自爆で全方位を曇らせて世界平和に導いたおバカ
ディルハート・ストロング。
グリモリトル魔法学校1年生。13歳。
学園始まって以来の問題児として名を馳せる彼女は、赤点補習の教室で思い詰めていた。
「ひ、ひひ……。実習、無理。課外活動、もっと無理。このままじゃボク、留年しちゃう。ひ、ひひ……」
彼女が使える魔法の幅は、広くない。回復と転移。そして、秘密の魔法……「自爆」。これだけ。
この国のカリキュラムに記載されている火・水・土・風の属性魔法は、まったく使えない。習い立ての10歳でも使える初級魔法さえ使えない。
制度上、属性魔法を避けては通れない。特例で見逃してもらうわけにもいかず、数日後には退学処分だ。
「ろ、ロウソク、つきました?」
「全然ダメです。この際、火をつけろとは言いませんから……せめて熱を持たせるくらいはしてください」
「ひひ、ひひ……ダメだぁ、もうおしまいだぁ!」
「ミス・ストロング。落ち着きなさい」
補習を任された厳格な女教師は、分厚いメガネをクイッと持ち上げる。
教師たちはディルハートを憐れんでいる。
彼女が得意とする、回復と転移の魔法は有用だ。使い手が限られている。どうにか別の学校、あるいは必要な職場で拾われるよう、教師たちも出来る範囲で手を尽くしている。
そのうち小さな教会にでも勤め先を用意できるだろう。問題は、ディルハートの両親が厄介な思想を持っていることか。
ストロング家は王族の調度品さえ仕入れる大富豪であり、傍流を含め複数の貴族位を持つ。
家としての品格を維持するため、落ちこぼれには容赦しない。学校から落ちた先は、きっと愚にもつかない縁談。民衆への奉仕ではなく、有力者への媚びへつらい。
「もういっそ……やっちゃおうかな」
追い詰められたディルハートは、一か八かの計画を実行に移す。
彼女にできるのは、ただひとつ。隠してきた、最後の切り札。自爆である。
「うおおおおおっ!!」
ディルハートは異常とも言える勢いで魔力を溜める。
試験に合格するためではない。
ままならない世界から逃げるためだ。
「ミス・ストロング!?」
教師の前で四白眼を晒し、半ば泡を吹くように叫ぶ。
「こんな人生、クソくらえ!!!」
人生最大の自爆魔法は、教室とロウソクとテスト用紙を吹き飛ばし、ディルハート自身をも粉々にした。
——学園始まって以来の大惨事。令嬢爆発事件。
葬儀は開かれず、ストロング家は小さな墓に唾をかけて去って行った。
——その1週間後。
ディルハート・ストロングは国の北方にて蘇生する。
「脱出成功っ!!」
首だけになって数十キロを飛行し、通りすがりの霊場から魔力を吸収して回復魔法を発動。転移魔法の連続発動で落下のエネルギーを少しずつ減らし、着地。
得意魔法に関しては、ディルハートは天才であった。
「よっしゃあ! ボク様を評価しない学校なんか知ーらないっ!!」
こうして、彼女は長年の夢である家出を果たした。
〜〜〜〜〜
女教師レイチェルは、後悔していた。
絶望と狂気に染まり、目の前で散っていた若き天才。
まだ13歳だというのに、どれほどの地獄を見てきたのか。彼女は入学した時から、どこか生気がなかった。
自分の命など、虫ケラ以下。そう思い込んでいるかのような、自虐的で破滅的な態度。
ガリガリに痩せた体。ボサボサの髪。化粧を知らない肌は、若さだけで見てくれを保っている。整えれば美人になるだろうに。
そんな彼女は、レイチェルの目の前で死んだ。
肉と骨が散らばり、血煙を撒き散らし、四方の壁を汚した。教師であるレイチェルに配慮したのか、教室の前方にはあまり飛ばなかったが……それでも、尻餅をつかせるくらいの威力はあった。
魔法の才能。豊富な魔力と、それをぶちまける出力。ディルハートは、それを自害に使ったのだ。
——レイチェルは、1週間寝込んだ。心労によるものだ。
自分がもう少し優しく接していれば。もう少し言葉に気をつけていれば。
彼女が死を選ぶことはなかったかもしれない。
レイチェルは厳格だが、決して若い芽を潰したいわけではなかった。生徒に強く当たるのも、笑顔を向けさえしないのも、全ては努力を引き出すため。
嫌われても構わない。見返すためでも、意地を張るためでも、とにかく勉学に励んでくれればよかったのだ。
しかし、ディルハートは事情が違っていた。彼女は既に努力していた。努力しても、何故だか魔法が身につかなかった。
それでもレイチェルは、他の教え方を知らなかった。厳しく接するほかなかった。担任も補習も、他の優しい教師に代わってほしかった。
レイチェル先生でダメなら、誰がやっても無理でしょう。そう言われ、どうにもうまく言い返せないまま、受け持ってしまった。
その結果が、これだ。後悔してもしきれない。
——レイチェルに登校命令の手紙が来る。
自宅での事情聴取を除き、人と話すのはずいぶんと久しぶりだ。教師として、あれだけ熱心に教鞭を奮っていたというのに。
「私には、どんな処分が降るのでしょう」
校長室にて、彼女は澱んだ瞳を床に落とす。
ディルハートの自爆は、メガネを拭いている間だった。そもそも、あんなことができるとは知らなかった。止められなかった。
とはいえ、それは言い訳にならない。教師たるもの、監督責任というものがある。自分は教師失格だ。法が許すなら、死んで詫びるべきだ。
自責の念に駆られる彼女に、校長は告げる。
「ストロング家からのお達しだ。もみ消せ、と」
「まさか私は……裁いてすらもらえないのですか!?」
レイチェルは絶望し、深い隈の刻まれた顔を歪ませる。
法の前に曝されることさえなく、レイチェルの罪は覆い隠された。
若き才能を潰してしまったというのに。人の命を奪ってしまったというのに。
「あ、ああ……」
レイチェルは教壇から降りることを決意する。
誰も知らない土地で、静かに自害しよう。
しかし、レイチェルも才能溢れる魔法使い。魔法は個人の才能に強く依存するため、有能な者を腐らせている余裕はない。
国の上層部から人が来て、レイチェルを拘束する。
「働け。せめて、魔法を出す機械として」
「…………。」
レイチェルは死体のような目で、国のために尽くすこととなる。
〜〜〜〜〜
1ヶ月後のディルハートは、冒険者として巨大なる悪魔に挑んでいた。
「無事か、ディル!」
隣に立つのは、魔法使いの青年。長い青髪が風に揺れている。
前にいる2名は、勇者を名乗る少年と、鎧を装備した女戦士。
しかし、いずれも重傷だ。
「街の近くで、こんな大物と当たるなんて。聞いてない。聞いてないぞ……!」
「弱音を吐くな! 魔法で援護を……」
「ひ、ひひ……。ボク、今、震えてるよぉ……」
ディルハートのそれは、他の者とは違う。
興奮だ。物語のような大舞台に立っているからだ。
——こうなった経緯は、実に単純。
ディルハートは回復魔法で日銭を稼ぎつつ、冒険者ギルドに身を寄せる。
やがて魔法の才能を評価され、現在のパーティに。
何回か冒険を重ね、すっかり意気投合したところで、今に至る。
「こいつで、どうだ!!」
筋骨隆々とした女戦士は、肩の上からハンマーを振る。
大ぶりだが、技巧に長けた一撃。猿のような悪魔の顔を、正確に撃ち抜く。
しかし、悪魔は動じない。あざけるように笑いながら、指先でハンマーの柄をへし折る。
「なっ!」
生き物としての格が違う。いくら体を鍛え上げたとしても、あるいはいくら技巧を磨いたとしても……人間程度で勝てる相手ではない。
女戦士は動揺し、数歩下がる。
折れたのは武器だけではないようだ。
直後、悪魔は疾走する。
「ひっ!? 『土の……」
青髪の青年は魔法を唱えようとして、噛む。初動の遅れと合わせて、もはや取り返しがつかない。
悪魔が狙ったのは、回復魔法を持つディルハート。狡猾にも、生命線を断ちにきたのだ。
「ぐぶっ!?」
ディルハートの細い胴に、悪魔の長い右腕が刺さる。左腕は彼女の喉に。詠唱を塞いでいる。
「ディル!!」
自称勇者の少年は、目を見開いて絶叫する。リーダーでありながら悪魔の不意打ちでやられてしまい、芋虫のように地を張っている。
絶体絶命。
ディルハートは、むしろ微笑む。
短い付き合いだったが、ちょうどいい。青髪がストロング家に覚えがあるようなので、事情を知られる前に離れたいと思っていたのだ。
「(ふ、ふふ……ボクなんか、どうせ……これくらいしかできないし)」
集中する魔力。悪魔さえ目を剥く輝きは、太陽のように強く色濃く……。
ディルハートは自爆した。
悪魔と共に塵となり、跡形もなく消し飛んだ。
〜〜〜〜〜
「あ、あ…………」
何分が経過しただろうか。
呆然としていた勇者たちは、ようやく我に帰る。
「ディ……ル……?」
口を開けたまま動かない勇者。両膝を地に落とす戦士。
そして……錯乱する魔法使い。
「あああああ゛あ゛あ゛!!!」
青年は青髪を振り乱し、地面に吸われていく血液を手でかき集めようとする。
「誰か、誰か!! 医者を……回復を! ディルが、ディルが死んでしまう!」
もう死んでいる。残っているのは、骨のかけらだけ。それも、骨盤などの分厚かった部位くらいだ。
肉も神経も内臓も、悪魔と混ざって消え去った。最高位の回復魔法をかけたとしても、どうにもならない。
青髪の彼は、それを理解している。彼は魔法学校を主席で卒業した秀才だからだ。
それでも、現実を認めたくなかった。
「ディルは、こんなとこで死んじゃいけないんだ!」
切なる願い。1ヶ月弱の付き合いの者に向ける感情ではない。
彼は魔法学校の評価基準に疑問を抱いていた。属性魔法を重視するあまり、他の魔法の発展が遅れている。そんな仕組みを変えたいと願い、冒険者を志した。
属性魔法で大成できなかった魔法使いは、規格化された魔法工房では働けない。ある者は魔法を捨てて生き、ある者は可能性を信じて半端者としてもがき、ある者は必要とされることを求めて冒険者となる。
冒険者ギルドには、知見の積み重ねが薄い、奇妙で貴重な魔法の使い手が山ほどいた。青年は彼らを調査し、その有用性を証明するつもりでいた。
そんな中出会ったのが、ディルハート。時代と制度の被害者。規格外の回復魔法と、そこそこの転移魔法を持つ少女。
回復魔法は極めて有用だが、人体実験や解剖が禁忌とされていた時代が長く、未だ研究が進んでいない。効き目は個人の実力に依存しており、体系化されていない。
稀有な才能を活かすため。未来の医療を守るため。そして何より、忌まわしき伝統を破壊するため。彼はディルハートを大切にしていた。
彼にとって、ディルハートは守るべき未来であり、築き上げてきた思想そのものであった。
「今からでも遅くない。遅くないはずだ。回復魔法の可能性を、守らなくては……」
肉片のように見える赤色を、手で掬う青年。
「…………。」
女戦士が彼に近寄り、肩を揺さぶる。
「集めて、どうすんだ」
「治す。治して……とにかく、治す」
「無理だ。わかるだろ?」
青年から全ての気力が抜けた。
彼は地面にうずくまり、嗚咽を漏らす。
「う、うう……」
「悪いのは、お前じゃない。あたしだ……。全部、守りきれなかった、あたしのせいなんだ」
女戦士は、折れたハンマーをぶら下げている。
前線に立つ彼女の役割は、その腕力で後衛を守ること。強力な一撃で敵意を集め、悪魔を食い止め、危険を引き受けること。
それを果たせなかった。武器が折れた程度で、怯んでしまった。怖気付いて、下がってしまった。戦士失格だ。
「あたしは……誰も守れないんだ……」
女戦士は妹を亡くしていた。妹は内気だったが、村で一番の裁縫上手だった。助けを呼びながら魔物に食われ、姉の目の前で息絶えた。
木の棒で魔物を倒した姉は、やがて女戦士になった。その時の思い出は、魔物から受けた古傷と、妹が編んだ小さなお守り。
ディルハートは、妹に似ていた。会話が苦手で、引っ込み思案。背格好も歳の頃も、だいたい同じ。これからもっともっと、仲良くなれたはずだ。
「守れない。誰も、守れない。守れないぃぃ……」
女戦士は歯を食いしばる。強く、強く。血が滲むほどに。
ハンマーが手から落ち、鈍い音を立てる。女戦士の姿勢も崩れ、上体が地面に叩きつけられる。
「ディル……! ごめん。ごめんよ。あたし、もうこれ以上……立ってらんねえよお……」
嘆く。嘆く。雪が降り始める中、己の無力を嘆く。
——勇者だけは、木にもたれかかったまま、周囲の警戒を続けている。
「…………。」
ディルハートより僅かに年上なだけの彼。親元で育てられるべき少年。何故、まだ庇護下にあるべき子供が勇者を名乗っているのか。
選ばれたからだ。教会に。
回復魔法を筆頭とする一部の魔法を、神の奇跡と呼んで神聖視する集団に。
……勇者は魔物や悪魔を祓う運命を持つとされている。何によって判断しているのか、少年にはわからない。
しかし、教会には確信があるらしい。秘宝とされる剣と盾を少年に譲り、各地の教会による無償の回復などのサポートをしている。単なる予想ではできないことだ。
少年は教会を頼りにしていた。日々の記録を提出し、時には祈り、彼らを生活の支柱としていた。
その恩恵に報いるため、やがては魔王という存在を倒せるように、仲間を探しながら経験を積む。それが少年の歩む旅路だった。
……ディルハートは、回復魔法の使い手だ。教会でも見たことがないほどの。
彼女は食うに困っていた。冒険者になる前、彼女は道端で回復業をしていた。あのまま放っておいたら教会と衝突しかねないため……そして自らの好奇心を満たすため、少年はディルハートをパーティに加えた。
ディルハートはすぐに馴染んだ。
低姿勢で、学びに貪欲。苦難さえも楽しむ性格。体力以外は、理想的な仲間だった。信仰心はまるで無いようだが、どこか教会の者たちに似ていた。
勇者はディルハートと、もっと仲良くなりたいとと思った。共に冒険に出かけるたび、興味が膨れ上がっていった。
勇者は小さな村の出身だ。ディルハートも同じだろうか。もっともっと、彼女を知りたい。
……それはもう、叶わない夢。
「人って、死ぬんだな……」
勇者が仲間を失うのは、これが初めてだ。
教会の中で、あるいは冒険の中で、死体を見ることはよくあった。しかし彼らは死体として現れ、死体として処理されていた。
生きた人間が死に至る。友の少女が無に還る。そんな惨たらしい光景が、少年の瞼に焼きついてしまった。
勇者は盾を撫で、雪を払う。
悪魔の攻撃を受け止めながら、傷の一つも見当たらない。先の戦いで傷んだのは、裏で支える勇者の体だけ。
「もっと、強くならなきゃ」
教会の求める……世界の求める勇者に、まだ到達できていない。今の自分は、肩書きだけだ。
少年はディルハートという少女を忘れないよう、目を閉じて面影を確かめる。
不器用な笑顔。弱々しい声。何かに怯えるような、常に丸まった背中。
守るべき命とは、彼女のことだ。
「強くなって……守るんだ」
今は混乱している仲間たち。彼らもきっと、乗り越えてくれる。悲しみを背負えるくらい、強くなってくれる。そう信じる。
勇者は灰色の雲を見上げ、埋めるもののない墓をどこに作るべきか、ぼんやりと想う。
〜〜〜〜〜
「はーーー、悪魔つえー」
ディルハートは復活を遂げる。
体内から雪を取り除く作業が挟まり、少し再生が遅れてしまった。
おそらく1ヶ月は経ったはずだ。現在地も遥か離れ、北方の山脈地帯。
「ここどこ?」
ディルハートは全裸のまま、首を可動域いっぱいに振り回す。転移魔法の応用で各地の空間を繋げ、広範囲の魔力を探知するのだ。
「あっちもこっちも壁だなあ。魔物が通った跡もあるし、なんか嫌な感じ……」
周囲は全て、灰色の岩。谷の奥の奥にいるのか。下には更に奈落が続く。
ディルハートは近くの石ころを手探りで拾い上げ、谷底に投げてみる。
……反響音がしない。
「あ、これたぶんヤバい。どうしよ」
ディルハートが悩んでいると、空から突然金切り声。
「おわーっ!?」
ワイバーン。魔物の中でも上位の存在。それが群れでやってきた。
翼竜のような彼らは、魔力を固めた光線を放つ。ディルハートがいる崖の横穴に。
「おふぇっ!?」
転移で逃れるディルハート。しかし逃げ先は崖の中腹。
痩せた指を岩に引っかけ、ディルハートは泣き言を叫ぶ。
「死ぬ! 死ぬぅ! 死なないけど死ぬ!」
死んでも復活できるほどの達人だが、高所から落ちればただでは済まない。加減のきく自爆とはわけが違う。きっと数年は泥まみれだろう。
ディルハートは転移を繰り返し、少しずつ登っていく。
目立つ上にペースが遅い。ワイバーンに見つかるのは時間の問題だろう。
「食べられるのだけは勘弁……」
「キェーッ!」
「勘弁って言ったよねぇ!?」
下から追い上げるワイバーン。逃げきれない。胃に収まってしまったら、胃液で焼かれ続ける。しばらく人生はお預けだ。
「御慈悲をーっ!!」
自爆を覚悟するディルハートの前に、一人の男が現れる。
スカーフェイスに黒い髪。悪魔のような強面に、僅かな情けが滲んでいる。
「ふん」
背中から生えた翼で空を飛び、男はワイバーンの群れを槍で片付ける。
恐るべき速度。嵐のような連撃。きっと只者ではない。人間の域を超えている。
「あ、あの、ありがとうございます。悪魔ですか?」
「そうだ。半分な」
ディルハートは悪魔に詳しくない。教会に出入りするか、冒険者として活動を続けていけば、知る機会はあったはずだが……。
ともかく、ディルハートは助けられた礼をする。
事実上の不死身とはいえ、他人からの助力は嬉しい。親からも受けたことのない高待遇には、おもわずニッコリだ。
「へ、へへ。こんなとこまで、狩りですか? 悪魔って、ワイバーン食べるんですか?」
「変な奴だな、お前は」
半分悪魔……略して半魔の男は、ディルハートの背中を掴んで飛び上がる。
切り立った崖の上は、猫の額ほどの平地。どうやら彼の拠点らしい。長年住み着いているらしき痕跡がある。
「どこから迷い込んだ」
「あ、えっと、転移です。普通の転移」
ディルハートは事情を伏せる。自分の異常性を理解しているからだ。そして、なるべく正体不明でいたいからだ。
ここまで実家の魔の手が及ぶとは考えにくいが、染み付いた癖と価値観は消えない。彼女はストロング家が嫌いなのだ。ストロング家に生まれ育った、過去の自分も。
ディルハートには、現在だけがある。それが彼女の理想。
「いやー、転移って怖いですねぇ。ひひ、ふひひ……」
「そうか」
半魔の男は、それで納得する。
転移の魔法が希少であることも、知識の蓄積が無いため手探りで修業を積む必要があることも、なんとなく察しているのだ。
出力によっては、谷に飛び込むような事故も起こりうる。そう結論づけ、男は粗末な小屋にディルハートを招く。
「凍えたくないだろう。入れ」
「あ、確かに寒いかもですね。気づきませんでした。へへ、へへへ」
ディルハートは鼻水を垂らしながら、炭が香る家にお邪魔する。
〜〜〜〜〜
1ヶ月ほど経った。
ディルハートと男は、各地にある拠点を巡りながら、魔物を調査している。
彼の研究によると、この山脈のどこかに魔王がいる可能性が高いらしい。
「このところ、魔王軍の動きが激しい。遠方にある霊場に何かあったのか……?」
「…………。」
ディルハートが通りすがりに魔力を吸って破壊したためだが、面倒くさいことになりそうなので言わないことにする。
半魔の男は、悪魔に復讐を誓っていた。
故郷を滅ぼした奴らを根絶やしにするべく、自らも禁術によって悪魔になり、戦い続けていた。
本能や理性までも悪魔に飲み込まれる前に、魔王との決戦に臨みたいと考えていた。
そこに現れたのがディルハート。人間にのみ作用する回復魔法の力で、正気を保ちやすくなった。定期的に回復をかけることで、悪魔の力を多めに発揮しても、人間の体に戻ってくることができる。
半魔にとって、ディルハートとの出会いは運命的なものだった。魔王を倒すために必要な存在だと確信していた。
——ある日、彼は告げる。
「霊場の修復に向けて、大軍が動いた! 手薄になった今が好機だ!」
「えーと、つまり?」
「戦いだ。……決死行になるが、共に来てくれるか?」
不安げな瞳。復讐以外の全てを諦めた半魔とは思えない、人間味のある表情。
ディルハートはドラマチックな展開にときめき、必要とされることに喜びを覚え、鼻息を荒くしながら答える。
「へへ。アニキに何処までもついて行きやすよ。背中はきっちり頼みますぜ」
目上との付き合い方を知らないディルハートは、三下のようにゴマを擦る。
〜〜〜〜〜
魔物。魔物を率いる悪魔。
それらを斬り、斬り、斬り、前に進む。
山奥とは思えないほど、巨大で整った建造物。悪魔たちが魔法で……あるいは、その体を使って築き上げたのだろう。石が基本ではあるが、ところどころ骨のようなものが見え隠れしている。
戦うのは殆ど半魔。ディルハートは穢れた血で染まった道を歩くだけ。
彼は悪魔を食って力に変え、ディルハートの魔法で人間の姿に保つ。理性が消えてディルハートを傷つけないよう、必死だ。
「……もうすぐだ」
「え? ゴールですか?」
「ああ。悪魔としての俺が、感じ取っている。魔王の気配を」
「そうなんですね。この辺、壁も床も魔力だらけで、よくわかんないんですよねえ」
半魔は迷うことなく、巨大な扉を押し開ける。
奥にいるのは、不気味に蠢く肉塊。圧倒的な質量の中に、膨大な魔力を溜め込んでいる。
否、量だけではない。質も悪魔とは比べ物にならない。
あれこそが、魔王。魔物の王であり、魔力の王。
「魔王は姿を持たない……。噂は本当だったのか」
「客人か。ずいぶん荒らしてくれたな」
魔王は口が無いというのに、喋る。
そして、同時に魔力を発する。
ごく僅かな魔力を大気に混ぜるだけで、そこは魔王の領域となる。あらゆる動き、あらゆる発言が詠唱であり、魔法なのだ。
「そこのお前。責任を取って、掃除しろ」
「ぐうっ!?」
半魔の男は、大きな手で胸を押さえる。まるで、内側から心と体を握られたように。
魔王の姿が変形し、複雑な魔法陣のような……あるいは呪いの儀式のような、ひとつの魔法を成す。あらゆる命を怖気付かせる、王の魔法。
「従え」
「ぐ、うう……!」
半魔の男でさえ威勢を削がれている。それでも立っていられるのは、復讐のために長い年月をかけてきた身の上故か。
「う……くそっ。逆らえ! 逆らえ! あんな奴の手駒にされてたまるか!」
「え? 何かされたんですか?」
ディルハートには効いていない。
彼女は神経が鈍いのだ。
性格という意味でも、肉体という意味でも。
まず、痛覚が無い。死にかけても混乱しない。痛みで我を失うことなく、回復魔法を使える。
視力も無い。ロウソクの火さえ見えず、自分の外見を知らない。髪はボサボサで化粧もできない。
味覚も無い。ほとんど物を食べないため、ガリガリに痩せ細っている。
触覚も無い。自分の指や舌がどこにあるのか、よくわからない。気温の変化も感じ取れない。
聴覚は……一応、ある。人並み以下だが。
実家のストロング家から追い出された理由は、こうした生まれつきの弱点にあった。
ディルハートが普通の人間のように振る舞えるのは、周囲から魔力を吸い取る能力の応用で、ぼんやりと世界を感知しているため。これが無ければ、彼女はとっくに生きることを諦めている。
「お、おま、え……うご、け……」
「ふむ。ならば、男よ。そいつを殺せ」
天敵を前にして、魔王は動じず作戦を変える。彼もまた、不備の多い体でありながら、得意な魔法と知性で生き抜いてきたのだ。不測の事態など、彼にとっては日常茶飯事。
半魔は全身全霊で抵抗を試みるものの、いよいよ強さを増した魔王の魔力に逆らえず、拳を振り上げる。
「うがあああっ!!」
「え? 裏切り!? こんなとこで!?」
ディルハートは訳がわからないまま、彼の不格好な攻撃を避ける。
向かう先は、魔王。魔力を吸収して再生できる彼女にとって、豊富な魔力を持つ存在は餌であり、安心できる温もりだ。
「は?」
魔王は焦る。全てを操り、遠ざけてきたが故に、自ら近づいてくる敵への対処方法を持っていない。
ディルハートは半魔の男の揺らぎを感知し、叫ぶ。
「こんなとこで心変わりなんて、酷いですよアニキ!」
「ち……が……」
「ええい、こうなりゃヤケだぁ! 魔王だかなんだか知らないけど、お留守みたいだし! 今のうちに、全部やっちゃえ!」
ディルハートは吸い込んで使う。魔王の魔力を。
「ぐわああっ! わ、私を、私を喰らうというのか!?」
「あ、なんかいる。まあ敵だよね? 大丈夫だよね?」
ディルハートは自爆の手を緩めない。彼女の先入観にとって、半魔から聞かされていた恐ろしい魔王とは、これほどあっさり倒せる存在ではなかった。
「ぎえええっ! 魔力が! 私の唯一の武器が!」
回復魔法も、転移魔法も、他に使える者はいる。国を見渡せば山ほどいる。
魔力の摂食。これだけはディルハートにしかできない、本物の奥義だ。
抵抗するすべはない。誰にも編み出されていない。知見が積み重ねられていない。
そうとは知らずに、ディルハートは過去最大の爆発を巻き起こすべく、魔王の魔力を吸収・分解して力に変える。
「もう冒険なんかこりごりだーっ!!」
後ろ向きなヴァンダリズムの表明と共に、魔王の部屋から魔力が消え、全てが闇に包まれる。
ほんの一瞬。されど一瞬。その空間は、確かにすべての痕跡を失った。ディルハート自身を含めて。
しかし、次の一瞬には。
全ての闇を忘れさせるほどの、強烈で痛烈な閃光。
「…………ああ」
半魔に逃げ場はない。防ぐこともできない。
しかし、何処か安堵していた。魔王の死を、この目で見ることができたのだから。
己の手で葬れなくとも構わない。むしろ、この方がいくらか痛快だ。
汚い魔力に汚染された、この体ごと……どうか、あの世に導いてはくれまいか。
半魔は破滅の光に希望を見出し、手を伸ばす。
——遅れて、音と衝撃が飛んでくる。
〜〜〜〜〜
倒壊した魔王城。崩れる山脈。揺れる大陸。未曾有の地殻変動。
その渦中にいて、半魔は生き残った。
いや、もはや半魔ではない。ただの人間の男だ。
「まさか、あいつ……吸い取ったのか? 魔王の力ごと」
半魔は魔王に操られていた。その時の繋がりによって彼の中にある悪魔の成分が分離され、ディルハートの吸収に巻き込まれ、消失したのだ。
半魔だった男は、文字通り憑き物が落ちたような顔で空を見上げる。
そう、空。山脈が割れて空が見える。ディルハートが放った一撃の威力は、魔王を滅ぼして余りあるものだった。
「俺が生きているのは……あいつのおかげか……」
男は立ち上がり、よろめくように歩き出す。
これまでの自分を構成する全てが、洗い流された。力も志も、もはや過去のもの。
今の彼には、ディルハートという犠牲のもとに成り立った現在を、ただ噛み締めることしかできない。
「墓標を作ろう。本物の英雄を讃え、後世に伝えよう」
男は岩壁に像を彫り始める。過分に美化された、少女の像だ。
何千年、何万年が経っても残るように。儚く、それでいて壮大に散っていった彼女を、永遠のものにするために。
〜〜〜〜〜
王国の地下で、元女教師のレイチェルは働いていた。
日が昇る前に起き、点呼を受け、持ち場に移動し、夜遅くまで働く。
自由時間はない。給料もない。終わりの見えない労働だけがある。
人の尊厳を無視した待遇。それも当然。彼女はもはや、国家黙認の奴隷だ。
「国のために! 未来のために! 今日も一日、属性魔法を納めましょう!」
薄暗い空間に響く、始業の合図。
隣を見れば、表情のない人。レイチェルも同じ顔だ。指示を飛ばす監督官さえも。
「労働は才能ある者の義務です! 正しい労働で、正しい国民意識を! 全ては勇者のため! 人々を守るためなのです!」
レイチェルは机に向かい、大量の粗悪な魔道具たちに魔力を込めていく。
ストロング家が国と提携して普及させている、安価で簡素な魔道具たち。街灯や道路となって国民の生活を支える……わけでもなく、大半は国外に売られ、外貨に変わる。
「もう二度と、魔力納税を怠ることのないよう! 国のために尽くしましょう!」
主任は拡声器で声をかけて回る。
彼が再三繰り返す通り、レイチェルたちは「労働の義務を怠った罪」で、ここに囚われている。
しかし、その基準は役人の胸先三寸。真面目に働いていても、密告や陰謀でここに連れて来られる。
魔法学校の教師が自己都合で退職した場合も、だいたいはこうなるのだ。無論、世に明かせない国家機密ではあるが。
「(ストロング家が、ここまであくどいとは)」
レイチェルは目の下の深い隈を気にする暇もなく、魔道具を作りながら考える。
ストロング家は魔法使いの家系だ。初代当主は魔法の腕前で貴族位を確保し、子供を地方貴族の家に出し、血の繋がりで徐々に地位を高めていった。
魔王という脅威を抱えたこの国にとって、魔法教育による国民皆兵化は急務。そこに漬け込み、更に勢力を拡大。今では経済を握る陰の宰相と呼ばれるようになった。
……では、王家の狙い通り、魔法による戦力強化は果たせたのだろうか。
レイチェルの見方は否定的だ。
魔法の才能を持つ者は限られている。ストロング家が膨れ上がっただけで、この国は強くなっていない。
強い魔法使いが生まれなくとも、民の武力の平均値が底上げされ、勇者の道を切り開くのが楽になってくれるなら、手間をかけた甲斐があるというものだが……才能は富と共に貴族に吸い上げられて、集中していく。ストロング家を筆頭に、この国の貴族は腐っている。
「(あの学校も、この工場もそう。ストロング家が私腹を肥やすための装置でしかない。今更になって気づくなんて、愚か者ですよ……私は)」
もしこの地獄から抜け出せたなら、万人に優しい学校を開きたい。あの学校の方針が間違っているとは思わないが、だからこそ、あそこを退学になった生徒を救える存在になりたい。
「(属性魔法が使えなくたって、他の魔法があるかもしれない。いいえ、ただ魔力を込めるだけでも……あるいは、魔法の知識を身につけるだけでも……世の中の役に立てるはず)」
レイチェルの脳裏に浮かぶのは、最も出来の悪かったあの生徒。ディルハート・ストロング。
彼女もまた、ストロング家の被害者。自ら死を選んだのも頷ける。
今のレイチェルにとっても、自死は限りなく近い場所にあるのだから。
「(魔王の魔法に耐性があるという、勇者。彼が活躍してくれれば、属性魔法しか見ようとしない貴族たちも、目を覚ましてくれるのでしょうか)」
レイチェルは夢物語を思い浮かべることでしか、自分を保つことができない。
それももう、限界が来ている。
「あっ」
かさついて割れた爪をすり抜けて、工具が落ちる。
慌てて拾おうとして身を屈めた彼女は、監督たちからの叱責を受ける。
「物を拾う時は!! 挙手をして願い出ろ!! 規則だろうが!!」
鞭打ちである。魔道具でもなんでもない、ただ丈夫で固いだけの鞭。
レイチェルは脱げやすい服を引っ張られ、赤黒いあざだらけの背中を剥き出しにされる。
自分で治療することも、傷跡を確かめることもできない。深々と皮下組織まで削がれ、醜い汁が滲んでいることさえ、レイチェルは知らない。
「(もう何回か規則違反をすれば……私の奥底まで、引き裂いてくれる)」
ディルハートの死を、レイチェルは見ていた。
血の気のない皮膚が裂け、細い筋肉が弾け、スカスカの骨が飛び、内臓が溶け……そして、全てはつまらない魔力に分解され、魔法となって消えていく。
あの瞬間、レイチェルにとっての「死」は、あれで固定された。
死にたい。すなわち、ああなりたい。体の奥まで亀裂を入れて、水袋のように弾けて、空虚な無になりたい。
「ああ、ミス……」
ミス・ストロング。そう呼ぼうとして、やめる。
彼女を家の名で呼びたくない。彼女は、ひとりの……。
レイチェルが次の言葉を紡ぐ前に、足元が揺れる。
貴族が直接管理している土地の地下にある工場。その天井が割れ、設備が内側から壊れ、壁が軋み、皆は屋外へと投げ出される。
「な、なに!?」
レイチェルは尻餅をつき、周囲の混乱を見渡す。
誰も、何も、理解できていない。誰かの企みによるものではなく、ただの地震なのだろう。
「出られる……?」
見上げると、日差しが眩しい。鳥が羽ばたいて逃げていくのが見える。つまり、外だ。外に出られたのだ、
自然。そのあまりの美しさに、レイチェルは身を守ることさえ忘れてしまう。
裂けている。裂けてくれた。レイチェルの体ではなく、世界の方が。
「…………奇跡」
魔力を失っていく工場の残骸。好機とばかりに騒ぎ出す工員たち。咎めることなく、ただ逃げ出すか、騒ぎに加わる監督たち。
「あはっ」
混沌の中にありながら、レイチェルは波打つ地面に座り、陽光と戯れる。
楽しい。願いが通じた。世界が自分とひとつになったかのようだ。
まるで、幼児期のような万能感。レイチェルはディルハートのようにくしゃくしゃの髪を揺らし、笑う。
「あはっ。あははっ。生きてる! 赦されてる!」
擦り切れたレイチェルの視界に、ふと霧のような幻が浮かぶ。
ディルハートの顔。いや、生首だ。顎が伸びるほど叫びながら飛んでいく。
「ディルハート?」
ほんの一瞬しか捉えられなかったが、確かにディルハートだった。彼女の生首がここにあるはずがないので、間違いなく幻覚だろう。
それは工場の床にできた裂け目に落ちていった。きっと地層の底に挟まれて、パンケーキのように潰れていくことだろう。
「あはっ。そっか。ディルハートも、世界になったんだ」
霧散して消えた彼女は、世界に溶けたのだ。今や世界そのものがディルハートなのだ。
ならば、これからは世界を愛そう。世界に赦された自分を愛そう。
そんな妄想に囚われたまま、レイチェルは赤子のように這い、地上へと帰還する。
〜〜〜〜〜
地下工場から始まった、革命の夜。
押し寄せる属性魔法使いたちから逃げながら、代々国庫を管理する公爵家の当主……ストロング家の傍流代表は、頭を抱える。
「本家め、しくじったな」
近衛が精一杯食い止めて、暴徒たちの数を減らしてはいるものの、その勢いは衰えることを知らない。
どこの馬の骨ともしれない固有魔法ならいざしらず、属性魔法は御し易い。専用の手錠をかければ、それで封じられるのだ。
だからこそ、この国は教育を属性魔法のみに絞った。反乱を起こさせないために。
「くそっ。工場の封鎖機構が壊れたのか? だとしても、監督役は何をしている。反乱が起きたところで、餓死するまで地下に閉じ込めておけばよいだろうに」
公爵は慌てている。慌てたまま、思考をどうにかまとめようとしている。もはや助からないだろうという現実から逃避するために。
「こんな時に、都合のいい魔法があれば……」
空を飛んで逃げる魔法。自らの死を偽装する魔法。どんな怪我も治せる魔法。そんなありえない魔法を思い描き、縋る。
しかし、属性魔法以外を排斥したのは、彼自身である。
ありえないものにしてしまったのは、彼なのだ。
「どうする。何かいい手は……」
彼は部屋の中を歩く。向かう先の無いまま。
「ああ、王家のアニキに媚びたい。いや、ダメだ。まずここから逃げなくては。だが、その方法が無い。無いんだ。へ、へへ……」
悩みに悩み抜いた末、彼はひとつの決断を下す。
自爆である。
「このまま死んでたまるか。せめて愚かな馬鹿どもを一掃してやる。ゴミ掃除だ! きっと、この国のためにもなる。まさに妙案だな! はは、ははははは!!」
ストロング家は、そんな血筋であった。
彼は部屋を温めるための魔導炉に燃料を注ぎ込み、大爆発を起こす準備をする。
「炉を作る土の魔法! 点火する火の魔法! 炎を盛り立てる風の魔法! やはり属性魔法は最高だな!」
しかし、ある瞬間から火勢は急激に弱まる。
まるで何かに気力を吸われてしまったかのように。
「な、なんだ? 火が、萎んでいく……。属性魔法の化身たる我が魔道具が、力を失っていくぞ……!?」
直後、炉の蓋を開けて覗き込む彼の背後に、豪快かつ乱暴な音が。
「なっ!?」
まるで地面を割るかのような轟音。それと共に、屋敷全体が大きく揺れる。
ついに襲撃か。公爵が振り向くと、そこには……。
「あ、すみません。ボクの親戚ですよね? 魔力、分けてください。死にそうなんです」
床から生えた、ディルハート・ストロングの生首。
「ひっ!?」
一族の中で最も不出来で、息のかかった魔法学校でさえ庇いきれないほど低脳で、死後も陰ながら嘲笑の的にされていた少女。
彼女は豪華なカーペットを血で汚し、ボサボサの髪を乱れさせ、こちらを見上げている。
目が合ってしまった公爵は、ついに正気を手放す。
「貴様ーッ! 死の淵に立った我を、地獄の底から愚弄するつもりかッ!!」
「えっ?」
「屈しない! 我は屈しないぞ! ここからまっすぐ逃げさせてもらう! こんな世の中、クソ喰らえだッ!」
公爵は口で威勢の良いことを言いながら、逃げようとして体勢を崩す。
向かう先は、未だ熱のある炉の中。
「ぐわああっ! 地獄は、地獄行きは嫌だーッ!」
自ら灯した炎を、地獄のそれと勘違いしながら、彼は炭になっていった。
ディルハートは熱を感じないものの、その音で少しばかり状況を理解する。
「ん? 火事? もしかして火事ですか!?」
ディルハートは奪った魔力で体を治し、カーテンを巻きつけて裸体を隠す。
その際、窓の外に大勢の人間がいることに気づく。
「怒ってる。もももしかして、ボクのせい? さ、最初から燃えてたんですって! 牢獄だけは勘弁!」
ディルハートは転移で姿を消す。
彼女が革命について知ることになるのは、ずいぶん先のことである。
〜〜〜〜〜
300年後。
魔法研究の中心となったその国には、様々な伝説が語り継がれている。
各地で目撃される、空飛ぶ悪霊。
勇者をも上回る究極の英雄、“討魔の聖女”。
魔道具が突然停止する“妖精のつまみ食い”現象。
森や谷底で飢えた孤児が見つかる“神隠し”の伝承。
市民の代表から成る枢密院がいくら調べても、その根幹には辿り着けなかった。あやふやな事実だけがそこにあり、核心は未だ不透明だ。
ともかく、今日もこの国は平和である。
裸の少女が僻地にいても、襲われることはない。
「あの」
ある自然公園の池のほとり。
あばら骨の浮いた少女は、長すぎる髪を欠けた櫛でとかしながら、管理人の男に慈悲を願う。
「ボク、住所無いんですよ。家族も、もういなくて。だから、その、見逃してくれませんか?」
管理人は落ち葉掃除のための魔道具を置き、全裸の少女に上着をかける。
「知り合いがやってる孤児院があるから、そこに行きな。貧乏だが、国の制度で補助を受けてるから、すぐには潰れんよ」
「いや、自分、そういうのはちょっと。一応冒険者やってるんで」
「おいおい、フリーの狩猟は違法だぞ。最近はライセンスが厳しくなってな。嬢ちゃんじゃ身元保証人がいねえだろ」
男の言葉を聞き、少女はもはや癖になってしまった、哀れな行動を取る。
「生きづらいっ! もうこの世から出てってやる!」
自爆と共に、伝説は国を逃げ出した。
その夜、美しい流星が街を賑わしたという。
おまけ
勇者くんと青髪くんは連日続いた暴動を憂慮し、自ら手綱を取ることで民衆を制御。犠牲は出たものの、流血を最低限に抑え、革命を為す。その後、教会の力を借りて枢密院を設立。勇者としてのネームバリューを利用し、議席を確保。ディルハートがストロング家の出身であることを知り、貴族の子供たちを連座から守ることを決意。救えなかった少女を想い、曇りながら政治体制の基礎を築く。
女戦士さんは孤児院を開く。亡くなった妹とディルハートを生涯の傷として抱えながら、心優しく強い養母として数多の子供たちを育てる。教え子の中には枢密院に議席を持つ者も現れ、勇者の弟子たちと手を取り合って国を善くしていったという。
半魔だった男は、遅れてやってきた勇者に聖女伝説を語り、特に名を残すことなく死去。彼の山小屋たちは、安全になった後の世に、登山家によって整備される。
レイチェルは精神に異常をきたし、教会で数年ほど介護を受ける。その後、教会に伝わる回復魔法の研究に没頭。やがて万人に使える低級の回復魔法を開発した他、死者を蘇生する大魔法を発明。研究論文の最後に、大きく「世界、すなわちディルハートに捧ぐ」と記載したという。
ディルハートは魔王を超えた大魔王となったが、本人にその自覚はなく、人を避け続けている。たまに気まぐれで人と話すが、すぐに羞恥心や早とちりで逃げ去る。もはや妖怪。
好きなものは寝物語と小鳥のさえずり。
嫌いなものは両親、食事、読めない教科書、誰にも相談できない自分。




