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辺境ギルド長シリーズ

【辺境ギルド外伝】それでも俺には、これしかできないーレオンハルト編ー

掲載日:2026/02/13

※本作は、近日公開予定の連載

『左遷された辺境ギルド長は、戦わないのに最強でした』

の前日譚となる短編です。

本編未読でもお読みいただけます。

 中央ギルド本部の執務室は、常に静かだ。

 紙が擦れる気配と、ペン先が走る音だけが、秩序のように部屋を満たしている。


「次」


 レオンハルトが視線を上げずに言うと、若い部下が書類束を差し出した。

 依頼の再評価。予算の再配分。救護要員の割り当て。規定に照らした承認の可否。


 どれも同じだ。数字を見て、条件を並べ、最適解を選ぶ。

 感情は挟まない。挟む必要がない。


「この村の追加支援は……」


 部下が言いかけたところで、レオンハルトは手を止めた。


「却下。優先順位が低い。近隣の護衛隊が機能している。支援物資は十分だ」


「ですが、村長が直訴に来ていて……」


「直訴は直訴だ。被害予測は?」


「……現状維持なら、小規模かと」


「なら、様子見だ」


 部下は唇を噛んだ。納得しきれない顔。

 それでも彼は頷き、引き下がる。


 レオンハルトは決裁印を押し、淡々と次の書類に移った。

 胸の内に小さな棘が立つのを感じながらも、無視する。


 組織は、個人の感情で動かない。

 それが、守るべき秩序だ。


 ――そう教え込まれた。いや、そう学んだ。


 机の端に、別の束が置かれている。

 封蝋の色が違う。報告書。辺境ギルドから上がってきたものだ。


 レオンハルトは、無意識にそれへ手を伸ばしていた。

 指先が紙の角に触れた瞬間、苛立ちが胸の奥で跳ねる。


「……また、あいつか」


 辺境ギルド長。中央から左遷された実務官僚。

 戦えもしないのに、戦場の結果を変える男。


 読みたくない。認めたくない。

 だが、読まずにいられない。


 ページを繰る。数字が並ぶ。死亡率、低下。達成率、上昇。

 隙がない。


 レオンハルトは小さく舌打ちし、机に肘をついた。


「この案件……俺なら、切った」


 報告書にある案件は、危険度が不明瞭で、報酬が低く、失敗すれば政治的火種になる類だ。

 だから中央は嫌う。だから、普通は避ける。


 だが“あいつ”は避けない。避けない代わりに、避けなくて済む条件を整える。


 胸の奥が、不快にざわついた。

 そのざわつきの正体を、レオンハルトは知っている。


 ――昔の自分が、そこにいる。


 思い出すのは、ひとつの夜だ。

 忘れたくても忘れられない、境目の夜。



 当時のレオンハルトは、まだ若かった。

 優秀だと持ち上げられ、熱い正義感を“強み”だと信じていた。


 魔物の発生報告が上がったのは、王都外れの小さな集落だった。

 危険度の算定が追いついていない。予算も派遣枠も未確定。つまり、公式には「未確認」。


「今夜です。夜を越えれば、確実に死人が出ます」


 現地から帰ってきた斥候が、汗まみれのまま言った。

 集落には老人と子供が多い。逃げ道もない。防壁もない。


 会議室は沈黙した。

 誰もが分かっている。すぐに動かなければいけない。だが、規定が足枷になる。


「規定通り対応しよう。明日の会議で検討しよう」


 上司が、平然と言った。


 役所の正論だ。

 だが、その正論は、今夜の死者を救わない。


 レオンハルトは立ち上がった。


「俺が通します」


 周囲の視線が集まる。若造の越権。

 だが、当時の彼には怖さがなかった。怖いのは、目の前で人が死ぬことだけだった。


「臨時派遣として処理します。予備枠から補給を回しましょう。

責任は…私が負います」


 口にした瞬間、胸が熱くなった。

 正しいことをしている、と全身が叫んでいた。


 派遣に応じたのは、実力派の冒険者パーティだった。

 中でも中心にいた男が、目を引いた。


 名は、リュカ。

 剣の腕が立ち、場を明るくする人気者で、誰からも好かれていた。


「いいね。行こうぜ」


 軽い調子で言って、リュカは仲間の肩を叩いた。


「村人が困ってんだろ? なら、やるしかねえだろ。

俺は難しい話はわかんねえが、冒険者なら当然の選択だ」


そう言って、どこか得意げに笑った。


 レオンハルトは、その笑い方に救われた気がした。

 正しさを疑わずにいられた。


 夜。集落に到着すると、状況は想定より悪かった。

 地面の下を走る魔物。痕跡はあるのに姿が見えない。井戸の周りだけが不自然に濁り、家畜が消えている。


「地中型か。厄介だな」


 リュカが低く言った。


「でも、守るならここだ。被害が出る前に叩く」


 彼は仲間に指示を出し、村人を下げ、陣を組んだ。

 見ているだけで安心する。経験がある人間の動きだった。


 魔物が現れたのは、夜半。

 土が盛り上がり、井戸の脇が裂け、ぬめった影が弾けるように飛び出した。


「来た!」


 斥候が叫び、盾役が前に出る。

 リュカは笑っていた。


「大丈夫だ。俺が引きつける」


 剣が閃く。

 魔物の動きが鈍る。

 仲間の魔法が刺さる。


 勝てる。そう思った。


 ――その時、地面がもう一か所、裂けた。


「二体目!?」


 声が上がる。

 想定外。情報不足。準備不足。


 リュカは一瞬だけ目を細め、それでも迷わなかった。


「後ろは任せた! 村人を守れ!」


 彼は二体目の進路へ飛び込み、無理にでも引きつけた。

 斬って、押し返して、道を塞いだ。


「撤退するか!?」


 仲間が叫ぶ。


 ――撤退。


 その言葉が、レオンハルトの胸を刺した。

 撤退は負けだ。村人を見捨てることだ。正義の敗北だ。


「押し切れ!」


「当たり前だ、了解!」


 若い彼は、叫んでいた。

 誰に向けたかも分からないまま。


 結果、魔物は倒れた。

 村は守られた。

 村人は泣いて感謝し、夜明けの空気は、勝利の匂いがした。


 だが、リュカだけが戻らなかった。


 腹を深く裂かれていた。

 ヒーラーが必死に手をかざしても、血は止まらない。


 リュカは、苦しそうに笑った。


「悪くない……仕事だったな」


 仲間が泣きそうな顔で首を振る。


「お前、無茶しやがって……!」


「それでも村のみんなは守れたさ…」


 息が細くなる。

 それでも、彼の目は澄んでいた。


 誰一人、レオンハルトの判断を責めなかった。


 しかし仲間たちは、ただ彼の手を握り、震えていた。




「……あいつ、満足してたよ」


 後でそう言われた。


「村人を助けられて良かったって。笑ってた」


 お前のせいだと、責めて欲しかった。

 その方がいくばくか気が楽になるような気がしていた。

 しかし彼は、誰からも責められなかった。

 それが、レオンハルトには耐え難かった。


 わかっている。

 冒険者とは、常に死と隣り合わせの職業だ。

 彼らは当然のこととして、それを納得していた。

 リュカ自身も納得して死んだ。


 それでも、あたら若い命が、俺のせいで散って行ったことに違いは無い。

 レオンハルトの胸に釈然としない思いが残った。


 ――では、どうすれば良かったのか?


 答えは簡単だった。


 もう少し慎重に、戦力を補充していれば。

 もう少し情報を集めていれば。

 撤退条件を決めていれば。


 さらに言うと、そもそも受けるべき案件ではなかったのではないか…。


 結果として村は守られた。

 だが、“最前線”を担う人材を失った。


 組織として見れば、成功だ。

 人命の観点でも、多数が救われた。


 それでも、たった一人を失った事実が、レオンハルトの心に太い棘を残した。


 後日、上司は静かに言った。


「君の判断は理解できる。結果も出ている。咎はない」


 叱責も処分もない。

 だが、続けてこう言われた。


「組織は、不要な損失を恐れる。今回は寛大な措置となったが、次は無いと思いたまえ」



 その夜、レオンハルトは眠れなかった。

 村人の涙と、リュカの笑いが、交互に脳裏を刺した。


 救った数は多い。

 それでも、失ったものは取り返せない。


 感情は判断を鈍らせる。

 正義は人を殺す。

 だから、冷静でいなければならない。


 それが、自分自身を守る唯一の方法だと、信じるしかなかった。



 現実に戻る。


 レオンハルトは報告書を机に置き、目を閉じた。

 喉の奥に、あの日の鉄の味が蘇る。


 辺境ギルド長の判断は、どこかで“あの日の穴”を埋めるように見える。

 撤退基準。役割の最適化。戦力補充。情報整理。


 ――あいつなら、どうした?


 その問いが、いつの間にか自分の中に住み着いている。

 気づけば、判断の前に一度だけ、別の軸が立ち上がる。


 不愉快だ。

 認めたくない。

 だが、否定できない。


「……俺なら、どうした」


 口にしてから、レオンハルトは自嘲した。

 違う。違うのだ。


 今の自分は、きっと“切る”。

 リュカのような人材を失うリスクを嫌い、そもそも受けない。

 結果、村がどうなろうと「規定通りだ」と言う。


 それが正しいと、信じてきた。


 それでも。

 報告書の数字は、静かに告げている。


 切らなくても、守れる場合がある。

 準備と配置で、損失を減らせる場合がある。


 それをやってのけた男がいる。

 しかも、戦えない男が。


「……厄介だな」


 レオンハルトは鼻で笑い、椅子に深く座り直した。

 胸の奥の棘が、少しだけ形を変えているのを感じる。


 憎い。

 それでも、目を離せない。


 そして――気づいてしまう。


 自分はもう、「俺ならどうする」だけでは足りなくなっている。

 「奴ならどう判断する」を、無意識に混ぜている。


 それは敗北ではない。

 屈服でもない。


 ただ、選択肢が増えただけだ。


 その事実が、腹立たしくて、少しだけ清々しい。


「……奴のせいで、俺も少し変わったか」


 自嘲気味に呟くと、口元がわずかに緩んだ。


 変わったとしても、俺は俺だ。

 冷静でいる。組織を守る。理論で判断する。


 ――それでも俺には、これしかできない。


 レオンハルトは次の書類に印を押した。

 その横顔には、ほんの一瞬だけ、笑っているような影が差していた。

次回作として準備していた

「辺境ギルド長、戦わないのに最強でした」

あさってから連載開始します。

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