2、バラ風呂ってすごい
やくそく、だよ?
「…ん…?」
なんだか夢を見ていたような。悲しい、夢? 内容も覚えてないのになんで悲しい夢だったと思うんだろう。
そういえば、周りから差し込むのは、朝日だろうか。それともまだお昼過ぎなのか。
「あ。起きた? …なんで、泣いてるの?」
「え?」
思考に沈んでいると、ひょっこりと現れた柔和な女性は、確か託宣の巫女、だっけ。中の人はシュトレイだろうけども。
と、いうことはこの状況が夢だったパターンも潰えた訳だ。そんな事を考えてぼけっとしていたら、顔をしかめて覗き込んで来る。
「ねぇ、どうしたの? なんで泣いてるの?」
ふわりと両手で目尻を撫でられて、その感触から本当に涙が流れているようだし、そういえば視界も滲んでる。
でもなんでだろう。理由なんて分からない。未だぽろぽろと涙が流れているようだけど。
「なんで、だろ?」
「わからないの?」
「うん。…おかしいね」
この状況に思い至らなくて、思わず笑ってしまう。それでも涙が止まらなくて、一層笑いを誘う。
「あは、なんでだろ」
「もう…今沙耶ちゃんを抱きしめる身体がないっていうのに」
「なんでそんなに気にするの?」
「気にするでしょ、普通」
うーん、中の人がその人なら良さそうなものなんだけど、よく分からないや。
「止まらないねぇ…」
「うん、止まらないね」
「お風呂にでも入ってリラックスしておいで」
「うん、そうする」
そう言うと身体を起こすのを手伝ってくれる。身体を起こして気がついたけど、寝ていたベッドがすごく広い。私のシングルベットの三倍? 四倍? お城だからこれが普通なのかな?
ベットから下りると、こっちだよと案内してくれる。着いて歩くけど、やっぱり涙が流れっぱなしだ。
「あはっ…涙腺壊れちゃったのかなぁ」
「それは困っちゃうねぇ。昨日話してる途中で急に眠っちゃったんだよ。急にいろんな事があったからそれのせいかなぁ?」
途中で眠って…? あれ? いつ眠った―――?
考えていたら、着いたのかドアを開けてくれる。
「はい、ここ。ゆっくりしておいで? それでも止まらなかったら、僕の名前呼んで」
「いい、の?」
「うん、もう問題ないよ」
「ありがとう」
うれしくてそうお礼を言って、バスルームへ入る。
装飾やボタンとかが多くて脱ぐのが大変だったけど、どうにか脱いでお風呂場へ入る。
「うわぁ…バラ風呂だぁ…すごい」
ドアを開けた途端に香った香りと、お風呂に浮かんだ真っ赤なバラの花。花びらだけでなく、丸ごと入ってる。テレビとかでしか見た事ないし、体験できるなんて夢にも思わなかったけど。
湯船を汚したくなくて、身体を先に洗ってからバラ風呂を堪能する。
涙は、いつの間にか止まっていた。
あまりにも初めてで珍しいバラ風呂に思わず長湯をしてしまった。ぬるめのお湯だったのも災いした。
脱衣所に上がって身体を拭けば、コンコンと小さくドアをノックされた。
「は、はいっ」
「上がったね。入ってもいい?」
「あっ、まって、まだっ」
「そこにあるバスローブだけ着てくれればいいよ」
そういえば、着替えの類が見つからない。籠に入っていたのはバスタオルと、バスローブだけだ。下着もなくて、心もとない出で立ちだけれど、無い物はしょうがない。
脱いだ服がないのが気になるけど、気にしちゃだめだ、うん。
バスローブを着て、髪もある程度拭うと、ドアを開けて出る。
「残念。名前呼ばれるの、期待したのに」
「え?」
「涙、止まったね?」
「あ、そういえば」
慌てて頬に手を当ててしまう。なんでさっきは止まらなかったんだろう。
「あ、お風呂がすごかったからかも。あんなお風呂初めてですごい楽しかった!」
「そう? 喜んでもらえたようでよかったよ」
促されたのはソファだ。センターテーブルに茶器一式揃って置いてある。座るとポットからお茶を淹れてくれるけれど…ちょっと、この格好では落ち着かない。
「あの、着替えたいんだけど」
「うん、そうしてあげたいのはやまやまなんだけどねぇ。服作らなくちゃいけないから、時間が掛かるよ。それに、昨日からまともな物食べてないよね?」
”昨日” という単語に思わずシュトレイの顔を見てしまう。
「あれからずっと眠ってたってこと? まだ明るかったよね? というか今何時!?」
矢継ぎ早に質問を投げつけると、苦笑された。
「まだ夜が明けたばかりだよ。地球でいうと6時位じゃないかなぁ。昨日は17時前位だったかな」
「う…12時間以上も…」
「だからね、少しは食べられそう?」
特にお腹が空いた感じはしないけれど、少しなら食べられるはずだし、流石に12時間も寝ていたのでは食べたほうが良さそう。それに、お昼休憩を終わって泳ぎに出た所だったから、昼食以降食べてないって事だし。
こくりと肯けば、ちょっと待っててねぇ。と一言言って、キッチンへと行ってしまう。
手伝ったほうがいいのかな?とは思うものの、昨日お湯を沸かした時の事を考えると勝手が違うだろうし、甘える事にしよう。
そうして淹れてくれた紅茶を口にする。うん、ダージリンほど渋くないけどすっきりとした味だ。
僅かに甘い香りがしてきて、何を作ってるんだろうとドキドキしながら待って。
出てきたのはホットケーキだった。すごい、お店みたいに分厚い!こんなのどうやるんだろ?家で作るとどうしてもぺちゃんこになっちゃうのに!
「どうぞ、と言いたい所だけど…毒見させてねぇ」
「やぁだ、毒見だなんて。こんなにおいしそうなのに」
それを言うなら味見だろうと突っ込みを入れれば、僅かに困った顔をしてナイフを入れて切り分ける。
「それが本当だから困っちゃうんだよねぇ…うん、大丈夫みたい。どうぞ。あ、味も保障するよ」
「…いただきます。んーおいしい!」
素直に感想を言えば、やわらかく笑い返してくれる。
―――でも、さっきの言葉は。
「ねぇ、毒、入れられたりするの?」
問いかけてぱくり、と口にして返答を待つけど、笑顔のままで、何も返してくれない。もう一度聞いてみても、ただ微笑んでいるだけで。
「…知らないより、知ってる方が対策できると思う」
「クズのやることなんて、知らなくて良いよ」
「もう、わかったわよぅ」
どうあっても言いたくないと、そういうことなんだな。でも、これだけでも何かしら狙われる事があると言う事が分かった訳だけど。
でも、神の器をどうにかするって、いいのかな。地球では確かに信仰はあるけど、実体なんてないし、祟りなんて気のせいで済んじゃう場合もあるけど、ここでは実体があるような事を言ってたし。
そんな神様を怒らせるかもしれない事をやる人いるのかねぇ。
考えながら食べていたけれど、ずっと柔らかな微笑みを浮かべてこちらを見ている。
「あれ? 食べないの?」
最初に毒見と言って一切れ口にしただけで、取り皿に取るわけでもなく、ただこちらを見ている事に気がついた。
「神だからね、基本食べなくても問題ないよ。しかも今は実体がないからねぇ」
やっぱりそんな神様仕様もあるんだ。でも、実体がないて事は、他に何かしら出来ない事とかあるのかな?
と、そこまで考えて、実体ってどんな造形なんだろうと気になった。
やっぱり当日にならないと現れないんだろうか。写真とか絵とかないかな。やっぱり恋する乙女としては多少気になる。
闘神って事は、筋肉マッチョの線が濃厚。でも、話し方が随分柔らかいと言うか、子供っぽいと言うか、始終こんな感じだからイメージが掴めないんだよね。
「あの、二週間後に起きるんだよね?」
「そうだね」
「今の状態が良く分からないんだけど、いきなり実体化したりするの?」
「あ、そっか。沙耶ちゃんは知らないもんね。後で連れてってあげる」
「どこ?」
「僕が眠ってる所。たぶん見たほうが早いよ。」
眠って? ということは本体があるのかな?でも千年眠ってるわけだから、どんな形状なんだろう。
そんな事を考えながらホットケーキを口に運ぶ。
食べ終わって片付けると、ソファに戻ってきたシュトレイが困ったような顔をする。
「うーん、やっぱりこの託宣の巫女じゃ無理かぁ。しょうがないなぁ」
ぶつぶつとなにやら文句を言っているけれど、どうしようもなくてただ黙って様子を伺う。
「沙耶ちゃんの身体、借りるね?」
「え?あ、はい。」
条件反射でそう答えると、次の瞬間にはあの感覚―――自分の感覚が鈍ったかのような、そんな感覚がする。
だけれど、聞こえた悲鳴にびっくりしてしまう。
「ひいっ、ぅぐ、あ、あぁぁ!」
(な、なに、どうしたの?)
つ、と先程シュトレイが入っていたであろう、託宣の巫女が座っていた方に視線が動いたけれどそこには居ず・・・ソファの下に蹲っていた。
身体を丸めて額を床に着けているから表情は見えないけど、身体を抱きしめている手が震えていて。
「あぁ、やっぱり。その程度かぁ。これじゃぁしばらく使い物にならないなぁ」
(辛そうなんだけど、大丈夫なの? ソファに座らせてあげたら…)
「この巫女の精度が低い事が原因だからねぇ。命に問題ないよ。んー今日はドレスにしよっか?」
のんきな声でそんな事をいうけれど、未だに聞こえる呻き声が気になってしょうがない。
それに、苦しんでる人を無視出来るほど冷たくない、と思ってる。
(ちょっと、あの人どうにかしてあげてよ。医者呼ぶとか、せめてソファに座らせてあげてよ)
「それはそうだけど、今沙耶ちゃんこんな格好だよ?で、ドレスでいいよね?」
(う…うん)
確かに、今はバスローブだけどっ!なんでこんなのんきなんだろう。早くどうにかしてあげたくて落ち着かないというのに。
そして、気がつけばふんわりとした水色のスカートが見える。またいつの間にか変わっていたようだ。
「ベルは何処かなぁ…ここにないって事は、こっちかなぁ。あ、あった」
センターテーブルの下の僅かな物置を見てみたり、机に行ってみたり何をしているのかと思っていたら、机の上に置いてあるベルを取って鳴らす。
ちりん、と音が鳴るかと思ったら、何も音がしなかった。
(え?)
「ん? どうかした?」
コンコンコン と、ノックがする。シュトレイが入室を許可すると入ってきたメイドさん。
「いかがしましたか?」
(え、なんでメイドさんが来たの!?)
「なんでって、呼んだからだよ?」
(どうやって!?)
「今ベル鳴らしたし?」
(でも音しなかったじゃない!)
「あーそれねぇ、ちょっと特殊なんだよ。一対のベルでね、片方鳴らすと、もう片方が音を出すんだよ。だから、侍女の部屋に置いてあるベルが鳴ったから、侍女が来た。オッケー?」
う、よく分からないけど、携帯みたいなものかな。通話はしてないけど。
そう納得して、オッケーと返せば。シュトレイが、ソファの陰になってる託宣の巫女を指差す。
「そこに居る託宣の巫女、今日、明日使えないから引き取りに来させてねぇ。ついでに託宣の巫女全員見てみたいからそこに行ってみたいんだけど」
「…確認してもよろしいでしょうか」
「いいよ。目障りだし、持っていって」
その言い分に、ぞくりとした。気遣いもない、まるで壊れた物を扱うような言い方に。
そういえば、さっきも蹲る託宣の巫女を見ても特に心配するそぶりもみせなかった。そういえばその時彼は何と言ったか。
そうだ、【使い物にならない】と言った―――
そんな、見下した言い方をするとは思わなかった。だって、私には、とても優しい…
―――優しくない
優しかった。
―――じゃあ、あの目は何
あ、の―――
「沙耶ちゃん? どうかしたの?」
(え? …ううん、なんでも、ない)
「そう? 何か分からない事あれば答えるけど?」
(大丈夫。ありがとう)
いつの間にソファに座っていたのか分からないけれど。託宣の巫女も運び出されたようで、もういない。
闘神だから、なのか、神様だから、なのか分からないけれど、考え方が違うのかもしれない。
それに慣れるべきか、こちらの考えや感情を分かってもらえるように言うべきか。
―――それじゃあまるで子供のお守りだ。
そんな事に考え付いて、しょんぼりとしてしまう。
「くすくす…ほんと、未来が楽しみだよ」
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