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24 混乱の夜

 一人で過ごす夜は、さほど多くない。

 むしろ、そんな夜は稀である、と言っても過言ではないのかもしれない。

 王は、彩華を正妃としてこの部屋に住まわせてから、ほとんど毎晩のようにここに現れるのだから。

 日が落ち切らぬという頃に現れ、夕食を共にする事も少なくはない。酒を嗜みながら、彩華に一日何をしていたのか、と尋ねたりきたりもする。

 既に寝台に横たわる深夜に戻る事も珍しくはない。

 深い眠りなど忘れてしまった彩華が気配に目覚めれば、何も言わずに寝台へと入り込み、当然のように彩華を抱き寄せて、そして、瞳を伏せるのだ。

 そんな積み重ねは数えきれない程に。

 折を見ては、光の方の事を出す事もなく、ただ後宮へ、と促してもみた。

 少しばかりの不機嫌さでそれをかわし、王はやはりここに姿を現す。

 さすがに、彩華に月の障りがある夜は、夕月も言葉を添えたようだが、それでも闇帝は聞く耳を持つ事なく、結局この部屋で、彩華と寝台を共にして朝を迎えた。

 この国の重鎮達は、この状況をどう思っているのか。

 宮廷の人々は?

 後宮の女性達は?

 気にならないと言えば嘘になるが、王を止める術は彩華にこそないのだ。

 それらは、全て王の謀なのだろうから。

 ただ、従い、受け入れるしかない。

 そして、王と過ごす事は決して苦痛ではなかった。

 王の尋ねに答える事も。

 饒舌ではない王が、低く落ち着いた声で語るのを聞くのも。

 指先が、頬や髪に触れる事さえ慣れて。

 執心の証とやらを肌に刻まれる時には、初めての時と変わらず、持て余す感情や情欲がある事は否めないけれど。

 一人の夜には、物悲しさを覚える程に。

 何故か胸の痛みを覚える程に。

 慣れてしまったのだと。


 そう、これは慣れだ。


 一人は誰だって寂しい。

 それだけだ。



 誰に知れる事のない物思いを、しかしながら、罪悪感にも似た感情に急かされて追い払った彩華の視界に鮮やかな色彩が入り込んでくる。

 結局、手元に置いた織物。

 そっと触れてみれば、記憶にあるものの比ではない、極上の手触り。

 それでも、懐かしさを消し去ってしまう程ではない。

 きれいに折りたたんであるそれを、寝台の上に丁寧に広げていけば、単調だった寝具の上に、鮮やかな花が咲き誇る。

 その一つ一つを確かめるように、ゆっくりと指先を滑らせていく。

 その指先が止まったのは、小さな花の模様。

 これを手元に置く事を、彩華に決めさせた小さな小さな儚いまでの花だ。

 誰に憚る事なく、食い入るように見つめて。

 ああ、やはり。

 間違いはない。

 確信を得る。

 誰も描こうとは思わないであろう月待草をモチーフにしたそれは、彩華がかの地で、かの娘と相談して描いた模様だった。

 先ほど、確認した一つから、離れた所にもう一つ。

 他の模様の邪魔をせぬよう、だが、その存在が消え失せてしまわぬように。

 絶妙な配置で散らしてある花を愛でながら、彩華の指は布の縁へと辿り着く。

 これをあの娘が描いたのだとしたら。

 いいや、全てとはもちろん思ってはいない。

 一つでも、二つでも。

 彩華に、その存在が健在である事を知らせるために、娘自身の手によって刺し込まれたのだとしたら。

 彩華の胸は高鳴る。

 まだ、あるだろうか。

 隅々までも見事な刺繍が施してあるのに、今やそれらには目もくれず、たった一種類の模様を探していく。

 縁どりにも幾つか、望む花が散らされていた。

 それらも丁寧に辿って。

 ふと。

 違和感を感じて、その指先を止めた。

 なんだろう。 

 彩華はそこをもう一度撫でる。

 今度は明らかに感じる。一か所だけ不自然に盛り上がっている場所があった。

 織物自体、刺繍により凹凸が激しいのだから、普通ならば気がつかない程度の厚みかもしれない。

 だが、彩華は気がついた。

 何故なら。

 盛り上がるそこにも、可憐な月待草が咲いている。

 彩華は織物から一端離れ、裁縫道具の中からハサミを取りだして戻る。 

 コクリ、と自分の喉が鳴った事に気がつきながら、そこに刃先を当てた。

 指先が震えるのを抑える術もないままに、違和感を覚えたその場所をほぐしていく。

 花を傷つけないように。

 でも、心が焦って、周りの織目を激しく乱した。

 やがて、そこに白い物が見えて、彩華はほつれる糸ももどかしく、いささか乱暴にそれを取りだした。

 それは小さな紙を細い筒状に巻いたものだった。

 妙な胸騒ぎがする。

 何故、高鳴りではないのか。

 ドクドクと脈打つ己の鼓動がうるさい。

 彩華はそっと筒を開いて伸ばした。

 ばらばらと数本落ちてきたのは……。

「……っ……」

 声を殺す。

 指先の震えが全身に広がっていく。

 何?

 慌てて、彩華が拾い上げれば、その瞬間にそれは脆くも細かく砕けていった。

 髪の毛だ。

 ぞっと背筋が凍る。

 これは何?

 金の髪。

 いや、違う。

 ところどころの茶色が、多分本来の色。

 それが、色あせて、華々しさのない金色になり果てている。

 身体がガクガクと震える。

 愕然としながらも、広げた紙に視線を落とせば。

「……嘘」

 呟いたそれが己のものとも知らず。

 今しがた読んだばかりのそれをもう一度読み直す。


 彩華様


 そう始まる手紙。

 間違いなく、それは自分の名。

 だが、書かれているのは。


「……嘘、でしょう?」


 信じられない。信じたくない。

 だが、小さな紙には書ききれないとばかりに、細かに綴られているそれが、書き手の必死さを伝えるようで。

 本当なのか。

 これが、真実だというなら。


 どうして、私はここにいるの?


「お待ち下さい!」

 突如、慌てたような声が聞こえ、俄かに扉の外が騒がしくなる。

 彩華は、無意識にも小さな書簡を手のひらに握りしめて隠した。

「正妃様! 正妃様!!」

 扉の向こうから、切羽詰まった叫び声が聞こえてくる。

 だが。


 誰?

 誰を呼んでいるの?

 分からない。

 正妃様、なんて知らない。

 私は、彩華だ。


 違う。

 正妃は私。

 大事な大事な宝を守るために、名を捨てて、その地位を得たのだ。

 その筈なのに。


「……どうして?」

 呟いたそれが己のものなのか。

「正妃様! お助け下さい!」

 助けて。

 そう願ったのは、私の方だ。

 そう願い、それを叶えるために。

 そして、叶ったと。

 そう信じていたのに。

 あの王はそう言ったではないか。

 元気だと。

 そう、言ったのに!


「お待ち下さい!」

 誰かが、何かを止めている。

 だが、もうそんな事はどうでも良い。

 だって、あの娘は、もう……。

 ふと、意識が遠のく。

 このまま、この場に倒れてしまえば、楽になれるのだろうか。

 目覚めれば、そこは名無しの国などではなく。

 望む場所で。

 望む人がそこにいて。

 そう思うのに。

 ふと浮かんだのは、光を放つ闇の王。

 あの男が夢幻である筈がないとでもいうように、彩華の意識を繋ぎとめる。


「失礼致します! 正妃様に至急お目通り願います!」

 激しい音がして、勢い良く扉が開け放たれる。

 彩華は、ゆるゆるとそちらへと目を向けた。

 髪を振り乱し、扉に寄りかかるようにして立つ、二人の女。知らない……いや、見た事があるだろうか。

 その背後には、慌てた様子の見慣れた女。名はなんと言っただろうか。

 分からない。

「お助け下さいまし!」

 女は転がるようにして彩華の元に駆け寄ると、跪きドレスの裾に縋った。

 助ける?

 誰を?

 あの娘を助けられなかった私に、何が救えると言うのか。 

「お願いです!……光の方様が!」

 光の方様!

 眩いばかりの光の姫君。

 そこに、己が陥れた男が過ぎり……そして、彩華を見据える王が再び現れて。

 彩華の意識を覆う靄が一瞬にして晴れる。

 彩華は、はっとして握っていた書簡を更に握って、手のひらにしまい込んだ。

「光の方様が!!」

 彩華の足元に二人の女性。

 以前、光の方の側に控えていた侍女だと気がつく。

 扉を見遣れば、鈴風が訳が分からないという様子で、唖然としている。

 彩華は身を屈めて、侍女に視線を合わせた。

「……どうしました?」

 己の動揺を押し殺し、彩華以上に視線も呼吸も落ち着かない女性に声をかける。

「光の方様が! どうして、このような……」

「……どうすれば……私どもは何も……」

「お助け下さいまし!」

 侍女達の言う事は、まったく要領を得ない。

 だが、真っ蒼な顔の侍女に、何かが起きたのだとは嫌でも分かった。

 光の方。恋を奪われた姫君。

 嘆き悲しみ、打ちひしがれ……いったい、彼女に何が起きたのか。

 今しがた知らされた悲劇に、光の方の姿が重なる。

 クラリ、と目の前の景色が揺らいだ。

 だめだ。

 しっかりしなくては。

 例え、ここにいる意味を失ったのだとしても、私はまだ、正妃という座にいて、救いを求められているのだ。

 彩華は自らを叱咤し、震える足を進め始めた。

 まだ、意識を失う訳にはいかない。

 何が起きていたとしても。

 これから、何が起きるのだとしても。

 それらは全て己が引き起こした事態には違いない。

 己の願いが。

 己の望みが。

 罪のない方々を巻き込み、壊したのだとしたら。

 ならば、この手で、その始末をつけなければ。

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