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9 寵妃の出現

 闇帝が月の室で一夜を明かし、珪心に促されるまで女を離さず、寝台を降りなかった。


 この事実は瞬く間に後宮に広がった。


 同じ夜、他の室で残虐な殺戮が起きていたこともまた、後宮の誰もが知ることであっただろうに。

 闇帝が女の傍らで朝を迎えたことが、一人の妃の胸に墓標の如く剣が立てられていたことよりも人々の関心を引くのだというそれが、この後宮と呼ばれる場所の異常さを知らしめているようで、彩華は誰に知れぬよう一人身震いした。


 ここは嫌いだった。

 出たい、と願わずにはいられなかった。

 それが叶わぬこととは知りながら。

 光の方を諭しながら、何よりもそう願うのは彩華の方に違いなかった。



 二晩目。

 陽が落ち切らぬ内に、その方はふらりと現れた。

 まだ、寝支度を終えていなかったことにあたふたとしたのは鈴風だけで、彩華はそれを横目にその日何度目とも知れぬため息をひとつ零して、その来訪を快くは思っていないことを露わにする。

「もう少し、嬉しそうな顔をして欲しいものだが」

 闇帝は面白そうに言いながら、ソファに座ったまま王を迎え入れる意志のない事を隠さない彩華へと近付いて来る。

 森に棲む獣のようだ。

 静かで重厚な王の動きを、彩華はそう思う。

 こちらが無力な、獲物にもなり得ぬ小物と分かっていれば、このように優雅に静かに振舞うも、一たび敵意を向ければ、すぐさま牙を剥いてとどめを刺すのだろう。

 昨晩の哀れな妃のように。

 物言わず身動きもせず、ただ王の動きを視線で追うだけの彩華を鷹揚に受け止めながら、闇帝は傍らに腰を降ろした。

「顔色が優れんな」

 抑揚のない言葉と無表情。

 だが、武骨な指が、思いがけなくそっと頬に触れてきて、彩華は僅かに肩を揺らした。

 闇帝は、じっと彩華を探るように見つめながら、手のひらで頬を覆った。

 男の手は彩華の顔を包んで余りあるほどに大きい。

 彩華が求める、か細い小さな手。

 彩華が拒んだ、美しい手。

 それらを凌駕する存在感を誇示しながら、気遣うかのように肌を撫でる。

「朝から騒がしく、うんざりしております」

 顔を背けてまやかしの優しさを退けようとすれば、強引に指が追ってきて顎を捕えられた。

 力では敵う筈もない。

 有無を言わさず闇帝へと顔を上げさせられて、彩華は仕方なく促されるままに男の端正な面を見つめた。

「陛下のおっしゃるとおり、部屋に籠っておりましたのに……少しも静かではありませんでした」

 聞きようによっては、甘えにも聞こえるであろう恨み言を口にした。

 顎を掴んでいた指が離れていく。

 と、それは彩華の腰を抱く腕に変化し、強い力で闇帝の胸元に引き込まれた。

「こうして俺に愛でられる以上、それは仕方ないことと諦めるんだな」

 彩華は、もう一度ため息をついた。

 鈴風がそこにいることを意識しながら、身体の力を緩めて、闇帝に身を任せる。

 闇帝の腕に更に力が篭り、彩華は男の膝へと抱き上げられた。

 包み込まれるかの如く抱きしめられて。

 密着する身体は、いくら無関心を装おうとしても、強張ることは止められなかった。

「明日になれば……もっと、騒がしくなる」

 たった一晩だ。

 闇帝がここで過ごしたのは、たった一晩なのに。

 今日一日で、一体何人の貴人や側人が、この月の室に挨拶に訪れただろう。

 そして、男の言葉は、今晩もここで過ごす心づもりであることを示している。

 明日には、今日以上の人々が狂騒するというのか。

 男の言うとおり仕方ないこととは思っても、その状況を思い浮かべるだけで憂鬱になった。

「誰がご機嫌伺いに参上しようと気に留めるな……お前が煩わされる程の事は何もない」

 演じていると分かっていながらも、その声音は彩華を真に想うかのように優しげだ。

 解き下ろされている髪を梳く指先も、驚く程に丁寧だった。

 彩華は、闇帝の胸元から、身を離した。

 膝に座っても、なお上にある男の面を見やれば、これも思いがけず静かで柔らかな瞳が彩華を見つめていた。

 だが、彩華はその瞳が命じるのを見逃さなかった。

「陛下がこちらにいらっしゃらなければ静かになります」

 王の命令に従って、意識的に声音に甘えを含ませた。

 そうして、自ら闇帝の胸元に身を寄せる。

 どうすれば、闇帝の寵愛を受け入れたように見えるのか、正直分からない。

 そう見えるように、と願いながら、大きな身体に縋るようにして背に手を回す。

「……もう、いらっしゃらないで下さい」

 裏腹に呟けば。

 背がしなるほどに、抱きしめられて。

「無理を言うな」

 闇帝が囁く。

 そして、ふわりと彩華は抱き上げられた。

 歩き始める闇帝が寝台に向かって歩き出す。

 広い肩のその向こうに、深々と頭を下げて、部屋を出ていく鈴風が見えた。

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