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水理宮

2

 水理宮から迎えの船をよこすというのを断り、妖狐に曳かせた車で生まれ故郷に向かう。

 うかつに迎えを頼んで、大仰に百畳もある雲船で楽隊まで引き連れて迎えにこられては気恥ずかしいことこの上ない。

 気位の高い妖狐は本来車を曳くには向いていないし、睡蓮もつややかな毛並みに直接触れるのが好きだが、王妃ともあろう者が妖狐の背中にちょこんと座って城に乗りつけては、水理宮の佳人たちを驚かせてしまうだろう。

 朱鷺が刻守の王としての務めの際に使う車。馭者台で妖狐を御する大掾(だいじょう)をはじめとした護衛を兼ねた従者が数人。大掾は入れ替わりの激しい刻守の城の使用人の中ではかなりの古株で朱鷺の信任も厚い。これが精いっぱいだ。王と言う称号はあっても隔離された身、刻守の城の懐事情は決して芳しくはない。


 車の中に漂う白檀の深く甘い香りに、睡蓮はほうっと息をついた。

 王としての権威を損なわぬよう豪奢に飾り立てられた車の中は、朱鷺がいつも使う香が焚き染められ、大好きなその人の姿はなくても気配に包まれているような気がする。

 急な用ができたとかで、出立の時間になっても朱鷺は結局姿を見せなかった。

 直接顔を見て「いってまいります」と言えなかったのはさみしいが、こうして車や従者を睡蓮に与え、新しい衣装を一揃い用意してくれただけでも十分すぎるというものだ。


(朱鷺様もお役目がおありなのに、車も従者も使わせて下さるなんて…。朱鷺様って本当にお優しい)


 それが、朱鷺の言うところのいけ好かない小舅である翠玉への牽制だと、のほほんとした花嫁が気付くことはなさそうだった。


「あふ…」


 小さなあくびをひとつ。

 空をわたる車はほとんど揺れもない。

 緊張を鎮める効果を持つ香のかおりがまた眠気を誘う。

 うとうとしかけていた睡蓮は、従者たちのどよめきに眠い目をこすって御簾を上げて外の景色を覗いた。


「おお…あれが」


 ふわりと空に浮かんだ、遠近感を失うほど巨大な球状の水の膜が見える。

 その中心にあるのが、水神の城、水理宮。瑠璃と翡翠が散りばめられた城は、それ自体が水の殻に守られた宝石のように美しい。

 睡蓮の乗った車と従者が近づくと、水の殻にすっと裂け目ができた。

 千畳の船も軽々と通す、伸縮する雫の水門を抜け逆巻く滝をくぐると、水虎に跨った衛士たちがずらりと並んで車と従者を迎えた。


「お待ちしておりました」


 頬に傷のある厳つい顔の衛士が前に進み出て深々と頭を垂れる。

 ひときわ大きな水虎に乗り、鎧の装飾も他の衛士たちと違う。仮に彼が同じ鎧を着ていたとしても、衛士たちを束ねる立場にあるのはすぐに分かっただろう。それだけの威厳があった。


「わわ…青蜃(せいしん)


 よく知った衛士長の顔を見た睡蓮は、あわてて御簾を下ろし車の中に首を引っ込めた。

 水神からの信頼も厚い青蜃は、睡蓮が生まれる遥か以前から水理宮の警護の任についている古参の衛士である。

 厳格だが優しい、温かくて大きな掌を持った青蜃のことが睡蓮は大好きだ。

 なのにとっさに隠れてしまったのは、言わば条件反射だ。

 昔から、末娘に甘い父や母より、青蜃から行儀作法についてたしなめられた回数が多かった。自分に厳しい男は同じように他人にも厳しい。

 未だに、行儀の悪いところをみられると、幼いころと同じように反射的に身体が動いてしまうのだった。


「妃殿下。ようこそおいでくださいました。ささ、こちらへ…」


 しかめつらしく言い、水理宮を手のひらで示すと、青蜃はゆっくりと車の先導を始めた。

 青蜃の動きに合わせ、衛士たちが左右に分かれ道を作る。


「……」

「どうしたのですか?」


 何故か妖狐の手綱を弛めようとしない大掾に、睡蓮は訝しげに声を掛けた。


「…いえ」


 あまりに仰々しい出迎えに、威圧されてるようで警戒感が沸く。

 大掾をはじめとした従者たちの危惧は、水理宮で生まれ育った花嫁には理解できはしないだろう。

 大掾はごくりと唾をのみ、ゆっくりと妖狐の手綱を弛めた。

 水虎を天敵とする妖狐は、ぐるぐると低い唸りを上げ猛る寸前だ。急いたように駆け足になりたがるのをなだめ、しずしずと青蜃の乗った水虎の後に続く。

 車の後ろには、従者たちの乗る妖狐がぴたりと寄り添い、少し距離を置いて、水虎に乗った衛士たちが整然と隊列を組んでついてくる。

 青蜃の案内する道は、蛇行しているように見えてそれがこの水の殻に覆われた球体の中では一番の近道だったのだろう。

 みるまに水理宮の壮麗な姿が近づいてきた。

 翡翠の屋根を葺き瑠璃と水晶の装飾を施した、広大な宝珠の城。

 水の殻で守られた空間に塀など必要ない。城の周りには瑞々しい緑が広がっている。

 前庭には水芝と低木の木々が生い茂り、間を埋めるように色とりどりの花が咲き乱れており、城の後方には、春は桜の宴が開かれる美しい山麓が裾を広げていた。

 

 青蜃が案内した場所は、前庭の一角だった。

 車寄せなどではない普通の芝地だ。


「さ、あちらへ…。次代様がお待ちです」


 車だけを先に行かせ、後ろに下がった青蜃が、後を追おうとする従者たちを手振りで押しとどめる。


「いえ、我々には妃殿下をお守りするのが役目でございます」


 ぶんっと、空を斬る音、研ぎ澄まされた切っ先。 


「なにを!」


 有無を言わさず振り下ろされた身の丈より巨大な青龍偃月刀に、従者たちが一斉に声を上げた。

 青蜃は淡々と、


「お控え召されよ。これより先は貴人のみに出入の許される場所となりますゆえ」

「しかし…」

「水の殻に守られたこの地に何の危険がありましょうぞ。ここは王妃殿下の生まれ故郷、仇を成す者などひとりもおりませぬ」

 

 きっぱりと断言され、従者たちが鼻白んだ顔で押し黙る。

 芝地には薄い紅色の衣をまとった女官が花びらを敷き詰めたように並び、その中央にくっきりとした青藍の衣装を身に着けた背の高い男が立っている。

 一際艶やかな長い青髪の持ち主は、睡蓮の兄であり次代と呼ばれる、水神の嫡子、翠玉に違いない。

 刻守の王の正妃を迎える、水神の嫡子。

 もしくは、久しぶりに会う妹を手ずから迎える心優しき兄。

 不自然なことなどひとつもない状況であるのに、抑えきれない焦燥を抱え、従者たちはゆっくりと降りていく車を見つめた。

別の話にかまけてましたが、諦めたわけじゃない…はず。

プロットは最後まで立ててるので、のんびりですが頑張ります。

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