36、馬で出かけました。
あの後ソファにあったクッションで、散々シュトレイをぼすぼすと叩いてみたものの、シュトレイは大して苦でもないらしく、腕でガードしながらもくすくすと笑っている始末で。
その態度が一層悔しいやら憎いやら。
お菓子に釣られて、シュトレイの手ずから食べさせられてしまった。
けれど、夕食の時には、やはりあの情景を思い出してしまって、まともに食べられなかった。
野菜と魚を使ったメニューだったけど、忘れようと思う程、フラッシュバックしてしまって、何度かトイレに駆け込んでしまった。
なんで、食べようとした瞬間に思い出してしまうんだろう。
それからは、ご飯と言っても、おかゆの様な物と、サラダ、あとはお菓子位しか口に出来なくて。二日程、そんな食生活をしていた。
それでも、マナーの勉強やらダンスのレッスンがあるわけで。
こんな状態じゃ駄目な事も、分かってる。シュトレイの傍にいるという事は、これからもこういう事があるのだろうし。
でも、罰する方法、本当に他に方法はなかったのかな。日本でだって、死刑がない訳じゃない。そう考えても、堂々巡りだ。
「沙耶。今日は少し、出かけよう」
「え? 出かけるって、何処へ?」
「馬に乗りたがっていただろう? 天気もいいし、見せたい場所もある」
馬と聞いて、思わず『行く!』と言っていた。シュトレイも、私が悩んでいる事とか、あの情景に苦しんでいる事とか、気にしてくれていたのか、笑う事も少なかったけど、そう返答したら嬉しそうに笑った。
私、シュトレイのこの笑顔、好きだなぁ。この笑顔を見ると、何故かうれしくなるんだよね。
あらかじめ伝えていたのか、朝食を摂ると、お弁当が作用意されていた。卵サンドイッチと、フルーツサンドらしい。
あとはドライフルーツケーキにスコーンのようなもの、クッキーもある。世界が変わっても、食の違いってあまりなくてよかった。多少色や形が違ったりは、あるけどね。
大き目のバスケットにそれらを詰め込むと、連れてこられた所は厩舎で。そこでフェイさんが馬を用意していてくれたらしく、馬の手綱を持っていた。
黒毛の馬だけど…この間乗った馬より一回り、いやもっと、大きい気がする。
「今日は二人で乗るからな。あの馬だとすぐに弱ってしまう。だからだよ」
「そ、そういうもの、なの?」
シュトレイに聞けば、馬もいろいろとあるようで。平地の場合と、山道の場合。長距離の場合などなど、利用する土地によって変えているんだとか。
一応、平均的な、なんにでも使えるような馬もあるらしいんだけど、能力的に弱くて、やっぱり向いている馬の方が効率がいいらしい。
シュトレイの手を借りて言われた様に馬に乗るけれど、すごい、視界が高い!
シュトレイも後ろに乗ると、乗る時に持っていてもらったバスケットをフェイさんから受け取った。シュトレイは『行って来る』と言うなり、馬を操って移動し始める。
ゆっくりと、馬が歩く速度だけれど…あれ?
「あの、シュトレイ、フェイさんは、一緒に行かなくていいの?」
「いて欲しいか?」
「そ、そじゃなく、て…だって、フェイさん、シュトレイの言葉を綴る役割があるんでしょう?」
そうだ。だから、ほとんど一緒にいる訳だし。それなのにフェイさんは、『いってらっしゃいませ』と、なんでもない事の様に送り出した。
「確かに、綴る為に傍にいるが、沙耶とデートするには、邪魔になるだろう?」
「で、デート!?」
「そ。デート。まぁ、馬の乗り方も少しは覚えてもらわないとな」
デートと言えば、確かにそうだけど…! そう言われて意識してしまうと、途端にこの状況に落ち着かなくなる。
背中に感じる温もりと、ウエストの辺りにある、馬の手綱へ伸びている腕。バスケットを抱えているから、その腕に私の腕を乗せる様になっていた。
「ふっ、さて、まずは…」
さっきまでの会話なんて何処吹く風。急に馬の乗り方のレッスンへと変わってしまった。
そのおかげか、居心地の悪さなんてすぐに消えて、馬の乗り方を覚えるのに一生懸命になっていた。
「もう大丈夫そうだな。今日の所はこれ位出来ればいい」
そう言われてほっとした。教えられたのは、馬が走る時のタイミングの合わせ方。これが出来ないと、お尻が痛くて速く走らせることができないんだとか。完全に全速力になってしまえばそうでもないらしいんだけどね。
流石に一人で馬を乗りこなす様な事は教えてくれなかったけれど、タイミングの合わせ方は何とかできるようになった。
シュトレイに馬を速く走らせることができないと、目的地に着けないからと脅されたりもしたけど。
タイミングを合わせられるようになると、どんどんと馬の走る速度が上げられていって、最終的にはすごい速度で走ってた。流石に、車とか電車とかとは違うけど、びゅうびゅうと風を切る音とか、馬の足音とか、すごい感動!
そんなこんなで到着した所は、一見すると果樹園のようだ。
「ここ、なの?」
「そうだ。ここはまだ入り口だからな。奥に行くと、庭園もある」
そう言いながら、馬に乗ったまま、ずんずんと木々の間を抜けていってしまう。
「ちょ! いいの? ここ、勝手に入っても?」
「先に触れは出してある。今は繁盛期だから、もてなしは出来ないとも言っていたな。ああ、ほら。あれがここの主人だよ」
シュトレイがそう言って指差したのは、遠くから木々の間を縫うように慌てて走って来た人。四~五十歳位の男性だけれど、ぜぇぜぇと息を切らして傍へと来たその主人。
シュトレイに、降りないと。そう言ったのだけど、その主人にそのままでいいと言われてしまった。
「よ、ようこそ、闘神様、奥様。お待たせしましてすみません」
「いや、気にしなくていい。沙耶」
「えっと、初めまして。よろしくお願いします」
馬の上からなんて、ちょっと偉そうで降りたいんだけど…このご主人にいいと言われたしなぁ。
ご主人は、にこにことうれしそうに笑っている。
「遠くから拝顔させて頂きましたが、このようにお会いできて、光栄です、奥様」
「いえ、そんな」
「ああ、ほら。そんなに卑下するな。で、問題は?」
「いいえ、整地も済んでますし、問題ありません。先代から他の地に咲く花々を収集した場所が増えましたので、まずそちらへご案内します」
「―――いや、その必要はない。温室を拡張した所だろう?」
シュトレイは、そのご主人の言う花々を収集した場所を知っているのか、そう言う。ご主人は驚いたようで、目をまんまるにしている。
「忙しいのだろう? 後はもういい。わざわざすまないな」
「いえ、もったいないお言葉、ありがとうございます」
シュトレイはその言葉を聞くなり、馬首を巡らせて、馬を駆る。
「場所とか大丈夫なの?」
「ああ。”寝て”いる間に少し見たからな」
そ、そんな事寝てる間にしてたのか…と、思わず呆然としてしまった。
寝ている時は、力を振るう事は出来ないけれど、多少なら世界を見て回れるのだとか。そういえば、それで貴族のした事、見てたんだっけ。赤ちゃんの、事も。
起きていれば、力でどうにでも出来ただろうに、それを見ている事しか出来なかったのか。
―――ああ、だめ。また分からなくなる。何を、どうすればいいのか。
「沙耶。ほら、あそこだ」
「え? あ、あれ…!」
嫌な思考に沈んでいたけれど、シュトレイに言われて顔を上げれば、一面黄色くて、背丈のある花―――ひまわりが咲いていた。
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トマトサンド、色が血を連想させるかも?と思ったので、変更しました。
・・・気にしすぎか。