28 暴かれる花
R15程度の描写があります。
それぞれが、それぞれの行き先を見つけ、進み始めているのだろう。
彩華だけだ。
彩華だけが、進むべき先が見えていない。
だが、これだけは分かっていた。
終わらせなければいけない。
だが、同時に気が付いている。
終わらせられない。
このままでは。
溢れた想いが。
罪の意識が。
重苦しく伸し掛かり、そして、守るべきものを失った彩華はただ立っていることさえままならない。
このまま、ここで朽ち果てることができたなら、罪も想いも土に還してしまえたなら。
ズルリ、と己が崩れる幻影を見る。
だが。
「……いつまでそうしているつもりだ?」
突如、腕を捕まれ、意識ごとを引き上げられた。
彩華の身を飲み込まんとする闇を一瞬にして払ったのは、やはり闇の支配者で。
どうして放っておいてくれないのか。
そう思いながら、まだこの王に忘れ去られてはいないと。
これは安堵だろうか。
「華」
俯いたままの彩華に焦れた風でもなく名を呼び、気配で目の前に男が膝をついたであろうと察する。
「華」
再び名を呼ばれ、続けざまにぐっと顎を持ち上げられて顔を上げれば、無表情が己を見下ろしていた。
遥かなる青空を映し取った瞳が、あるはずのない陰を含んで彩華を見据える。
やがて、呟かれるように告げられた言葉を彩華は理解できなかった。
「お前は珪心には微笑むのだな」
何を言っているのだろう。
笑みなど、忘れてしまった。
彩華の心は悔恨と侮蔑に塗れ、ただただ沈むばかりだ。
それでも、この王が言うならば。
己は先ほど微笑んでいたのだろうか。
故なき罪に捕らわれる男を少しでも救わんと、微かなりとも笑みを浮かべることができたのだろうか。
それがあの珪心の心に伸し掛かる重しを僅かなリにも取り除いたのならば。
そんなことを思う彩華に、闇帝の低い声が言葉を続ける。
「……お前は珪心には抱かれたのだったな」
抱かれた、というそれに彩華の体が微かに強張った。
彩華に触れる闇帝の指先にそれは伝わっただろうか。
視線の先にあるその表情は、やはり無のまま何一つ動きはしない。
「……俺には許さぬその身を許し、俺には見せぬ笑みを……珪心には見せるのか」
ぞっとするような低い低い独白のような響き。
顎を掴む掌が離れ、囚われていた腕が解放されて、彩華はその場に再びフラリと崩れかける。
だが、次の瞬間には身が宙に浮いていた。
まるで幼子のように闇帝の左腕に抱き上げられているのだと気が付くのと、闇帝が一歩と踏み出すのは同時だった。
無言のまま男は歩みを進め、彩華もまた言葉を発することを許される空気もなく。
許されたとして、伝える想いもなく。
もう何度目になるのかも分からぬままに、ただ、大人しく男に抱かれていた。
闇帝はバルコニーから部屋へ入り、迷いなく彩華を寝台へと運ぶ。
静かに寝台に降ろされて。
「……華」
声の色が変わったことに気が付く。
身が強張るのを止めようもなく、恐る恐る見上げた先には青空の瞳を昏く沈ませた男が彩華を見ていた。
知らないような。
知っているような。
彩華は我知らず、ユルユルと首を振るいながら、シーツの上で身じろいだ。
「逃げるな」
逃げている、のか。
どうして、逃げる必要があるのか。
頭のどこかでそんな風に自らに問いながら。
無意識の中、彩華は命令に首を振り続ける。
「逃がさん」
言うなり、王は荒々しい仕草で、自身の上衣を脱ぎ捨てた。
バサバサと衣擦れの音を響かせて、男は自らの身を晒していく。
動きに合わせて盛り上がる筋肉が、何かを予告するように上気していた。
数えきれぬ程に描かれた傷を歪ませながら、闇帝が寝台へと膝をつく。
「……陛下?」
ようやく紡げた単語はそれのみだった。
弱々しく掠れる声に、表情を変えない男の肩がほんの少し揺れる。
そして。
「脱げ」
荒ぶることもなく、静かに告げられる。
過去にも、命じられたことがあっただろうか。
その頃の、彩華ならば、なんと言ってそれを拒んだだろうか。
思い出せないままに、ただ首を振う。
とんと背中に何かが当たり、それ以上後ずさることができないことを、彩華は知った。
無造作に闇帝の腕が伸びる。
あまりにもあっけなく彩華は捕われ、その胸元に抱き寄せられた。
それは、明らかに違っていた。
今までと。
触れる唇を彩華の肌は知っている。
標を残していく瞬間の痛みも、そこに含まれる甘さも。
知っているのに、それは、違う。
ただ、乱暴さは僅かにもない。
指先や唇の執拗さは、彩華の身をとろけさせることだけに専念するかのような。
彩華のか細い声は、拒否を乗せながら、やがては隠し切れない甘さを含んだ。
だが、その瞬間。
彩華は、抑えきれない悲鳴を上げた。
知らない灼熱。
知らない痛み。
彩華の虚構を崩すには、十分な衝撃だった。
あまりに悲痛なそれに闇帝の動きが止まる。
「華?」
明らかに不審を含む声。
彩華はただただ首を振り続けた。
体を芯から焼き尽くす、男の楔。
だが、それよりも、心が衝撃を受け止めきれない。
これが、男を受け入れるということなのだと。
己が珪心に仕掛けた罠の先には本来この痛みがあったのだ、と。
目元が熱い。
多分、涙が零れているのだろう。
だが、それを拭うこともできないほどに、彩華の身がこわばり、ただただ男の無体に晒された。
「……お前……」
もう、手遅れだとは分かっている。
闇帝は深々と彩華を貫いている。
「……お許し……くだ……っ……」
何に対しての詫びなのか。
それをすべて言うことも許されず、闇帝が動き出す。
決して逃がさないという意図を知らしめるように、深く深く沈められて。
彩華の言葉は甘さを含む悲鳴に変わった。
幾度と許しを請う彩華は決して許されず、それでも身を解放されたのは、既に夜が明けきり、まもなく鈴風が現れるであろう時を鐘が知らせてからだった。
涙も声も、もうなにも零れない屍のような彩華の身を、闇帝が昨晩乱暴に奪った衣で包む。
自らも身を整えて、寝台に腰かけて彩華を見下ろしてくる男は、乱れて頬に筋を描く茶色の髪を指先で梳く。
それは昨晩、幾度も彩華の肌を辿った感触だった。
言葉なく、ただ、見つめる先で、闇帝の視線が彩華を辿っていく。
やがて、眉が一瞬寄せられた。
そして、おもむろに傍らにあった花器を床へと払い落した。
陶器の割れる音がするのを、彩華は朦朧とする意識の中で聞いた。
彩華の視界で、闇帝は割れた陶器の破片を一つ手に取ると無造作に手のひらを切りつける。
そして、シーツの上へと、滴を垂らした。
そのすべてを視界に納めながら、しかし、彩華にその意味は分からない。
もう何も。
「お前とは話をしなければならん」
やがて、王は、その王にしては珍しくも吐息のような声で呟いた。
その言葉の意味も。
その声が含む思いも。
何も考えたくなくて、彩華はそっと瞼を伏せた。