消えてしまう、
「故郷に、大切な人がいますか?」
月の光すらも届かない深く暗い森の中、俺達は息を潜めるようにしてそこにいた。
どちらが勝つとも負けるともしれない隣国との戦いが、もう数十年続いていた。
ただただ、お互いを疲弊させるだけの戦い。
そんな戦いの中に、俺達は国の理不尽な命令によって放り込まれたのだ。
徴集された民間人達に命じられたのは、4人でチームを作り、敵軍兵に奇襲を仕掛けること。
奇襲隊と呼べば聞こえはいいが、いってしまえば捨て駒部隊。
逃げた者は処刑、生き残っても――欠員を補って、再び戦場へと逆戻りだ。
実際に逃げようとした何人かの男達は、俺達の目の前で射殺された。
後者の言葉については確証がないが、軍人達がそう言っていたからそうなるのだろう。
民を守るべき国が、民を殺す。
―――これは一体、何のための戦なのだろうか。
そうして、チームを組まされ戦場に放りこまれて早三日だ。
持たされたのは食料が少々と、各々に爆弾1つと剣とはお世辞にはいえないナイフ。
食料を持たされたとはいえ、それは成人男性4人の腹を満たすには5日ともたないほんの少量だ。
俺達は逃げることも止まることもできずに、進んでいた。
夜は見張りも兼ねて半数ずつの交替で寝たが、それでも戦場にいるという緊張と地べたに直接寝るという寝心地の悪さ、そして空腹感から質のよい睡眠はとれない。
日が落ちる前に見たメンバーの顔触れには、どれも疲労の色が浮かんでいたように思う。
最初に俺ともう1人――優男といえるほど線の細い、大凡戦場には似つかわしくない男が共に仮眠をとり、交替を果たした後、しばらくしてその男が冒頭の言葉を呟いた。
他2人は寝ているから、俺に呟いた言葉だろうと思って顔をあげるが、男の顔はこちらを見ていない。
生憎と月の光は届かないが、闇夜に慣れた目で男が何をしているのかを見ることはできた。
配布されたナイフで手持無沙汰に木の枝を鋭く削っていく自分の手をつまらなさそうに見つめていた。
鋭く、鋭く、そして細く。
針のようにも見えるそれを一通り削った後は、今度は別の枝を削り出す。
森の中だ、木の枝など幾らでもあった。
別の枝をとる一瞬の間の時、男がちらりとこちらを見た。
「…いないんですか?」
「いるさ」
可笑しそうに歪んだその表情に、返す言葉は思いのほか強い口調になってしまった。
これでは意地を張った子供のようだ。
男は返答が不満だったのか、薄ら笑いを浮かべながらも「ふぅん、」と小さく気だるげに呟くと、手元に視線を落とした。
その動作につられて、男の長い髪がするりと男の手元を邪魔する形で落ちたのを男は鬱陶しげに払いあげて、再び作業を再開する。
「…お前は?」
問いかけに、反応はない。
ナイフで木の枝を削る音だけが、その場に響いた。
ショリ、ショリ、ショリ…
そうして返答を諦めたその時、「いますよ」と男の静かな声が耳に届く。
どうやら先程の問いの返答らしい。
「生憎と、私は嫌われているようですけれど」
ぽつり、続けられた言葉は、不思議なほど無感情だ。
ちらりと表情を窺っても、どこにも悲しみの色は見えない。
「ところで…貴方の大切な人というのはご家族で?」
「いや、家族もだけど…恋人もな」
「へぇ」
いちいち相槌にこちらに対する興味が感じられないのは気のせいだろうか。
普段ならば気にすることもないそれが、気に障った。
「お前なぁ、」と荒げた声は、「逃げればいいじゃないですか」という男の言葉に遮られた。
「今なら逃げられますよ」
流石に全員は無理でしょうが、貴方一人くらいならば。
告げられた言葉に、思わず息を飲んで周りを見回した。
嗚呼、嗚呼。
確かに、その通りだった。
見張りの兵もいない。
隣国の人間が街に逃げ込んできたこともある。
―――どこかに、抜け道があるのだ。
こうして、此処にいて。
こんな、こんな国の為に無駄死にするくらいならば―――。
立ち上がった俺の背に、「行くのなら、爆弾はおいていってくださいね」と声がかかる。
踏み出そうとした足を止め、「そうだ、お前らも逃げようぜ!」と手近な1人を起こそうと方向を変えるが、男に止められた。
「言ったでしょう?逃げられるとしたら、貴方1人の場合だけです。全員は、」
無理です、と聞き分けのない子供を諭すような口調で男は言う。
全員が戻れるほどの食料はないし、何より人数は少ないほうが見つかりにくいと、男は静かに正論を口にする。
男の言っている言葉は、全て正論だった。
けれど、―――納得できる、はずもない。
「だが、こんな所にいても無駄死にするだけだろう!」
叫びに、今まで寝ていた2人が飛び起きて辺りを見回す。
そんな2人に向けて、「お前達も死にたくないだろう!?」と叫んだが、それだけで2人は状況を察したらしい。
「なんだ、お前もう言っちまったのか」
白髪混じりの男の方が優男風の男に向かって確認する。
「早いほうがいいかと思いまして、」という優男風の男に、熊のように髭をはやした男が「そりゃ違う」と返した。
「遅ければ遅いほどいいんだ。まともな判断力なんざ残ってねえからな」
どうせ残しとく食料分は手ぇつけねぇって決めてんだ。
そう笑い合う2人はどう考えても、優男風の男の考えに同意しているようだった。
「なんで…ッ」
ぎり、と唇を噛み締めると、白髪混じりの男は後頭部をかき、そうして真面目な表情になった。
「いいか、坊主」男はそう前置く。
「お前は―――まだ、若い。……まあ、そっちのそいつも若いがな」
白髪混じりの男はちらりと優男風の男を一瞥した。
「そんでもって、お前には帰りを待つ奴が故郷にいる」
「俺達にゃ、待つ人もいないんでなぁ」
へらり、熊のような男が情けない顔で笑った。
妻には先立たれ、子はないのだと白髪混じりの男がそう言った。
もとより独り身で、親や兄弟はこの戦いで既に亡くなっていると熊のような男がそう言った。
優男風の男が俺の前に食料の入った袋を差し出して、微笑んだ。
俺はその腕をつかみ、縋り付くように口を開く。
「お前には…っお前にも、帰りを待つ奴はいるんだろう!?」
ふるり、優男風の男はただ首を振る。
「言ったでしょう、嫌われているのだと。残念ながら、私に『生きていてよかった』と言ってくれるような人はいないんです」
「親は!」
「幼い頃に、私を捨てました」
「育ててくれた人は!」
「いつでも私は厄介者扱いです」
「大切な、人は…」
「『ようやく居なくなるのか』と、初めて微笑んでくれました」
彼の腕を掴んでいた俺の手は、力なく落ちた。
俺は気づけば、戦いの外にいた。
食料の入った袋と、剣とはお世辞にも言えないナイフを持って。
爆弾はなぜか手元にはなかった。
もしかしたら彼らに渡したのかもしれないが、わからない。
あそこからどうやってここまで来たのか、記憶にはない。
ただ只管、彼らの顔が、言葉が脳裏に浮かぶ。
俺達は死にたくはないけれど。
それでも、どうしても生きたいとも思えないのだと。
そう複雑そうに呟いた男達。
思えば、俺はあの3人の名も知らないままだった。