第二十話 因縁の男
アクアのターン
一方その頃。王都の地下ではアクアが眉間に皺を寄せて煤けた煉瓦の壁と睨めっこをしていた。
檻を隔てた周りの個室では鎖のじゃらじゃらとした音が耳触りに響き、下品な笑い声が終始木霊する。
「こっちを向けよ、お嬢ちゃん」
「そのうっとうしい服を脱ぎ捨てちまいな。たっぷりかわいがってやるぜえ」
ねっとりと耳にこびりつく気持ち悪い声を全て無視し、ただ黙々と壁を眺め続ける。
「脱出なんて考えたって無駄だぜ。その壁には魔法がかかっている。そんなことより、こっちへこいよ女あ」
ガシャンと毛むくじゃらの男が檻をつかんで卑しい笑みを浮かびながら揺する。アクアはため息を吐いて後ろを振り向いた。
騒がしい所だな。ビレットの牢獄よりはマシだけど。
腕にはまった忌々しい赤い腕輪を見つめて思いっきり壁へと打ち付けた。鈍い金属音がしただけで腕輪には傷一つついていない。
「クックッ。そんなんじゃそれは壊れねえよ」
「知っているよ。そんなこと」
若干苛立った声で返すと、ぼさぼさの長い黒髪をかきあげて男は肩を竦めて笑った。
「おお、怖い。そんなにかっかしなさんなってアクアちゃん~」
「その呼び方、腹立つからやめてくれないかなルドー」
ついさっき知り合ったばかりの牢屋の同居人、ルドーは無精ひげを生やした口元をニッと歪めて笑った。
「どうせ脱獄なんて無理な話だ。何をやったかは知らねえが、大人しく釈放の時を待つんだな」
「それじゃ遅いんだよ」
不機嫌そうに言葉を返し、顔を顰めながら再び腕輪を壁に打ち付ける。
何度も何度もそれを繰り返しているうちに腕輪の周りの皮膚が破れ、血がにじんだ。
「だから無駄だって。やめとけよ」
ひょいとルドーに手を掴まれた。掴まれた手を不満そうに見つめ、ルドーをギロリと睨む。
「おーおー。全く迫力のないお嬢さんだことで」
なんだろう。無性に腹が立つ、この男。
力を込めても彼の手はびくとも動かず、アクアは諦めたように手の力を抜いた。ルドーは手を離さないまま、おもしろそうにニヤニヤと笑みを浮かる。
「なあ。なんでそんなに必死なんだ? 愛する恋人にでも会いにいくとか?」
「いや、恋人なんていないから」
「じゃあ、俺がなってやろうか?」
「断る。手を離してよ、早く仲間を助けに行かなければいけないんだ!」
「ああ。エルディナ王子のことか?」
さっとアクアの目付きが変わった。星を写す海のように光る瞳が警戒の光を放つ。ルドーは飄々とした笑みを浮かべながら肩を竦めた。
「俺は情報通なんでね。こんなとこにいても今この国で起きている事件を知るなんざ何のことでもないんだよ。騎士隊長オズマ殺害犯のアクアさん?」
「違う、私達は殺してないっ!」
「だろうな。人を殺したにしては澄み切っているよ、あんたの目」
じっと目を覗き込み、ルドーは言った。彼の笑ってはいるが、鋭い眼光を宿した瞳にアクアの背筋がぞくりとした。
その鋭敏な瞳に自分の正体が写ってしまうのではないか。そんな錯覚が全身を冷たく硬直させる。
「ま、くだらない王族同士争いに巻き込まれたあんたには同情するよ。そんなに焦らなくても勝敗はもう決まっているんだ。大人しくことが収まるまでここにいなよ」
元のふざけた顔に戻ってルドーが笑った。妙な威圧感から解放されたアクアはほっとすると同時に疑問を抱いた。
「勝敗が決まっているってどういうこと?」
「ああ、知らないのか? さっき、双子の王率いる騎士団が“嘆きの渓谷”へ出発したんだよ。 なんでも王を決めるとかいう“終焉の鐘”を目指してな。上級騎士達の会話を盗み聞きしたから確かだぜ。国中の騎士団とたった数人の平民のガキを味方につけた王子様。どっちが勝つかなんて幼児でもわかるぜ?」
「・・・最後まで結果は決まらないよ」
ハッとルドーは鼻で笑った。駄々をこねる子供を馬鹿にするような目で彼女を見下ろし、わざとらしくため息を吐く。
「過程と結果は結びつく。俺の故郷にある言葉だ。いかに歴代最強で聡明な王子様でも無理なことはあるだろうさ。あんたは奴とは何にも関係ないんだからもう放っておけよ」
「関係なくはないよ。エディは友達だ」
「そんな青臭いこと言って人生まだまだの命を散らすってのか? はあ~、若いっていいねえ。あんた早死にするタイプだ」
「青臭くたって甘いって言われたって構わないよ。自分が後悔しなければそれでいいし。エディは敗けないよ、私は彼を信じる」
ルドーは深いため息を零し、彼女の手を掴んだのとは反対の手で目頭を押さえた。
「本当に救いようのないガキなのな」
ぐるんとアクアの視界が一転した。固い地面が背中にあたる。ルドーが覆い被さり、彼女の両腕を片手で掴み、彼女の頭の腕で押さえつけた。
「てめえ、俺が先だぞ!」
「いいぞ、やれやれ!」
口笛を吹く音が辺りから響き、はやし立てる声がけたたましく響く。アクアは腕に力を込めるが、彼の手はビクとも動かなかった。
「聞くぞ、ガキ。たった一人の男にも抗えないか弱いお前が王子と合流して何ができるっていうんだ?」
アクアは無言で眉間に皺を刻む。
「言い返せないだろ。国を相手にするなんて無謀なんだよ。王子の命だけを助けたかったら他国にでも逃亡すればいいし、他大陸に渡ったっていいだろ? 逃げる道ならいくらでもあるじゃねえか。何で争うことに拘るんだか」
「それじゃ何も解決しないからだよっ!!」
ルドーが片眉を上げれば、アクアは少しだけ目を細める。
「逃げて、生き伸びても、エディは幸せにはなれない。全部を投げ捨てて、忘れて生きることができる人じゃないんだ、彼は。いつか絶対後悔する時がくる。そうなった時の彼の顔を私は見たくないし、立場が違ってもイオルク王子とフィオリナ王女は家族だ。家族がこんな形のまま別れるなんて、そんなのあってはいけない」
記憶の中、自分を抱き締めてくれた暖かい腕を思い出して顔を歪める。そんな彼女を見て、ルドーは小さくため息を吐く。
「そんな経験をあんたはしたことがあるみたいだな・・・。だが、肝心の王子は王になりたいと一度でも言ったのか? 俺なら嫌だね。散々酷い仕打ちをされてきた王宮に戻るなんて。ましてしばらく平民として生きていたのにいきなり王様になれとか。すごいことを言っているが、肝心の奴の気持ちは考えてやったのか?」
「・・・まだ、聞いてはいない。でも、彼は絶対にその道を選ぶ。そんな気がするんだ」
まるで予言するかのように、星のような瞬きを宿した海のような双眸はそう確信の色を浮かべる。そんなきれいな瞳にルドーは魅入られる。
「でも、ありがとう。ルドー」
ぼーっとしていたルドーがきょとんと瞬きをすれば、アクアはフッと微笑んだ。
「それでも、確かに私達はエディの気持ちを無視していたかもしれない。それを注意してくれた。だから、ありがとう」
数秒黙りこくったが、数秒後には腹筋に力を込めて笑い出した。
「プッ、ははは! おもしれえくらい馬鹿真っ直ぐなガキだな!」
パッと彼女の手を離し、体を離すとゲラゲラと笑い転げる。
周りから激しいブーイングが起こるが気にもせず、彼は腹を抱えて高らかに笑った。
アクアは抑えられていた腕をさすり、困ったようにルドーを眺める。
私は何か笑われるようなことを言ったかな・・・?
ようやく笑いの収まったルドーはまだ口元を引くつかせてアクアに軽く謝った。そこに全く反省の色はなかったが。
「いやあー、悪いねえ」
「・・・別に。前にもある騎士さんにも大笑いされたことがあるから大丈夫」
全然大丈夫そうに見えない彼女に小さく笑い、ルドーは目に滲んだ涙を拭った。
「ハア~、最初見た時から似ているとは思ったけど、あいつ以上の馬鹿みたいだな。お前」
「あいつ?」
「俺の昔の友人だ。今は他大陸で元気にやっている猪突猛進の馬鹿男」
その友人のことを思い出しているのか、さっきまでと違う優しい目で遠くを見た。そして、彼女に向き直るとニッと笑いかけた。
「ま、これも何かの縁だ。あいつに似たお前を奴の代わりに助けてやるよ」
「・・・ ・・・はい?」
「助けてやるって言ってんだ。あいつみたいな今どき珍しいタイプをこんなとこで死なせるのはもったいない」
よくわからないが、どうやら助けてくれるらしい。しかし、アクアはそんな彼の気持ちだけを受け取っておくことにした。
「ありがとう。でも、罪人を牢屋から出すわけにはいかないよ」
「固いこと言うなよ。罪人つったって、俺は別に殺人とか強盗とかでここにいる訳じゃねえぞ。ちょっとした過ちで捕まっただけだ」
「ちょっとした過ちって?」
その時のことを思い出すかのように、ルドーはシミだらけの天井を眺めて、顎に手をやる。
「一か月ほど前の星がきれいな夜にムーディンの町の近くで一人酒をやっていたんだがよ。通りかかった柄の悪い魔術師に絡まれて喧嘩沙汰になったんだ。酒の力もあってな力に歯止めが利かなくなって道の一つを壊しちまったんだ。それで捕まった」
「酔っぱらいの魔術師って君だったのか!」
へらへらと笑うルドーにあんぐりと口を開く。
先月の王都までソフィアと共に王都へ行く際にムーディンの安全な道が使えなくなり、彼女たちは危険なエーゼの山脈のルートを通る羽目となったことがあった。
まさかその原因の魔術師とこんなところで出会うとは!
「お。俺のことを知ってたのか? まあ、過去の小さな過ちは水に流そうや」
「小さなって・・・まあ、いいけどさ。あれ? っていうことは、君って魔術師なの?」
「いや。俺は剣士だ。一応傭兵で飯を食ってる」
「え、でも、道を壊したのは二人組の魔術師って」
「魔術もわりと使えるからな。捕まえた騎士たちが誤解したんだろう」
見た目によらず器用な男だと彼の評価を改める。
この大陸ではマナを使った属性が主流なので魔術師や魔道士が他の大陸と比べて少ない。
属性よりも高度な技術が必要とされる魔法は幅広い知識も必要となるため、誰でも簡単に会得できるものではないからだ。
そういえば、カロンさんもかなりの魔法の腕前だったし。魔術師の技量は見た目で判断しては駄目なのかもね。
若干失礼なことを思いながらも、それなら問題なしと判断し、この後どうするべきか彼に相談しようとした。
しかし、彼は突然耳を欹てると彼女からさっと離れ、床に寝転んだ。
「警備兵が来る。怪しい動きはするな」
ルドー (男)
・第一章でアクア達が危険な道を通ることになった原因を作った人。




