第五話 曇る午後
騎士達の道中
王都を出発したファウマ達一行は、特になんの問題もなく順調に最後の関門を通過しようとしていた。
「そろそろ町に着く頃だな」
「そうですね」
ファウマの言葉に頷き、レルネは油断無く辺りを見回す。現在、一行が歩くこの森は恐ろしく獰猛な生物、魔物が多く生息していると有名な森だ。
「ティルフォン、か。……新人騎士が派遣される場所にしては、難易度が高いな」
ユエが深い森のベールに隠れた、獰猛な気配を一つずつ拾いながら言った。
このすぐ近くには、エーゼの山脈という国有数の魔物の住処がある。そのため、ティルフォンやその近郊には、王都では中々お目にかかれないような、強力な魔物の被害が多い。ユエ達も先程、大熊に似た魔物の群れを討伐したばかりだった。
「ティルフォンの派遣問題は、昔からの課題だったよね。でもそういうのって、中々変更するのが大変なんだよ。今の時期は尚更、さ」
リュキアの含みある言い方に、ユエはああと頷き返す。王権争いのせいで、王宮も騎士団も正常に機能していない部分があった。上は大変だな、とユエは肩を竦めた。
「でもティルフォンって、あんまり大きな魔物の被害が出ていないですよね」
不思議そうにレルネが言うと、ファウマがああと付け足す。
「あの町には腕のいい魔導士が何人かいるそうでね。騎士団と一緒に、魔物を追い払っているそうだよ」
「優秀なマスターの子供も多いそうですよ。私の知り合いが昔、見惚れるくらい可愛い子達に何度も助けられたって言ってたっけ」
リュキアの話に馬の手綱を引いていたカロンが、呆れたように振り向いた。
「騎士が子供に助けられてどうするんだよ。唯の恥晒しじゃないか」
「でも、本当に強い子達みたいだよ。レルネみたいな逸材が沢山いるのかもしれないね」
話題に挙げられたレルネは、リュキアの話しが耳から通り抜けていた。彼は、険しい顔をすると、前方に目を凝らす。
「どうかしたのか?」カロンが不思議そうにレルネに尋ねると、彼は前方の茂みを指差した。
「あれを見てください」
全員が千切れた葉の間から茂みの中を見ると、一斉に顔を険しくした。
「これは……」途切れた苦々しげなカロンの言葉に被せるように、ユエがため息と共に付け加えた。
「血塗れ狼だな。また、厄介なものを……」
茂みの奥には、何匹もの赤黒い狼の死体があった。本来、緑で生い茂っているはずの地面は、血を吸ったのか、赤黒い。
狼の体にはいくつもの刀傷があり、なにものかが狼たちを殺したようだった。
血濡れ狼は気性が荒く、凶暴な魔獣として知られている。これを倒した者は、かなりの強者か大人数だったのだろうと、彼らは推察した。
リュキアは死体の周りに点々と続く足跡を見て、眉をひそめる。
「まずいですね……。どうやら、生き残りがいたようです」
狼達は仲間意識がとても強く、仲間になにかあったら集団で仕返しに来るという厄介な性質を持っていた。生き残りたちは仲間がやられたことで怒り狂い、他の仲間を集めて仕返しにくるだろう。
ファウマは険しい顔つきになると、呻くように言った。
「気が立った狼たちは森を通る人間を手当たり次第に襲うだろうな」
「はい……。下手をしたら、町を襲いに行くかもせれません……どうしましょう、ファウマさん」
レルネの不安げな眼差しを受け、ファウマはしばらく沈黙すると、顔をあげた。
「ともかく、町へ急ごう。ここで考えていても埒があかない」
レルネ達も彼の意見に同意し、辺りを警戒しながら歩き出す。
足早に進みながらファウマはふと、遠くにある茂みの方へ視線を向けた。その瞳は一瞬、茂みの中へ消えていく赤いリボンをつけた小さな女の子の姿を捉えたような気がした。
彼が瞬きをしている間に女の子の姿は消えていた。
遠くで、狼の遠吠えが聞こえた。
初夏の日差しをうけた水面は宝石のように輝き、町の人々に夏の訪れを感じさせるのだった。
そんな水面をアクアはきれいな湖などを住処とする、白い柔らかな毛に覆われた大きなアザラシのような生物、ルーディンの背に乗ってゆらゆらと漂うのだった。
日差しを受けて輝く銀髪は通りがかる人を魅了する。白い肌は日差しに負けることなく、玉の汗に濡れて健康的な輝きを生み出す。
彼女は銀のまつ毛に縁取られた目を薄く閉じると、心地よい風に身を委ねながら、初夏の訪れを楽しんだ。
平和だなあ。
アクアは幸せそうに目を細めると、キラキラ輝く水面に視線を向ける。
その青い瞳は水面の輝きを映し、星のように瞬いた。
雲ひとつ無い青い空。美しく輝く水面。身を包む心地よい風!
久々の長閑なひと時に、微笑みを浮かべながら物思い耽っていると、後ろから悲鳴にも近い声があがった。
「アクアああ!」
テトラは一昨日と同じく慌てたような様子でアクアを呼ぶ。
「そして私の平和を壊す声」
アクアは顔を引きつらせ、ルーディンを走らせたまま振り返らずに答える。
「バカで役立たずのアクアさんになにか御用かな?」
「うっ……。まだ根に持っていたの? っていうか僕、役立たずなんて言ってないよ!?」
テトラは走りながら情けない声で叫ぶ。
アクアはルーディンのスピードを落とさないまま、若干投げやり気味に言った。
「あ~、はいはい。そうですよ。大人気なくも根に持っていますよ。あなたに蹴られた石と折れた木の枝が運悪く頭にあたり、たんこぶができてふてくされていますよ。それがなにか?」
見せつけるようにできたたんこぶをさする。最早そこに、歳上としての威厳とやらは影もなかった。
テトラはそんな彼女の様子に呆れながらも、必死に叫けんだ。
「そんなことより、大変なんだ!」
アクアはテトラのあまりにも必死な声にちらりと視線を向けた。彼は走り疲れたのか、ふらふらとよろめき、声を荒げながら叫んだ。
「アンネが森に行ったきり、帰ってこないんだっ!」
「えええぇぇぇぇぇぇっ!?」
彼女の大声に驚いて、暴れたルーディンを慌てて宥め、岸へ寄せると、アクアは大急ぎでテトラに駆け寄る。
テトラは肩で息をしながらも必死でアクアにしがみつき、半泣きになりながら事態を説明した。
「アンネが今朝、どうしてもプレゼントを見たいって言いだして……。僕はだめだって言ったのに、アンネは全然聞かなくて……。朝ごはんを食べてすぐに家を飛び出しちゃって。もう、五時間近くも帰ってこないんだ!」
アクアは険しい顔になると、泣きじゃくる彼の頭を優しく撫でて落ち着かせようとした。
「大丈夫。アンネちゃんは、私が探してきてあげるから。だから安心して、ね?」
軽やかに微笑むとテトラを「よいしょ」と抱き上げ、ルーディンの背中へ乗せる。
「ちなみに、騎士様に捜索願いは出した?」
「しないよ! あいつら全然役に立たないじゃんっ」
「こらこら!大声で騎士様非難しちゃだめだって! 身分階級的に!!」
アクアは慌先程よりも慌ててテトラの口を押さ、周りを見渡すが、幸いにもそこに騎士の姿はなかった。
「わかった。とりあえず、テトラはここで待っていてね」
テトラは素直に頷く。彼にもう一度、優しく微笑むと急いで走り出した。
「アンネは大きな赤いリボンをつけているよ!」
テトラの言葉にアクアは振り向かずに返事をした。キュロットのスカートの裾が翻るが、そんなのを気にしている場合ではなかった。
不味いな、森か。あの辺りの魔物って、この季節活発なんだよな……無事でいてくれるといいけど!
町の西にある門を走り抜けると、後ろから金髪の少女、ユナが走ってきた。
「アクア! アンネちゃんのことは」
「今、テトラから聞いた!」
二人は止まることなく走り続ける。ユナも先ほど、パニックになったテトラから事情を聞き、アクアを探していたのだ。
「ユナたちもさっきテトラ君から事情を聞いてアンネちゃんを探していたるんだけど見つからなくて……。今、メアとハルちゃんとミユとリュウトが森を探している!」
アクアはユナの説明に頷くとさらにスピードをあげた。
門を出ると舗装された道を無視して、鬱蒼と茂った森の中へ飛び込む。その少し奥にいった場所は、一昨日、テトラとアンネの母が魔物に襲われた所だ。
森へ入った瞬間、アクアはふと違和感を覚えた。今日のこの森は何かおかしい。 彼女は隣を走るユナに尋ねる。
「ねぇ、森になにか変わった事とかなかった?」
ユナは訝しげに目を細めると小さく頭をふる。
「ううん。特にはなかったけど、どうして?」
「う~ん、なんと言うか……。血の匂いがする」
「血の匂い?」ユナは不思議そうに首を傾げる。アクアよりも、嗅覚が何倍にも鋭い彼女には、血の匂いなんてしなかった。
森はいつもどおり、湿った土と甘い花の香りが漂っているばかりである。
しかし、アクアがすると言っているのだからするのだろうとユナは思う。
彼女の感覚がまちがっていたことは、ユナの知る限り皆無だった。
ユナは軽く頭をふる。なんにせよ、警戒するに越したことは無い。
アクアは、うーんと唸りながら素早く足を前に運んで走り続けた。その姿は、銀色に光る一陣の風のようだった。ユナもそれに続くようにスピードを上げた。
銀と金の風は、静かな森を悠然と駆け抜ける。森はそんな二人の姿に見とれているかのように、静かだった。
ユナはふと、嫌な予感が頭をかすった。引きつった顔を浮かべ、隣を走るアクアを見る。
「あの~アクア?」
「なに?」前を見たまま返事を返すアクアにユナは疑問を投げかける。
「アンネちゃんが、どこにいるかわかるの?」
「わかるわけ無いでしょう」
何を当たり前なという顔で彼女を振り返った。
ユナは口元を引きつらせ、さらに聞きたくないことを尋ねる。
「じゃあ、ユナたちは何処へ行けばいいのかな?」
「ん~。とりあえず、片端から森を探せばいいんじゃない?」
「ちなみに、ここは森のどの辺なのかな?」
「どの辺って……」
二人の足が止まる。
アクアは冷や汗をかきながら、ユナを振り返った。周りは先ほどよりも色が濃い緑の木々が生い茂るばかりである。
「…… …… ……ここ、どこ?」
ユナはがっくりとその場にへたり込んだ。
そして、彼女についてきた自分の失態を深く呪う。何を隠そうアクアは超がつくほどの方向音痴なのである。
ユナは自嘲するようにぼそりと呟きを落した。
「アンネちゃんを助けに来たのに迷うとか……。かっこわる」
「………………あ、あははは。まあ、こういうこともあるんじゃ、ないかな?」
いつもでしょうが! という彼女の視線から逃げるようにアクアは明後日の方へ首を捻った。
ピンチの時のアクアはかっこいい。ここぞという時のアクアは確かにかっこいいと思う。でも、偶にどうしてこう、思いがけないというか、どうでもいいというか、情けないミスをしでかすのだろうか。
これまでの様々な記憶が蘇り、ユナがさらに文句を言おうと口を開きかけると、アクアはいきなり覆いかぶさるように彼女の上に倒れこんだ。
ユナは突然のことに驚くと、じたばたと暴れる。
「ちょ、アクア! 自分の非を認めたくないからってっ」
「静かに!」
アクアは鋭く言い放つと険しい目つきで前方を見据える。その視線の先にある草むらが大きな音をたてた。
草むらを引きちぎる勢いで出てきたのは、血を連想させるどす黒い赤色の大きな狼だった。
「血濡れ狼!!」
ユナは大きく目を見開くと小さく舌打ちをする。厄介なものと出会ってしまった!
狼は不気味に光る牙をむき出しにすると二人へ飛び掛った。
次から戦闘シーン突入。