第十二話 森のささやき
歌声
鈴の音は、荷車の中から響いているようだった。アクアはまるで、導かれるように荷車へと近づく。
鈴の音はいつしかやさしい歌声へと変わっていた。
彼女はこの歌声を何処かで聞いたことがある気がした。しかし、どこで聞いたのかが思い出せない。……あ~、もやもやする。
思い出せそうなのに、思い出せない。思い出したいのに、思い出してはいけない記憶。複雑に絡み合ったものが胸に渦巻き、ひどく不安にさせた。
荷車へと手を伸ばした。なにか、不安定な存在を捕まえるかのように。歌声がそれに応えるかのように大きく響く。それが自分を呼んでいる気がして、荷車の台に足をかけた。
「なにをしている?」
突然後ろからかかった声で、アクアは我に返った。 急いで後ろを振り向くと、訝しげに目を細めたユエ・アルフォースが腕を組んで立っていた。
アクアは慌てて荷車から離れと、今の突飛な行動を誤魔化すような笑みを浮かべた。
「い、いえ、別に。きれいな歌が聞こえたので、気になって見に来ただけです」
「…… ……歌?」
ユエは不思議そうに首を傾げた。アクアは目をぱちぱちと瞬く。この人聞こえていなかったの、か?
ユエはアクアと荷車を交互に見比べ、もう一度彼女を見ると、きれいな顔に苦笑いを浮かべた。
「そんなに構えなくてもいい」
「え……いや、その。騎士様相手だと緊張してしまいまして」
考え事をしていたアクアは、はははーと笑う。そんな彼女を、ユエは探るように見つめた。
「何か収穫はあったかい?」
「…………………………は?」
なんの事だとばかりにアクアが見返せば、彼は小さく笑った。
「昼間の魔物との戦闘のとき、ずっと我々を観察していただろう?」
「あー……それはぁ、気のせいですよ」
昼間の行動を思い出したアクアは「あはははー」と乾いた笑いを響かせる。彼は気にもせずに続けた。
「君は、私達の力と力量を測るために、あえて魔物との戦闘に手をださなかったんだろう?」
「いやいや、考えすぎですよ。あんな凶暴な魔物に私みたいな子供が手を出せるわけないじゃないですかー」
全てを見透かすような、藍色の瞳に見つめられ、アクアは背中にびっしり汗をかいた。確認のように、悪人を尋問するように。彼はじっくり言葉を染み込ませるよう、尋ねる。
「それほどのマナがあるなら、昼間の魔物など敵ではないはずだが?」
「い、いえ……。騎士様に言われる程のマナなど、私は持ち合わせておりませ」
「君のマナは少し変わっているね」
光に見放された黒い雲が、頭上をゆっくり流れる。アクアのギリギリ笑みの形を成していたものが、脆く崩れた。星のような瞬く光を宿した青い双眸に、緊張の光が点滅する。
「…… ……どこまで、気付いた?」
彼女の声がはっきりわかるくらい、トーンが下がる。腰の後ろに隠れた左手から、微かに冷気が溢れた。
ヒュオッ。小さく、鋭く風が唸る。暫しの無音、ユエは惚けたように、小さく笑った。
「さあ。どこまでだと思う?」
彼女の頬に汗が伝う。緊張と恐れの感情が、美しい青い瞳に入り混ざる。二人の頭上の空は、月も無く、ただ黒を落としただけだ。
アクアが静かに彼を睨みつける。すると。彼は口の端を僅かに緩め、視線を逸らした。
「明日も早い。早く寝たらどうだ」
それだけ言うと、足音も立てずに歩き去って行った。小さくなっていく背中を見つめ、彼女はしばらくその場を動けなかった。
翌朝。朝日が昇り始めた頃に、一同は出発した。
朝日が照らす新緑の山脈。そこは美しく、こんな時でなかったら、ゆっくり観賞していただろう。だが、残念なことに野生の鳥がかわいらしく鳴く声も、今のアクアには憂鬱だった。
「あーさん、寝不足?」
「…… ……まあね」
ミユが不思議そうに聞いてきたので、適当に頷いた。あの後。横になってもなかなか眠れず、やっと意識が薄らいだと思った時には、朝日が昇り始めていた。
アクアは、原因を作った彼を恨めしそうに睨んだ。昨晩の不吉な笑みが、目に焼きついて離れない。気配を感じ取ったのか、ユエがふっと振り向く。彼女は呼吸も含め、全身の動きを一瞬全て止めた。
ユエは彼女の視線に気づくと可笑しそうに口元を緩めた。特に何も言わず、すぐに前を向いた。自分とは対照的なその余裕に、アクアは気分がどっと沈むのを感じるのだった。
ああ……本当に早く帰りたい。
日が高く上り、日差しが強くなった頃。一同は残雪の残る山脈の樹海を歩いていた。 昨日とは違って魔物が襲ってくるようなことはなく、彼らは気味が悪いくらい順調に進んでいた。
折角の幸運をそんな風に思うのも、この場所のせいだろう。
この樹海は、木がカーテンとなり、日差しを遮っている。おかげで、昼だと言うのに森は薄暗く、不気味なざわめきが聞こえてくる。それは森に住む魔物のものだ。
木の根元に足を取られながら、アクアは森を進む。ふと、時たま難しい顔で辺りをキョロキョロと、見渡す。ソフィアがそれに気付き、馬上からそっと声をかけた。「どうかしたの?」
アクアはぐるっと辺りを見回し、ユエの方に視線を走らせた。ソフィアに向き直ると、フッと息を吐く。
「うん。まあ、大丈夫かな」
ソフィアはかわいく小首を傾げる。説明を求めるように、アクアのきれいな青い瞳を見つめた。だご、そんな彼女に構わず、アクアは一人で納得したように頷くと、メアの方へと行ってしまった。
ソフィアが眺める先で、アクアは内緒話をするようにメアの耳元へ顔を近づける。そして、ボソボソとなにか囁いた。
メアは目を細め、無言で頷く。そして、アクアが離れると両手でそっと印を結んだ。
我慢が出来なくなったソフィアは身を乗り出した。「ねぇ」そう彼女の唇が動くより、一瞬早く。優しい声が、彼女の意識を絡め取る。
「今日のペースだと、明日には王都に着きますよ」
ソフィアが疲れて身じろきしたのだと思ったファウマが、微笑みながら話しかけてきた。戸惑った彼女が何か言うよりも先に、彼はつらつらと言葉を続ける。
「すみません、ここは馬車が通れるような道や馬で進むには危険な場所が多いので、このような移動手段を用いてしまって。本来ならムーディンの町を迂回したルートで王都に向かうはずだったのですが。数日前に突然の事故により、道が通れなくなってしまったので……」
「へえ~。そうだったんすか」
暇を持て余していたミユがソフィアに代わって相槌を打つ。実は、彼女はずっとこんな危険なルートを選んだことを不思議に思っていたらしく、偶然聞こえてきた話に、興味津々とばかりに話に加わる。
ファウマは微笑みながら、さらに詳しい話を続けようとする。ソフィアは諦めて、話を聞く態勢に入った。
「なんでも、酔っぱらった魔術師の二人組みが深夜に決闘をして、魔術を暴走させたらしい。そのおかげで、道の一部が土砂崩れを起こして、道が塞がってしまったんだ」
「……迷惑な酔っ払い人だなあ」
酔っ払って道を塞ぐなんて、どんな魔術師だ。ミユは呆れたように目を細めた。ソフィアも同感とばかりに、苦笑する。「その魔術師達はどうしたんですか?」
「その町の騎士が捕まえようとしたら、一目散に逃げたそうです」
「え、捕まってないんですか?」ソフィアが驚いたように聞き返す。
「ええ。報告では、逃げ足が速くて捕まえられなかったそうです」
酔っ払っているのに、逃げ足だけは速いって……。ソフィアは今度こそ、本気で呆れたように顔を引きつらせた。そんな大人にはなりたくないわね、本当に。ソフィアもなんとも言えない複雑な顔で微笑んだ。
彼は二人の反応に困ったように笑う。
「まあ、何れは捕まるでしょう……酔いが冷めた頃に」
「えぇ……頑張って下さい」
騎士団って大変なんだなあと、ソフィアは思った。ティルフォンの騎士団は楽そうに見えるけど。と思ったのは内緒だ。
一同が一本の大きな大木の前を通りがかった。その時、馬が警戒するように低く唸る。
ソフィアは不思議そうに馬を見つめると、手を馬の頭に置き、優しく撫でた。
「どうしたのかしら」
「たぶん。この木を恐がったんじゃないですかね?」
レルネが目の前の大木を指差す。大木はわずかな日差しを受けて、おばけのように不気味なものに見えた。
なるほど、確かに恐いわね。木を見上げ、ソフィアも思わず身震いしてしまった。
大木の影は生きているかのようにゆらゆらと動き、全てを飲み込むかのように真っ黒だ。その影を見ていると、自分が闇へと引き釣り込まれるような不安に襲われる。
「不気味だねぇ」滅多に物怖じしないミユが顔を顰めた。余計、ソフィアは不安になる。
そんな彼女の手を、メアが力強く握った。ソフィアはその手を強く握り返す。
かわいいなあ。メアは不安そうに見つめてくるソフィアを母のような目で見つめ返した。守ってあげなきゃ。町を出発した時から決心していたことを、強く思い直した。何があっても、あたしがソフィアを守らなくては。
よしと気合を入れるメアの視界が、一瞬銀色に染まる。ソフィアとの間にヌッと入ってきた人影に、メアは目を細めた。「アクア?」訝しげな彼女に構わず、アクアはソフィアに微笑む。
「ソフィア。この木が恐いならさ、あっちに行こうか」
返事を待たず、アクアは馬の手綱を引く。馬がやや駆け足になり、メアやファウマ達が慌てて付いていく。
「おい、急になんだ!」
遅れないよう、急いで足を動かすカロンが怒鳴り半分で聞く。その目の下の隈が濃くなっていた。昨日もよく眠れなかったのだろう。そんなことを考え、アクアは寝不足人を刺激せぬよう、さらっと答えた。
「なんとなく急ぎたくなったので」
「どんな理由だ! 今すぐ止まれっ」
心掛けは無駄だったようだ。ショボショボする目を擦り、アクアは溜息を吐く。カロンが制止を続けるが、足は止めない。隊列が崩れないように気を付けるが、スピードは落とさない。
段々と大木が遠ざかっていく。アクアはさりげなく、周囲を見渡した。
あちこちで、木のカーテンに隠れた視線と彼女の青い瞳がぶつかる。隠れた視線が揺れる。不味い、気付かれた。青の双眸が、鋭利な刃物のように細まった。
足早に進みながら、ユエは鋭くアクアの背を見つめる。深い深緑の木々が視界の端を流れていく。流れる緑に埋もれる小さな違和感、針のような気配。その双眸が、ハッと見開かれた。
彼らの背後で大木が風に煽られ、静に揺れた。




