第31話 別れの言葉
雨は一層強くなり、景色も水の幕で少しぼやけて見える。
この天候のように、二人を包み込む雰囲気は重い。
「……それって、どっちの正人の答え?」
美国は正人に視線を合わせず、外の景色を見ながら聞いた。
正人は唇を噛み締めながら「……俺の……答えだよ」と言った。
「そう……」
美国はたった一言だけ返事をした。正人から美国の表情は見えない。
この答えを境にまた重い空気が流れる。再び雨音と無機質なワイパーの音だけが車内に響く。
この沈黙が正人にとって、恐ろしく長く感じた。
震える体、かすれる声、全ての感情を抑え、それでも正人は全てを話さなければならない。
正人は、もう一度唇を噛み、覚悟を決めると、ゆっくりと美国に話し始めた。
「あのさ……俺の変化のこと知ってるでしょ」
「うん……」
「易者が言うにはさ。あれも、俺なんだ。……俺の理想と願望をかたどった姿」
「うん……」
「その理想の自分の中に、美国の姿がないんだ……」
「うん……」
「あの俺じゃ、美国を幸せにできない」
正人は一つ一つ丁寧に、今まで起こった現象について話した。
この現象の原因は、未だによくわからないこと。
しかし一度起きると、本人はもちろん、誰にも止めることができないこと。
自分ですら納得いかない部分が多々あるが、
美国は何一つ否定せず、全てを受け入れるように、ただただ聞いてくれた。
「もう……どうにもならないのかな?」
美国が振り絞るように声をだした。
正人は言葉を発することができなかった。
どの言葉も慰めにもならないし、そして決して解決することもない。
正人も美国も気づいていた。もう終わりなんだ……と。
「可能性は薄いよね……」
せっかくの記念日。本当は笑いながら今日を過ごして、「来年も一緒にいれたらいいな」とか言って終われればよかった。こんなこと言いたくなかった。美国と別れたくない。
しかし今日という日を過ぎれば、
そんなこと微塵とも思わなくなる自分がいることは明白だった。
美国の幸せを考えれば……と自分に言い訳をしながら
正人も感情を抑えることに必死だった。
車は美国の家の付近まで近づいていた。
それは全ての終わりを意味している。
どれだけゆっくりと車を走らせても、時間だけは変わらず進む。
「ねぇ、ここに止めて……。ここからは歩いて帰るよ」
正人はもう美国を止めることもできない。言われたままに車を止めた。
「あ、傘……」
正人は後部座席から傘を取り出すと美国に渡した。
「ありがと……。じゃあ、行くね……」
ドアを開け、傘をさすと美国は車を降りた。
雨はやみそうにない。
人通りはなく、雨音だけが鳴り響く最後の時間。
そして美国は精一杯の笑顔で、正人に話しかけた。
「今日はありがと。すごく楽しかった」
その言葉のあとに、心に突き刺さる一番言われたくなかった最後の言葉を耳にした。
「さよなら……」
笑顔で言ったその言葉は、正人の本当の気持ちも
全てわかってくれて、それを受け入れてくれていることが正人には痛いほど伝わった。
なによりも優しく、そしてなによりも切ない、別れの言葉。
本当は泣きたいはずなのに、美国は笑顔で別れを告げた。
背を向け、ゆっくりと歩きだす美国。
降り注ぐ雨がまるで彼女の涙のように感じる。
これでいいんだ。これでいいんだ。これで……。
正人は何度も心の中で言い聞かせた。
しかし、何度言い聞かせても、心の中は「後悔」の二文字しか浮かばない。
歩き去っていく美国の背中。
それは今まで生きてきて一番寂しく、そして悲しい後姿。
頭では無理矢理納得させた。
しかし心はそうはいかなかった。美国との思い出が駆け巡る。
この思い出すらも忘れてしまうのか。そしてこの想いも全て……。
もう心の中はグチャグチャで、どうしたらいいかわからなくて、
考えても考えても正しい選択肢はでてこなかった。
想うことはただ一つだけ、美国と離れたくない。ただそれだけだった。
気がつけば正人は車から飛び出して、美国の後姿を追いかけていた。




