第二十話 晩餐会
ユエとアクアのターン
途中、何度か警備の騎士に呼び止められたが、ユエが適当に理由をつけた事で、アクアは無事中庭までやって来る事が出来た。
中庭は庭と呼ぶには広大すぎ、真紅の薔薇がいたるところで咲き誇る夏の園。月光に照らされたその場所はこの世ならぬヴェールに包まれていたが、残念なことに今の彼女達はそれを楽しんでいる暇がない。
薔薇の園を突っ切り、木々が鬱蒼と立ち並ぶ空間に忘れ去られたように佇む小さな建物の前で二人は止まった。
「ここだ」
長く走って来たのにも関わらず、ユエは全く呼吸を乱した様子もなく、建物を目的の場所だということを告げた。
アクアは少し息を荒げながら目の前の建物を見上げる。古い洋館のような建物に変わった所は見当たらない。だが、彼女の星を閉じ込めたような青い瞳は警戒の光を発した。
彼女は上着のポケットの中から先ほどもらったコインを取り出し、倉庫のドアへと近づける。
コインがドアと触れた瞬間、銀色のコインは瞬時に黒く錆びた。まるで、真っ黒な炎で焼かれたかのようだ。アクアはコインを見下ろし、覚悟を決めた顔で丸いノブを握りしめた。
ガチャッという音が調子外れに響く。扉には厳重な鍵が掛けられていた。勢いを削がれた彼女は溜息を吐き、おもむろに数歩後ろに下がった。
ユエが止める間もなく、風を裂く様な音と共に強力な回し蹴りが扉に叩きつけられる。細い脚からは考えられない衝撃が金具を捻じ切り、金属がこすれ合う不快な音を立てて、奇妙な形に変形した扉が内側に開いた。
倉庫の内部は外観通りの小さな屋敷のような造りだった。色あせた絨毯が床に敷かれ、二階へと上がる二つの緩く円を描くようにカーブした階段が奥にある。
一歩中に入ると絨毯から埃が舞い上がり、扉から差し込む月明かりを受けて青白く光った。
アクアは埃に咽せつつも、迷いのない足取りで中に入って行く。だが、数歩進んだ所で絨毯の出っ張りにつま先を引っかけ、前につんのめった。彼女の間抜け加減を抜きにしても、窓から差し込む月の光だけでは中を探索する事は不可能だった。
アクアが何事もなかったかのように咳払いをする横でユエが懐から小型の魔道具を取り出し、壁に取り付けられていたガラスのランプにそれを近づけた。するとランプがオレンジの光を放ち、他のランプも次々と仕事を始めた。
瞬きの間に昼のように明るくなった建物内を見渡し、アクアは足元に注意しながら奥に進む。そして、階段の手前まで来ると急いで側の椅子へと走り寄った。埃を被った椅子には人が座っている。
アクアはその人の手首を掴んで脈を確かめ、息があることを確認すると安堵の溜め息を吐いた。
「よかった、生きてた……」
最低最悪の事態は回避出来た。厳しかった顔を緩ませる彼女とは対照的に傍までやって来たユエは、その人物を見て目を見開いた。
……これは、どういう事だ。
アクアの腕の中で苦しげな呼吸を零す少年。美しい金の髪が薄っすらと埃を被っており、生気のない青白い手が微かに震えている。痩せ細った顔は死人のように変わり果てていたが、それでも人目を引く容姿の持ち主は間違いなくイオルク王子その人だ。
ユエは方膝をついてイオルクの顔を覗き込んだ。肌は青白いが、一刻を争う事態と言う訳ではなさそうだ。一先ず息を吐いた彼は瞬時に瞳を鋭く細め、アクアを見つめた。
「さて、いい加減どういうことか説明してもらおう」
嘘偽りを許さず、一滴の真実ですら絞り出そうとする尋問。答えによっては死刑執行人ともなりそうな恐ろしく剣呑な気配に臆した様子もなく、アクアは冷静な手つきで先ほどのグラスとコインをユエに見せる。
「このグラスは広間にいたイオルク様が触ったものだよ。もともとはきれいな銀色だったんだけどね」
その言葉とは違い、彼女の手に持たれたグラスは黒く錆びれていた。それも、ちょうどグラスを触ったかのようである手形に。
アクアはゆっくり、言い聞かせるように学校の教科書に載っていた一部分を暗唱する。
「銀の物質は邪を払い、清める。吸血鬼伝説でもあるように、邪悪な存在は銀には触れられない。広間にいたイオルク様がグラスに触れたら、銀は溶けてしまった。”銀の熔解反応”聖騎士ならこの反応が示す意味がわかるでしょう?」
ユエは表情を険しくした。彼女の言いたいことを理解したからだ。
あまりにも邪悪な存在のため、退魔の力を撥ね退けてしまう存在がこの世に一つだけ存在する。その狡猾さから数々の伝説を残し、神から地の底へと追いやられた大罪者達。
アクアもまた目尻を釣り上げた、目に見えない敵を睨みつけるように。
「広間にいたイオルク様は偽者だよ。あれは……」
突然、奇妙な形に変形した扉が大きな音を立てて閉まった。息を吐く暇もなくランプの光が炎のように揺らぎ、オレンジから青白い光へと変わる。
それに続くように倉庫の中の物が小刻みに震える。地面が揺れたのではない。薄暗い闇のなかから、いや。闇そのものが響かせる不気味な笑い声が震わせたのだ。
二人は一瞬、視線を交差させ互いに反対方向へ飛び退いた。すぐに不快な音が響き、二人のいた場所がひび割れる。
二人が周りを見渡せば、いつからいたのか倉庫の中には角を生やした黒と赤が混ざったような色の者たちが醜く嗤いながら彼女達を見ていた。
ユエが音も無く剣を抜く。アクアはあまりの数に冷や汗を背に浮かべる。
「……どうやら、こちらでも晩餐会が開かれたようですよ」
「なるほど。料理人は私達で、彼らが食材かな?」
ユエは皮肉に笑うと、階段に座った奴らとの間合いを一瞬で詰める。ほぼ同時に黒い鮮血が舞い、一体が床に倒れた。
血の臭いに中てられて他の奴らが興奮しだした。
イオルクを壁際にそっと寝かせるとアクアは凍てつく目でそれらを見据えた。黒く、不気味に嗤う悪魔達は奇声を発しながら彼女との距離を詰める。
アクアの腕が鋭く振り下ろされ、軽快な指の音と共に邪悪な黒が氷の奥へと消えていった。




