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お暇をいただきます。

01

「…朱鷺様。睡蓮はお暇をいただきとうございます」


 常にはない真面目な顔で睡蓮はそう言うと、膝を折って朱鷺の前に座り、両手をついて深々と頭を下げた。

 

「な…」


 その真剣な様子に、いつもどおりだらしなく脇息にもたれかかって盃を傾けていた朱鷺は、空の盃をポロリと落としてまじまじと睡蓮を見た。


 “刻守の王”。

 世界から隔離された場所で、世の来し方と行く末、時の流れと季節の移ろいを、何事にも迷わぬ公平な目でただ見守る存在。

 それは、朱鷺の役割であり、同時に外しようのない重い枷だ。

 “刻守の王”の存在が、遠い昔、強大な力で世界を席巻した一族の支配の名残りで、王と呼ばれ傅かれてはいても、何の権限も持たないことは周囲だけではなく本人もわかっている。

 かつては、時の流れを逆流させるほどだった力は、血を経るうちに薄くなり、封印され、いつしか王は形骸化された御旗に凋落した。

 それでも“王の印”を持った子どもが生まれるのは、その存在がこの世界に対して、まだ何らかの意味を持っているということなのだろう。

 張りぼての王として生きるしか許されぬ運命を、朱鷺は恨むこともなく「ついてなかった」と笑い飛ばし、あるがままに受け入れてきた。今までずっと。恐らくは、これからも。

 王が住まう城は、その責務ゆえに通常の空間とは切り離された場所にある。

 城に仕える者は最低限しかおらず、かつては気晴らしに呼びつけていた遊び女たちも、酔狂な花嫁が嫁いできて以来、まったくというほど姿を見せなくなった。ゆえに、特別な儀式か世間知らずな花嫁が騒動を起こさない限り、城内は廃城にも似た静寂に満ちている。

 人にも物にも深く関わることのできない朱鷺には、そんな生活も案外と悪くはないようで、今夜もいつも通り、人払いをした後、そばに睡蓮だけを置いて手酌で酒を楽しんでいた。

 隣りで水仙境から朱鷺が届けさせた水菓子をつまみながら埒もない話をしていた睡蓮は、不意に改まった表情をして、暇乞いを始めたのだった。

 

「なにいってんだ?」

「しばらく水理宮(すいりぐう)に帰らせてくださいませ」

「ちょ、待て…。いきなりなに言いだすんだ、お前は!」


 心当たりが、ない。


 朱鷺は、わけもわからず、動揺のままに声を荒げた。

 さっきまで楽しそうに水菓子をつまんでいたのに、どうして急にそうなるのかわからない。

 いきなり水理宮…水神の城である、睡蓮にとっては実家にあたる場所に帰る、と言い出すほど睡蓮を怒らせたり悲しませるようなことなど、なにもしていないはずだ。

 「乳母やに教わって新しい直衣を縫いました」と嬉しそうに差し出された衣を「趣味じゃねぇ」とつっかえし、「朱鷺様ぁ、どこにお出かけですか?」という無邪気な問いを「関係ねぇだろ」と切り捨て、「お帰りなさーい、今日のお役目は終わりですか?」とまとわりついてきたのを「うぜぇから、向こうに行ってろ」と振り払ったくらいで…。


 心当たりは、ない。

 まったくない。


 こんなことくらいは日常茶飯事だ。

 もしかしたら、気付くはずもないと思っていたが、久しぶりに人界に降りて派手に遊んだがばれたのか、それとも、すでに朱鷺の記憶からは消えてしまった何かが要因なのか。

 心当たりはないといいつつ、あれか? これか? といろんなことが脳裏に浮かんでは消える。

 幼いころから朱鷺の面倒を見てきた乳母に、もう少し姫様を大事にして差し上げてくださいませ、とあきれ顔でたしなめられたのは、つい最近だ。

 ひやりと嫌な汗が背を這い、苦いものが喉の奥からこみあげてくる。

 朱鷺は動揺を抑え、

  

「そんなの駄目に決まってんだろ。王の嫁の役割をなんだと思ってんだ、お前は」


 王の花嫁は暇を願い出て、はいそうですか、と許されるような立場ではない。

 たとえそれが、自ら望んで刻守の王に嫁いできた、四季神の一角である水神の愛娘であってもだ。

 帰すなど…自分の側から離れることなど、許されるはずがない。許せるはずがない。


「くだらねぇこと抜かしてんじゃねぇよ。絶対駄目だ。今日はもう部屋に戻れ」


 不機嫌に言い、話は終わりだとばかりに顔をそむける。


「朱鷺様?」


 深々と頭を下げていた睡蓮が顔を上げて、若葉色の目をきょんと大きく見開いた。

 要領を得ないという表情で首をかしげる。ゆるく結ったやわらかな白髪がふわふわと揺れた。


「朱鷺様、あの…」

「しつけぇな。話は終わりだ。部屋に戻れと言っただろうが!」

「でも、睡蓮はどうしても帰らなくちゃいけなくて、だって…」


 最後まで言わせず、朱鷺は睡蓮の華奢な手首を掴んだ。


「きゃ…いた…」


 力ずくで引き寄せ、手首を掴んだまま床に押し倒す。

 腹の奥から沸き起こる憤りともつかぬ感情。

 離れていくというのか? この娘“まで”。自ら望んで嫁いでおいて、こんなにも簡単に?

 

「朱鷺様…?」


 若草色の瞳が、不安や恐怖ではなく、不思議そうに心配そうに朱鷺を見上げる。


「……」


 物や人に執着を持つことは、刻守の王には許されない。

 季節と時の流れを歪めるような過ちを犯さぬよう、どんなものにも心を動かされてはならないのが刻守の王に課せられた掟だ。掟を破ればどうなるか、朱鷺は身をもって知っている。

 

「……勝手にしろ」


 振り絞るように言い、朱鷺は睡蓮の手を離して立ち上がった。


「出かける」

「お待ちくださいませ」


 慌てたように睡蓮の声が後を追ってくる。

 朱鷺はかまわず足早に部屋を出た。

刻の寓話シリーズ、新作です。

プロットは立ててますが、見切り発車のため更新はのんびりになるかも…。

出来るだけ頑張ります^^;



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