第六話 狼とのワルツ
アクアとユナのターン
アクアはユナを抱えるようにして地面を素早く転がり、それを避ける。勢い余った狼は、すぐ側の木に激突した。
それを合図としたように、周りの草むらから数匹の狼が飛び出してきた。目をギラギラと光らせる狼達の雄叫びが、静かな森を振るわせる。
ユナは素早く立ち上がり、うんざりとしたような顔をして言った。
「なんで、こんなところに血濡れ狼がいるわけ〜? 住処はもっと奥地だよね?」
「さあね、引っ越しでもしてきたんじゃない? というかそれより、この狼たちはなんでこんなに気が立っているんだろう?」
「……わからない〜」グルルと犬歯を覗かせる狼を睨み、ユナは抱えた棒の布を、取り払った。陽の光を受けて輝くそれは、細い槍だ。
血濡れ狼は本来、警戒心が高く、いきなり襲ってくるなんてことはまず、ありえない。槍を回し、ユナは油断なく狼達を観察する。
この狼たちの様子は、変だとユナは気付いた。狼達は獲物を捕らえにきたというものではなく、まるで怒りを発散させているような感じだ。彼女は小さく首を傾げた。
「ウゥゥゥゥゥ~」地の底から響いてくるような唸り声を上げながら狼達が、二人を取り囲む。
悩んでいたユナは溜め息を零し、槍を持つ手に力を込めた。
「どうやら、考えている時間は」
「なさそうだ、ね!」
言下にアクアが、飛び掛ってきた狼に回し蹴りをあびせた。狼は、ギャンっと悲鳴を上げながら地面を転がる。
転がった狼を避けるように他の三匹の狼は一斉にジャンプすると怒りそのままに、アクアへ飛び掛った。
彼女が素早く身をかがめると、その背後には、白銀に光る槍を手にしたユナが立っており、襲ってきた三匹を槍でなぎ払った。
「はっ!」気合一線。三匹の狼が槍に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられると同時にアクアが、ユナの背後へと忍び寄って来た狼を蹴り飛ばす。
ユナは、槍をくるりと回すとその矛先を天へと向けた。
「属性変換、力は雷」
槍に施された宝石が彼女の声に答えるかのように、輝く。マナが集まった槍を、彼女は狼たちへ向けて軽く一線させた。
すると、槍からはいく筋もの雷がほとばしり、雷は細い槍となって狼たちの体を貫く。 狼たちは悲鳴を上げると、そのまま動かなくなった。
アクアは雷から逃れた残りの狼たちに視線を移した。狼達は仲間がやられたことでさらに頭に血が上ったのか、猛然とユナに襲い掛かっていく。
彼女は片手を軽く挙げ、パチンと指を鳴らした。途端、バキンッと澄んだ音と共に、地面から氷の刃が残りの狼達を突き刺した。
僅か数秒の間に初夏の美しさに輝いていた森は、赤黒い血で汚された。煙が燻り、氷が覆う地面に横たわる狼の死体を見て、アクアとユナは短い息を吐く。
「う~ん、どうしようか、これ」ユナがぽりぽりと頬をかき、アクアは衝動的なため息を堪えた。
「どうしようって言われてもね……」
非常事態だったとは言え、血塗れ狼を倒してしまったのは不味かったかもしれない。
アクアは押し寄せてきた後悔に腕を組んだ。復讐心の強い魔物だ。 このままでは他の狼たちが「仲間の仇!」と駆けつけてくるだろう。
奴らは普通の狼よりも非常に鼻が利く。このままでは、アクアとユナは文字通り地獄の果てまで追いかけられるだろう。参ったな。二人は困ったなという目線を送りあった。
ウオオ~ン。
僅かなしじまを揺さぶり壊す、甲高い雄叫び。それに追随をする小さな複数の足音。 二人は顔を見合わせると、慌てて駆け出した。
「いくらなんでも、来るの早すぎでしょ!」嘘だろとばかりに、アクアは後ろを振り返る。姿は見えなかったが、獰猛な気配がそう遠くない位置に沢山あるのか感じられた。
「確かに。……ひょっとしたら、ユナたちを狙っているんじゃないのかもね」
長い槍を物ともせず、物凄い速度で走るユナが、片手を顎に添える。アクアはハッと目を見張った。「と、すると……メア達か……アンネちゃん?」
二人はもう一度顔を見合わせると、回れ右をして雄叫びが響く方へ逆走し始めた。
アンネとメア達が一緒にいたら、まだいい。しかし、もしアンネが一人で狼の群れに捕まってしまったとしたら、取り返しのつかないことになる。
頼むから、最悪の事態にだけは……!アクアは走りすぎて痛みだす脇腹を抑え、走る速度を上げた。湧き上がる焦燥感が、疲れを遠くに押しやる。
ユナは祈りながら前へ前へと進む。どうか、無事でいて! 枝を踏みしめ、段差を飛び越えるなり、槍を片手に構えた。
二人の行く先を邪魔しようと、どす黒い赤色をした狼が周りから一斉に飛び出してきた。木々の影から光る、幾つもの目玉。復讐に燃えた幾多の影が、一切の情けなく、二人に襲い掛かっていった。
その頃、奥まった森の何処か。怒れる狼の雄叫びに混ざり、幼い人の泣き声が、木々を震わせていた。
「うわぁぁん!」赤いリボンを頭につけた女の子、アンネはあまりの恐怖に、喉を潰さん勢いの大声で泣き喚いていた。
そんな彼女を、両側から慰める二つの人影。二人の少女は、狼達を属性で牽制しつつ、アンネとしっかり目線を合わせた。
「アンネちゃん、落ち着いて!」
「怖くないから! ね?」
ハルティアとメアが懸命に彼女を落ち着かせようとするが、泣き止む様子はない。
そりゃ、こんな状況で落ち着いてなんていられないわなと、ミユが乾いた笑い声を上げる。大の大人でも、この状況は泣きたくなるだろう。
「笑っている場合か?」狼を牽制していたリュウトが、咎めるように言う。ミユはやれやれと肩を竦めてみせた。
「だって笑うしかないでしょう、これ」
彼女が指差す先、それらは低いうなり声を発して今にも飛び出しそうに腰を低くして待機していた。
「ウウ~」
彼女たちの周りは、数十匹の血塗れ狼が隙間なく囲んでいる。しかも、まだまだ新たな狼たちが続々と出現してきており、数が増え続けている有様だ。
一体何処から湧いてくるのか。ミユは頭ごとツインテールを震わせた。こんな状況で落ち着けという方が無理なのだ。
「リュウさん、さっさと一掃してよ」
「お前が詠唱の間盾になると言うなら、そうしよう」
二人が軽口を叩く間も、狼達は数を増やし、輪を狭めてきていた。
「ひいっ!」近くにいた狼が痺れを切らしたのか、飛び掛ってきた。アンネは悲鳴を上げて体を縮こめる。 しかし、狼はミユ達の目の前で目に見えない何かに阻まれて静止し、地面に叩きつけられた。
メアの力である”風”の属性によってできた結界がミユ達を守っているのだ。狼はすぐ目の前にいる獲物に手が出せない苛立ちから、聞く者を震え上がらせるような唸り声を上げた。
その声によって、アンネはさらに怯える。メアは忌々しそうに自分達を囲む狼たちを睨んだ。
アンネちゃんを見つけたのはいいけど、こんな状況じゃあ町に帰れない。狼たちを攻撃しようにも、アンネちゃんがいるから迂闊なことはできない。
アクアとユナの到着を待とうにも、それまでに結界が持つかどうか……。どうする? メアが眼光を光らせる先、狼達は諦めることなく、結界にぶつかっては地面を転がり続けている。
「せめて、アクアかユナちゃんがいてくれたら……」ハルティアの呟きに、メアは自分の判断を後悔した。 こんなことになるなら、ユナにアクアを探させるんじゃなかった!
どうするべきか。メアが手を考えている隙に、何十回目かの狼の体当たりで、結界がミシリと嫌な音を立てた。おっと、いけない。結界への集中を緩めていただけなので、メアは特に慌てた様子もなく、マナを強める。
しかし、幼いアンネはその音にパニックを起こしてしまい、半狂乱になりながら結界の外へと走り出してしまった。 驚いてメアの伸ばした手が、虚しく宙を掴んだ。
「アンネちゃん、危ないっ」
「ちっ!」
ハルティアとリュウトが、アンネを止めようと走り出した。二人が結界から飛び出せば、じっと待機していた狼達が色めき立つ。
「ちょ、メアさんっ!」ミユが鋭い声でメアの名を呼ぶ。 走り出したアンネに気を取られて、結界を張っていたメアの集中が途切れていた。
「しまった!」彼女の焦った声と、狼の決死の体当たりが重なる。ぐらりと景色が揺れ、低い風の音と共に結界が崩れた。
狼達が、獰猛な牙を剥き出しにしてメアに襲い掛かる。反射神経が良いメアはギリギリのところで、これをかわした。
さらに襲い掛かってきた別の狼を蹴り飛ばし、メアは腰に差してあった短剣に手を伸ばす。それは、属性の威力を上げるマスターに必須の補助魔道器だ。
メアが短剣を振りかざそうとした刹那、背後から飛び掛ってきた狼の牙が、肩をかすめた。
「っ!」赤い鮮血が舞い、彼女の肩を真っ赤に染める。メアは顔を顰めて肩を抑え、狼の追撃をかわした。
「メアっ!!」 リュウトは急いで彼女のもとへ駆け寄ろうとしたが、狼に行く手を阻まれてしまった。彼は苛立たしげに懐に手をやるが、狼の動きに注意を削がれ、目的のものが取り出せない。「くそっ」という悪態が、遠吠えの中に消える。
「ハルさん、大丈夫!?」ミユはメアの肩を押さえ、アンネを庇いながら戦うハルティアを案じる。普段、後方支援に回るハルティアは、近距離戦が苦手だ。
ぐっと呻き声を上げるメアを一瞥し、ミユは舌打ちを堪えた。
狼の数が多すぎるねえ。これじゃあ、マナを溜められないし、大技を使う暇が無い! このままじゃ、冗談抜きで全滅するっ。ユナさん、あーさん、早く来てっ!
切実なミユの願いは届く様子を見せず、当然二人が来る気配はない。彼女が知る由もないが、この時二人もまた、多数の狼に苦戦を強いられていたのだった。
ミユ達の焦りに呼応するかのように、狼達はその数をさらに増し続けていた。辺り一面を埋め尽くす、赤黒い体毛。絶望的な状況の中、アンネの泣き声が森に木霊する。
「きゃっ」その時、ハルティアがバランスを崩し、転倒してしまった。 狼達は、その隙を見逃すはずも無く一斉に襲い掛かった。ミユとアンネの叫びが、重なる。
血も凍るように、ゆっくり流れる時間。恐怖が支配した時の流れは、数匹の狼が漏らした悲鳴によって、元に戻る。ヒュンと、風が斬り裂かれ、ハルティアに襲い掛かった狼たちが鮮血を撒き散らして、空中を舞った。
いつまでも、狼が襲い掛かって来ないことに疑問を抱いたハルティアが、固く閉じた瞳を恐る恐ると開ける。 そこには待ちに待った銀髪の少女ではなく、深い藍色の長い髪の青年がいた。