下がりください――――――――」



ふと、僕はいつもの「遊び」しようと考えて、目の前にある無機質な黄色の線をじっと見つめた。それはもう片時も目を離さずに。そうすると眼球がそれ以外を認識できなくなって、その周りの景色がぼろぼろと剥がれ落ちてくる。それでもなお見つめ続ければ、次に聴覚や触覚が狂い始める。世界が突然足を止め、僕の思考だけが早歩きをしているような感覚。ホーム上での人々の他愛無い話し声が、巨大なスピーカーを通して僕の耳へと届く。次第に地面がふらつきはじめ、そのうちコンクリートの向こうへするりと吸い込まれてしまうのではないかという錯覚が起これば、もう完璧だ。ある種のトリップ状態。僕は昔から時々こうすることに奇妙な軽快さを覚え、好んでいた。今回も上手く行った、と思わずにやりとして、僕はその僕の異世界に身を委ね、楽しんだ。


ああ、もうすぐ、僕は死ぬのか。


そう考えを巡らせた途端、未知の何かが僕の体をくすぐり始めるもんだから、あまりにおかしくてしょうがなくて、笑いを抑えるのに必死になる。遠足の前日、両親の言いつけを律儀に守りいつもより早く布団に入ったものの、やっぱり興奮が収まらず、結果いつもより遥かに寝覚めの悪い朝を迎えてしまった、あの小学生の頃の体験とよく似ている。僕を人間より醜く秀逸な作品へ押し上げる為なのか、言葉にするには余りにも抽象的な衝動が、よくわからない汗を至る所からにじませる。そうして得体の知れない何かが全身をぐるぐると猛獣のように駆け回り、今にもはち切れんばかりで、この怪物が僕の背中を突き刺し神経を躊躇いなく食いちぎるのが先か、それとも線路へ飛び込んだ拍子に電車が僕の体を引きずり回し肉片にしてしまうのが先か、ガタンゴトン、ガタンゴトンと近づくカウントダウンに、僕は迷わず飛び込んだ。




そして次の瞬間、僕は黒よりも深い闇の中へ一歩、足を踏み入れた。






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