お犬殿のご出身
「改めて、拙者が里見藩指南役筆頭の犬塚 惣十郎でござる。」
自分の倍はありそうな体格の頭から爪先までフサフサの真っ白な毛に覆われ、ピンと凛々しく立った三角の大きな耳に鋭い目付きに黄色の瞳そして、太く艶やかな毛並みの良い尻尾とまあ、とにかく犬どころか狼に見えなくもない、デカイ犬が普通に着物を着て目の前に座っている。
そんな現実に剣之介は実は里見藩なんて最初っから無く、狐か狸かがこのお犬殿と結託して自分を化かしているのでは無いかと半ば本気で思い始める始末だった。
「やはり、拙者の容姿に驚き申しましたか?」
「えっ、いや〜、まあ、何と申しますか。、、、随分と個性豊かな、何て、、、、、、ハッ、ハハハ。」
何となく、申し訳そうにお犬殿が訪ねて来るが、あまりの容姿に現実逃避してますとは本人を目の前にしては言えず、とりあえず茶を濁す様な返答しか返せない剣之介であまった。
「全く、ご家老殿も予め、橘殿にお話しておけば良かったのでござるが、拙者は見ての通りに容姿が犬に瓜二つでごさろう。」
てか犬その物ですと、反射的に答えそうになり咳でごまかす、剣之介。
「実は、拙者はこの世の生まれではござらんだ。」
「はあ?この世ではとは?では、犬塚殿はあの世により、生まれなさったのですか?」
確かにこの世出身と言われるよりはあの世出身と言われた方がしっくり来るなと些か失礼な事を思い浮かべる剣之介であった。
「いやいや、別に拙者は黄泉の国で生まれた訳ではごさらんよ。何と言えば良いか〜、うむ。『異世界』かのう?三十年前くらいのまだ、ほんの童の時に『異世界』より、この世に迷い出でたのでごさる。話せば長いでござるが、」
三十年前、もはやおほろげにしか思い出せない世界で彼は生を受けた。
覚えているのは薄暗く、冷たく据えた臭いの篭る洞窟の住処に彼と同じ犬によく似た容姿の者が何十と居た事だ。
皆、汚いボロ布を纏っただけの姿で薄汚れた毛が全身を覆っていなければ寒さで震えていたことだろう。
しかし、寒さだけを凌ても意味は無かった。
常に餓えていた、皆の目が座り時折、一回り大きく自分達よりマシな格好をした同族が投げて寄越す何の動物か分からない肉を争って奪い合う。
身体の小さな同族から、死んでいった中で生きていられたのも彼の身体が他の同年の同族と違い大きかったからだった。
ある日、いつも肉を持ってきた身体の大きな同族が自分達に洞窟から出て着いて来る様に言って来た。
促されるままに洞窟から出ると直ぐに棍棒と木の板をわたされ、今から『ヒューマン』の村を狩りに行くと告げられた。
「本当は役立たずなガキどもを連れて行っても邪魔なだけだが、貴様らは弓除けの捨て駒くらいにはなるだろう。まあ、身体のデカイ奴は少しは役に立つだろうがな。」
『キシ』なる天敵に大人達の数を減らされて即席の戦力として駆り出される捨て駒が何人生き残れるかと賭けをし出す大人達の後を着いて行きながら、これより始まる『ヒューマン』という相手の戦に次第に興奮し出す、同輩の中で捨て駒という言葉の意味をしっかりと理解する彼がいた。
「もうすぐ、着くぞ!鼻垂れども、まずはてめえ等から行って来い!」
サビた剣を振り、指揮をとる大人の号令に涎を出し眼を血走らせながら、突っ込んで行く様は正に獣その物の様だと彼は冷めた目で追っていた。
不意にドンと背中を蹴られた感覚がして、振り返ってみると先程の大人の同族が剣の切っ先を向けている。
「てめえ、何をボウとつっ立ってんだ!!木偶の坊が、さっさととヒューマンを狩って来い!」
唾を飛ばんばかりにがなり立てられ、やれやれと村へと彼も進撃して行った。
そして、彼が村に着いて見た物は、あちらこちらから悲鳴と雄叫びと生臭い鉄臭いが支配する地獄だった。
『いやーー!!』
『たっ、頼む!命だけはっ、ぎゃっ!!』
『かぁちゃん、かぁちゃん!?』
平気で、無抵抗な『ヒューマン』という種族を叩き殺し、時には生きたまま噛り付く同族達の光景に彼は胃の中が締め付けられる思いがした。
自分もこいつらと同じなのか!?
今更ながらに沸き起こる嫌悪感に彼は近くの木と石で組まれたおそらくはヒューマンの住処なのだろう所に足を向けた。
このおぞましい光景が終わるまではせめて何も見たくは無かったかからだ。
一歩、ヒューマンの住処に入ると木を敷き詰めた地面がギシッと音がなる。
何と自分達の住処より、住み心地の所だろうと彼は辺りを見渡し、手頃な壁に背を預けて地面に座り込んだ。
フゥ〜と息をつき、眼を瞑る血の臭いはこの住処に入っても消える事は無いが、眼に見えないだけでも今の彼にはありがたかった。
カタッ、
「?」
奥で微かに音がするのを彼の聡い耳に聞こえて来た。
もしやと思い、音がした方へと赴いてみると小さな影が二つ寄り添って薄い大きな布に包まっていた。
『にいちゃん、見つかっちゃった!』
『大丈夫、にいちゃんが守ってやるからな!』
幼いヒューマンが二人、ウチの一人は短いが鋭い剣を彼に向けている。
「オレ、オソワナイ。オレ、大丈夫。」
『近寄るな!!コボルト!!』
二人を刺激しない様に声をかけて近付こうとするが、いかせん、言葉が通じない。
どうするかと、思案していると外で今まで聞こえていた悲鳴が突如、ぎゃんっと言った犬の悲鳴に変わり出し、ウオオオオという勇ましい鬨の声が響き渡り出した。
これはーー、
『騎士だ!騎士様達が助けに来てくれた!!ざまーみろ、コボルトめ!!』
先程まで絶望していた幼いヒューマンが途端に眼を輝かせ、彼に食ってかかり出した。
一方の彼はヒューマンの『キシ』という単語に全身の汗が吹き出して来た。
このままでは、殺されてしまう!
本能か理性か、自分の末路を思い至って彼は振り返るとダッと駆け出した。
まだ、生まれて三年しか経ってない、まだ、死ねない!
何故、自分が犬の姿をした種族、(幼いヒューマンはコボルトと言っていたが)に生まれてしまったのか、何故、自分は他の同族と違い身体が大きくなって感性が他とは違うのか?
生きる為に走りながら、彼は取り留め無く余計な事を考え出す。
そのうち、生臭い血の鉄の臭いとは種類の鉄の臭いが後ろからして来た。
振り返ってみると、全身を白銀の鉄で覆った馬とそれをかるヒューマンの姿が見えて来た。
見たことのない大きな鋭い槍を向けて正に彼に刺さる瞬間、崖から落ちた様な感覚が襲い、彼の意識を刈り取った。
「そして、拙者が気付いた時にはこの世の関ケ原のど真ん中に居り、たまたま近くに居られた殿に拾われたのでござる。」
「、、、そっ、それは何とまるで御伽草子のようですね。」
犬殿の話を単なる御伽草子とかたずけられれば良いが実際に犬殿は目の前に居り、武士をしているのだ。
真実とは流石に肯定できる話では無いが、あながち嘘では無いのだろうと剣之介は思った。
「うむ、大分、日が陰って来たでござるな。若君へのご挨拶と今後の指南の事はまた、明日にでもするでござるな」
「あっ、はい。わかりました。今日はありがとうございました。」
「いやいや、こちらこそ、拙者の長話につきあて頂き、かたじけない。橘殿、今後は宜しくお願い申す。」
こちらこそと返事を返し、剣之介はこの人外の上司と仕事が出来るのも他では経験出来ない事を経験したりして案外、面白いかもしれないと思うのだった。
そして、今の彼は知らない。
お犬殿に連れて自分がとんでもない奇想天外な経験もとい、冒険へと行かされる事に