第三話:あ、見えた!
「あ、見えた。あれです。あれが冥獄本部です!」
「おー」
宇楠ちゃんの声を受けて、僕は下を覗き込んだ。半分くらい頭が下に出るけど、気にしない。高い所はけっこう得意なんだよね。
そこには、文字通りこの世の物とは思えない光景が広がっていた。
ずっと続いていた黒の森が途絶え、突然メタリックな白に輝く巨大な壁が現れる。
それは、地獄の門というより白亜の御殿、白亜の御殿というより――
「要塞?」
「はい!」
巨大な壁は天高く聳え、地平線の彼方まで続いている。かなりの高度を飛行しているこのマットから見てもその全景は見通せない。何より、壁のところどころからには不自然な境目がある。まるで今にも開いて砲口が現れそうな……いやいや、まさかね。いくらなんでも。
地上の方では、壁の一部が口を開け、骸骨の列を飲み込んでいた。
その周辺には長机の前に並んで座っているいくつもの灰色の塊――多分宇楠ちゃんと同じ地獄の職員――が、骸骨から整理券を受け取っている。その周りを、何か黒い棒みたいなものを担いだ灰色の塊がうろついていた。見張りかな。どうでもいいけど、いや、本当に。
てかやっぱり廻ってきたあれ、整理券だったんだね。どうしよう。交換出来なかったよ。てか、無くしちゃったよ整理券。多分気絶した時かな。
「宇楠ちゃん……」
「ん? 何か?」
徐々に高度を下げていくマット。急いで言ったほうがいいね。
宇楠ちゃんも一応職員らしいし、こういう時は頼りになると信じたい。
「あの、下の骸骨達が渡してる券なんだけど……」
「あ、はい。あれは、徐々に前の方から配られてるんだけど、最近大量に送られてきたのでなかなか配り終わらなくて……貰う前にはぐれたんですよね?」
「え? ……あー、そうなんだよ。持ってなくてさ。持ってなくても入れるかな?」
「大丈夫です。私が優先券持ってるので……」
宇楠ちゃんは、財布から一枚の紙を取り出した。配られた整理券は白だったけど、宇楠ちゃんの取り出した整理券は赤だ。真ん中に0と大きな文字で書いてある。
「はい、どーぞ。無くさないように気をつけて」
「……く……宇楠ちゃん。僕は初めて君を見直したよ」
「へ!? な、なんですかいきなり」
「是非友と呼ばせてほしい!」
「えええええ!? 友って! てか今まで私舐められてた!?」
く、僕は一気に宇楠ちゃんの評価を五段階上げた。
さすが……思わずうるっときちゃったよ。伊達にダサい制服は着てないね。
「あのー……聞こえてるんだけど」
「友よ! 助けがいるときはいつでも呼んでおくれ!」
「……いいから離してくださいッ!」
釈然としないような表情で宇楠ちゃんに言われ、掴んでいた肩を離す。
いや……気絶してよかったよ。まさか優先券がもらえるとは思わなかった。この感動……借り1だね。死桜院に借りを作るとは宇楠ちゃんもやり手なのかなあ。んー……忘れないように頑張ってみようかな?
地上に見えていた豆粒が、あっという間に大きくなり、そして何日ぶりか何時間ぶりかに地面にたどり着いた。
骸骨が出入りしている入り口の付近だ。コントロールもばっちりか。
マットからぴょんと地面に飛び移る。マットもいいけどやっぱり固い地面は格別だ。
宇楠ちゃんが、呆れたように地面に降りる。いつ被ったのか、灰色の塊姿だ。
僕は君と違って空飛ぶマットに慣れてないからね。
どうやって動いているのか、宇楠ちゃんがうねうねとこちらに向かってくる。
どうせだったら一回くらい被ってみたらよかったかなあ。
「言い忘れましたけど、貴方は既に返霊を終えています。消滅の危険があったので救援班の判断でさせていただきました」
「んー……返霊って?」
「純霊……骸骨みたいな形から元の姿に戻す事です。話せるようになってたでしょ? 今まで気付かなかったんですか?」
「あー……話せる事はわかってたけど鏡とか見てなかったからね」
あまりに自然すぎてすっかり忘れていた。そう言われてみれば、手も骨から普通の手に変わっている。服まで現世で着てたのだし。なるほどね……気付かなかったよ。
んー何だ、ちょっとずつ宇楠ちゃんの評価が上がっていくぞ?
……意外と優秀なのかな?
「今失礼な事考えなかったです?」
まるで僕の考えを呼んでいるかのようなタイミングで、声をかけてくる。
僕は、ぞろぞろと移動している骸骨達を一度見てから、宇楠ちゃんの方に向き直った。
一応義理は通しておかないと。礼を言うべき時は言わないとね。
「宇楠ちゃんて凄かったんだなーってさ。色々ありがとう。本当に助かったよ」
「え……いえ、私は仕事をしたまでです」
とか言って、ちょっと感動してるね。声色で微妙に分かる。
それほど長い時間ではないとはいえ、自分が助けた相手からはっきりとお礼を言われるのはなんとも言えないむずがゆさと感動があるものだ。僕もそれなりに人助けしたことがあるからわかる。
「それじゃ、これからどうなるのかわからないけどまたどこかで会ったらよろしく。こっちは覚えてないだろうけど、会ったら声くらいかけてよ」
「……気が向いたら、必ず」
その声は、さっきの掛け合いから比べると考えられないくらい重い声だった。顔が見れないのが残念だ。
宇楠ちゃんもまだまだだね。仕事はきっちりと片付けないと。感傷も憐憫も邪魔な感情だよ。まーいいけどね。僕は笑って別れられるし。例えこれが今生の別れになっても。
「それじゃ、そろそろ行くよ。あの入口でいいの?」
「はい。優先券を見せればすぐに審判所に通されるはずです。……そこで記憶も消されるでしょう。もちろん私の記憶だけですが」
「了解了解。それじゃまたねー。宇楠ちゃん、まさか寂しい?」
灰色の塊がびくりと僅かに震えた。分かりやすいなあ。まぁ寂しいってわけじゃないんだろうけど……一時の気の迷いかな?
「……まさかそんな訳……貴方は私を忘れたら寂しいですか?」
「ん……寂しいよ?」
「…………ッ」
くるりと後ろを向く。多分灰色被ってても見えてるからねあれ。にやけかける表情を無理やり歯を食いしばり、何とかこらえる。宇楠ちゃん、可愛いんだから。分り易すぎ。
腕を上に上げる。別れの代わりに。他の灰色から視線が感じるけど構うものか。
んー……でも面白かったね。あ……また人に迷惑かけちゃったけど、まあいいか。いつか借りは三倍返しで返そう。それに地獄も悪くないと思えてきたよ。
「まぁでも仕方ないしね。それじゃまた。元気でね」
沈黙。
出入口で改札をしている灰色に近づき、他の行列を作っている骸骨を押しのけて優先券を出そうとした所で、背後から宇楠ちゃんの叫び声が聞こえた。
「死桜院老! 老さんもお元気で! またいつか会いましょう!」
僕の券をとろうとした灰色が突然の言葉に固まった。
やれやれ……わかってないね、これじゃまるで青春漫画じゃん。少年漫画の第一話目みたいじゃん。こういうの僕の性にあわないんだけどなあ。
そして、僕の名を聞いて行列をつくっていた骸骨達があっという間に隊列を見出し、僕の側から一目散に逃げていった。
あーあ。ついてないのかついてるのか。とりあえず列がなくなったからついてるのかな?
脇目も触れない清々しいまでの逃げ足。まるで街中で熊にでも会ったかのような反応だ。
何もしないのに……って思いが反面、まぁ名を聞いただけで逃げられるってのもまあ無理もない話って言えば無理もない話なのも分かる。その程度に死桜院の名は有名なのだ。
普通の善良な市民のみなさんへの浸透率はイマイチな反面、善良でない市民のみなさんへの浸透率は極めて高い。そしてここ、地獄なんだよね。なんか宇楠ちゃんは冥獄とか言ってたけど、素人からしたらそんなのどっちでもいいし。
「死者が逃げたぞ! 捕まえろ!」
「くっ、一人たりとも逃がすな!」
周りの見張りをしていた灰色と、列の整理をしていた灰色があっという間に散開した骸骨たちを追ってもそもそと走っていく。灰色脱げばいいと思うんだけどそれじゃダメなわけ? そんなんじゃ走れないでしょ。別に本人達が納得してるからいいけどさ。
なんか皆急に忙しそうになってるけど、僕にはどうしようもない。名だけが暴走している所があるからなあ死桜院。名前だけ聞いても物騒じゃん? 兄妹半分くらい物騒だけど、もう半分はそこそこ大人しいのにね。
宇楠ちゃんも突然の死者たちの暴走に唖然とした様子だった。表情はわからないけど、おろおろしてるからなんとなくわかるんだ。
仕方ないから、唯一残っていた目の前の灰色に券を差し出して急かした。
僕に出来る事ないからねえ。さっさと審判なりなんなりしてもらおう。
こういう時に職員の練度が知れると思う。
「ん……ああ、よし、優先券だな。お前は返霊も済んでるみたいだから、案内に従って審判課まで行ってくれ」
「案内って何なの?」
「矢印の張り紙がしてあるからその通りに行けば分かる。後はあちらの職員に聞けばうまくやってくれるから」
なんか俗物的だな。
分厚い封筒を渡され、何か釈然としないものを感じる。これってあれ?
中身を見てみたら、果たして幾種類ものよくわからない書類が入っていた。氏名とか住所とか書く欄あるし……しかも受取印押す場所まで……死んだら書類書いてもってって判子もらわないといけないの?
僕は神様とか信じてないから別にいいけど、敬遠な信者がこの事知ったら暴動が起きるんじゃないかなあ。
もうちょっとファンタジックにいこうよ。
まあ十億人も死者が出たらそりゃファンタジックになんてやってられないんだろうけど……
内部も、まぁ通路が何やら頑丈そうな金属で出来ている事を除いたら前世の構造と変りない。
矢印書いた紙もセロハンテープで止められているし、通路の途中に自動販売機があったりする。冥獄の美味しい水とか鬼茶とか売ってる。コーヒーと清涼飲料とかは売ってない。なんかしょぼいね。ちょっと興味があったからお金がないか、ポケットを探ってみたけどさっき全部返しちゃったから宇楠ちゃんの身分証明書らしきカードしかなかった。
……あ、財布から抜き取って返すの忘れてたなあ。後で返そうと思ってたんだけど、ごたごたしてたから。まぁ気付かなかった宇楠ちゃんが悪いんだよね。きっと。
職員証明書と書いてあるカードは、全く知らない僕の目から見てもそれなりに重要そうだ。顔写真つきだし、職員番号とか生年月日とか個人情報が列挙されてる。電話番号と住所まで書いてあるよ。うわ、宇楠ちゃん159歳とか。地球に行けば確実にギネスに乗るね。信じてもらえないだろうけど。
おまけに、カードは何やら最新式らしく、自動販売機のセンサーに当てたら水が買えた。クレジットカード……ってわけでもないだろうけど、無用心だなあ。こんなカードなくすなんて。黒い線と挿し込む矢印があるの見ると多分カードキーとかにもなってるよね。便利すぎるのも考えものだ。とりあえず後で会ったら返そう。覚えてたらだけど。
先に入った骸骨たちとは順路が違うのか、通路はすいていた。人っ子ひとり出会わない。幅が広いから灰色や骸骨がいても余裕があるけど、ちょっと閑散としすぎな気がする。多分骸骨も返霊なるものをやって人の形を取り戻してから審判課へ行くんだろうけど、返霊って時間が掛かることなのかもしれないね。
美味しくもまずくもない水を飲みながら案内に従って歩く事十分、ようやく目的地が見えた。
『第三審判課』と古臭い看板プレートが付けられた扉。
多分ここでいいんだろう。
ためらいなくドアノブをひねる。ノックが先だったかなあと思ったのは、既に扉を開けた後だった。
扉の中はなんとッ! なんて振る事もなく、中も普通の事務室だった。郵便局とか銀行に入ったみたいな感じ。職員が五人居たけど、皆忙しそうで扉を開けた僕に一回目を向けたけどすぐに自分の仕事にもどっていった。
なんか地獄って気がしないんだけど……中の人は灰色じゃないし。これもしかして逃げようと思ったらすぐに逃げられるんじゃない?
一番近くのデスクで作業している人に声をかけてみる。
「あの……」
「何か御用でしょうか?」
「入り口で審判課に行けって言われたんだけど」
「ああ……優先券の方ですね。少々お待ち下さい」
そっけない対応だけどさすがに嫌な顔はされないか。渡した封筒から手早く書類を出し、丸を付けた。
んー……なんか本当にここが地獄なのかちょっと地震がなくなってきた。あまりにも人間的だし。
「丸を付けた所をご記入の上、お持ちください」
「んー……これって皆やってるの?」
「え? はい。死者の方には書いていただいております」
さっきの整理券見ると最低でも10億はいるはずなんだけどなあ。皆これやってるのか。資源の無駄だよ資源の無駄。どっから紙代出てるんだ。死者なんて金にならないのに……。
疑問に思いながらもボールペンを動かす。えっと……名前住所年齢生年月日没年に死因……前科なんてのもあるぞ。保証人って何の保証人なの? とりあえず埋められる所だけ埋める。家族の欄は書ききれなかった。兄妹だけで10人いるからね。特技なんて何に必要なのか訳の分からない欄もあったからとりあえず人助けと書いておく。嘘じゃないよ? なかなか成功しないけど。
五分くらいで埋められる所は全部埋め終わり、再度職員のデスクの方へ行った。
「あの……住所って生前の住所を書けばいいんですか?」
「あ……いえ、現在冥界に住んでいる方のみその住所を書いていただければ……冥界に住所がない場合は空白で結構です」
「保証人は?」
「保証人も冥界に知り合いがいる方のみで。保証人がいる場合、罪状の判決が出た際、善行積立制度を利用する事ができます。これは罰を受ける代わりに人を助ける事で罪を償う事が出来るという制度です。まぁ冥界が初めての方は保証人が居られる方はまずいないので空白で構わないと思います」
職員さんの話を聞く限りでは、これから生前の罪過を裁かれてその償いをするみたいだ。やっぱりここは地獄だったんだ。まあ冥界とか言ってるけど似たようなものでしょ。何だか安心したよ。
しかし善行積立制度かー……僕にぴったりじゃないかな?
生前はあまり人助けとか出来なかったけど、僕だって成長してるつもりだ。
問題は保証人になってくれる人なんていないことだけど……地獄に知り合いなんているわけないし……
……あ、いたじゃん。宇楠ちゃんがいるじゃん。宇楠ちゃんが。
また借り作っちゃうけど、彼女なら許してくれるね、きっと。
うん、これも世のため人のためだ。罰を受けるのも全然構わないけど僕はどちらかというと人助けしたいし。
「保証人は名前を書くだけでいいんですか?」
「名前と住所、年齢、生年月日、職場の名前、電話番号、そしてご本人が居られない場合は保証人の方の身分証明書を預かってくる必要があります」
偶然だけど全部何とかなりそうだ。身分証明書持ってるしね。それにしても、印鑑はいらないのか……さすがに印鑑を用意するのは簡単じゃないからね。事情を説明して電話して持ってきてもらうしかないし。
僕がポケットから出したカードを見て、職員さんは目を丸くしていた。