まだ、夜は明けない。
冬は、日が短い。
やっと夜が明けたと思うと、いつの間にか日が暮れている。
朝早く、蛍光灯の白い光に満たされた家を出る。いつもと同じ靴を履き、玄関のドアを開けると、夜だった。マンションの廊下は明るいが、手すりの向こうは真っ暗である。空の色は濃紺、その中に、街灯のオレンジの光が浮いている。早朝なので、道路を走っている車は少ない。空気は冷たく澄んでいて、青白い月が綺麗だ。
真っ暗ではあるが、空は、あの吸い込まれるような黒々とした濃紺ではない。さらさらとなめらかな、そしてどこか気品のある深い色だ。東の山の方を見ると、山の連なりの向こうの空がかすかに赤い。山の向こうでは、すでに日が昇っているのかもしれない。
太陽が見えるのには時間がかかるが、街が明るくなるのは早い。駅に着くころには、街は、青い薄闇に包まれていた。車の少ない静けさと、青い空気に満たされた街に、あのオレンジの光は無粋だと思う。夜明けも、日没も、言葉から受ける印象はオレンジ色だ。しかし、実際の夜明けは、空の青が薄くなったところに、オレンジに光る太陽が昇っていくことを言う。青白く眠っていた世界に、太陽が目覚めの光を与えるのだ。オレンジのあたたかい光を嫌うわけではないが、あの街灯が、青白い街の美しさを、そして目覚めていく感動を、奪ってしまっているように思えてならない。
少しずつ、青い闇は薄くなっていく。電車を降りた時には、言葉には収まらない何かを秘めた空気の青さは、光によって随分薄まっていた。街は、少しずつ目覚める。窓からは部屋の明かりが漏れ、朝のあわただしい活動が増えてくる。山の向こうが、色が分からないほど明るい。もう少ししたら、あの山から太陽が顔を出すのだろう。そうすれば、この夜明け前の一瞬の感動も失われてしまう。今日もまた、いつもと同じ、あわただしい一日が始まるのだ。そして日が暮れ、夜を越え、夜明けを待ちながら家を出る。冬の寒さの中でしか成り立たない一日。もうすぐ、冬が終わる。冷たく澄んでいた空気はかすみ始め、太陽はあたたかみを増していく。そして、春が訪れ、桜が咲く。また終わってしまうのだと、感傷に浸る暇もなく、目的地についてしまった。見慣れた顔が横を通り過ぎていく。見慣れた人が門のそばに立っている。それらは皆、夜明け前の感傷から、人を現実へ連れ戻す者たち。嫌でも世界は回り、春は訪れるけれども、最後の抵抗なのか、なかなか太陽は昇ってこなかった。
まだ、夜は明けない。